うちには菩提寺があります。お付き合いはもう大正の頃からになります。 菩提寺は大きなお寺で、住職さん以外にも若いお坊さんが数人おり、近隣のお寺から勤めに(?修行に?)きている環境です。うちへお盆のお経などにはその若い方(A和尚)が日頃よりきていただいており、法事でお寺に伺うと住職さんとA和尚が勤めてくれます。 しかし、最近住職が変わり、次の住職さんになると体制がかわったようで、そのA和尚がやめられてしまいました。幸いに菩提寺の近くのお寺にA和尚は住職としていらっしゃるのでなにか相談があれば電話や直接伺って悩みを聞いて貰っています。 A和尚はとても人気があり、お壇家はみな、菩提寺をやめてA和尚のお寺に移りたいと言っている人もいるくらいです。 さて、伺いたいのは、お盆などのお経を菩提寺ではなく、今まで相談にのってもらったり、お経に来てもらっていたA和尚にお願いしてもいいものでしょうか? もちろん法事や葬式は菩提寺にお願いしなければならないと思うのですが(本心はA和尚にお願いしたいところです)。 私をはじめ、家族皆、A和尚のお経や話や人格に惚れてこんでおり、是非お願いしたいのです。しかし、私が菩提寺に頼まずにA和尚に頼むことで、菩提寺とA和尚との関係が悪くなったらと心配でもあります。 どうしたらいいでしょうか?
どうもこんばんは 以前からの質問を見ていただければ分かると思うのですが、無量寿経の41願について「信心決定したものは諸根が具足する。だから諸根の具足していない者は救われない」といった解釈に気を取られて、ずっともんもんとしておりました それで、ハスノハでお坊様の意見を聞いたり、本で調べたりしたところ、「その解釈ではみな救うと誓っている18願の誓いが守られないからそれは我々に関係のない菩薩様への願だ」「十住以上の菩薩様は三悪道に堕ちることがないので、浄土を願わないものもいる。そうした聖道門の方々を浄土門へ引き入れるための願」「諸根ケツルというのは念仏という大道を知らないこと。哲学者や聖道門の方々も名号を聞くことで諸根具足することができる」「42願~48願を見ると、他方国土の諸菩薩というのは名号を聞くとただちに三昧を得るような方々であるので、われわれには関係のない願」「そもそも障害というのは実体的なものではない」「身体に不自由がないというのは、浄土へ行くのに不自由がないこと」という頭では合点できるような説明がたくさんありました。ハスノハの皆さん、ありがとうございました。 けれども「けれども」なんです…。「もしも」41願が念仏者が諸根具足するという願だとしたら、体の弱い自分は救われないかもしれない…。と、この「もしも」が頭から離れないのです。おそらくこれは、阿弥陀様への疑いと、自力のはからいでもって、このような状況になっているのだと思います。 この「もしも」というのを消す方法はないでしょうか…。そんな上手い方法はないとは思いますが、なんか愚痴みたいになっちゃいました、すみません。阿弥陀様を疑ってしまい、お経をネガティブに解釈してしまう自分がいる。それが悩みです。
私は田舎にある父と母方の祖父母のお墓を改葬しようと思い先日、霊園を見学しました。 場所もお値段も雰囲気も全て条件に合いました。 父は日蓮宗で母方の祖父母は真言宗なのですが、宗教不問で戒名の付け直しも不要で誰でも入れる霊園でした。 ところが契約のさい、境内での法要等は管理寺院の臨済宗の僧侶が執り行うということが判明しました。 お墓の開眼供養も外部の僧侶を呼ぶのは不可とのことでした。 私としては想定外のことでしたし、これは事実上の改宗なのでは? と思い契約はいったん保留にしました。 そこで疑問なのですが、宗教不問でお墓を受け入れると広告しているのに開眼供養や法要等の宗派を限定するのはなぜなのでしょうか? また、お墓の開眼供養や法要を異なる宗派、異なるお経で執り行うことは問題ないのでしょうか? 回答よろしくお願いいたします
初めまして。よろしくお願い致します。 昨年実の父が102歳で他界しました。長い間の寝た切りの介護の 末老衰でした。その間の介護費用はかなりの出費で私は 苦しんできました。私も15年前に主人を亡くしており 不動産はありますが、年金の現金がなくほとんど父の 入退院などと自宅介護費用に消えてしまいました。 高齢ですし準備をするにも月1万円の貯金もできずに 20年間介護をし続けました。しかしお金以外は苦痛でも何でもなく 辛いと思った事もありませんでした。 むしろ介護中から父はもう世話になるばかりで長生きしすぎた とすまない、申し訳ないを繰り返すばかりでもしもの時には もう昔のような葬儀は行わないで家族3人(孫、ひ孫)で送ってほしいと 言われ続けていました。又高齢なのに「これからはそんな時代だから 気にしないで」と言われ続けましたがいつもそれを聞くたびに泣くばかりでしたがとうとう旅立ってしまいました。 本当にお金はすっからかんでしたので火葬だけで済ませましたが お住職さまを呼ぶお金も枕経も戒名もなく未だに遺骨だけです。又 余りの悲しみに欝状態になり寝込んでしまいました。 それでも日々お経をあげてあげたい戒名も付けてあげたいと思い つづけています。49日をしないと故人が迷って次の世に行けないという文などを読みますと涙がとまりません、ご先祖様の中で窮屈な想いしてるだろうと想うと情けなく可愛相でしかたありません。 そこでお尋ねします。本当に父は成仏していないのでしょうか? 私は住居にしている不動産維持のお金に消えてしまう 生活費だけでも今は苦戦しています。 又これからお金もないし父は浮かばれるでしょうか せっかく立派な先祖を 自分が立ち切ってしまった無念さで一杯です。 私自身は「真言宗」でしたが実家は『曹洞宗」でした。 知り合いもなく曹洞宗とは一体何をどうすればいいのでしょうか? これまでの不義理を戒名とお経をしていただくのに3万円ほどしか 今はありません。納骨の費用も捻出できません。 今私が出来ることを教えていただけないでしょうか? お線香をあげて貧乏で待っていてと言うばかりです。 曹洞宗はどのようになっているのでしょうか?どうすれば 成仏して先祖のもとにいけるでしょうか教えて下さい。 ご指導下さい。よろしくお願いします。お願いします。助けて下さい。
今月流産しました。 供養に行くまでは哀しみや苦しみで眠れず つらくて人に会いたくなかったです。 供養の日、お経の中で表白があり、 朝に生まれ夕に死するは〜とかつぼみで 散った命とか父の慈しみ母の哀しみなどの 聞き取れる文がありそこにすごく励まされました。それから、悲しむだけの出来事にしては いけないと感じました。人には寿命があり あの子は数週間の命でした。私たちも自分が いつ死ぬかはわかりません。 ただ私たちと同じようにあの子は自分の命を 最後まで全力で生きてくれたから妊娠した という事実があり、希望や願いがあったから 今の悲しみがあるのかなと思いました。 あの子が存在したから悲しさがあると思うと それすらも愛おしく悲しみよりも頑張ったな! だからこそ会いたかったなと愛しさや切なさが 込み上げてきます。場所は違うけどこれからも 私たちのなかで共に生きるのです。でも 術後1週間で私はどこか晴れやかな気分で 泣くこともなく私は綺麗事を並べているだけで流産した悲しみを感じていないのかなとどこかで思います。私がこうしていられるのはあの子も それを望んでいて背中を押してくれていると 思っていましたが本当は悲しいのでしょうか? 立ち直ったり忘れたのではなくあの子が 精一杯生きてくれた事実を必死で受け入れようと しているつもりですが、他のお母さんはもっと 悲しんでゆっくり前を向こうとされてて。 私はどこか冷たいのかなと思ってしまいます。 今年主人は25歳で本厄です。 でも流産のことは厄のせいでなく、私の中 では悪いことでお祓いするようなことでも ないのです。心配性なので本厄など怖くて 前の私なら不幸が起こると騒いでいたと 思いますが流産して命の儚さを学び、 命の大切さや感謝を心から感じました。 毎日当たり前のように過ぎていた日常も ありがたくもっと幸せに感じられるように なったのもあの子のおかげです。 想像できることは気をつけたり、日々の生活も 注意したり、当たり前を見つめ直して感謝 したり、厄年じゃなくても普段からするべき ことなのかなと。1番身近に感じた命を失って 私の中で全てが変わり当たり前がなくなり、 衝撃的な出来事でした。 性格が変わってしまったような感覚で 今の考え方は冷たいのか綺麗事なのか。 変わり過ぎた自分に戸惑っています。 回答できるだけ多くお待ちしています。
私(男性)が小学生のときにしたことについて、後悔と反省していることがあり質問させていただきました。長文ですが、率直な意見と感想をお願いします。 私が小学校6年生のときに、クラスが一緒になったAさんという女の子がいました。Aさんは男子と仲が悪く、いつも男子と言い合いになっていたように記憶しています。 そして6年生の序盤で、私もAさんを罵るようになりました。当時は、小学生の男女は仲が悪いのが普通だと思っており、ひどいことをしているとは思いませんでした。しかしすぐに、あるきっかけがあり、Aさんをののしるようなことはやめました。 後で知ったのですが、Aさんには仲の良い友達があまりいなかったようです。クラスの女子は優しい人が多く、女子からのいじめはなかったと思います。6年生の終盤になると、クラスになじめなかったのか、学校を休みがちになりました。小学校の最後にAさんと話したのは、確か席が近くになったときで、向こうから軽い雑談をしてきました。そして私は、普通に返答しました。 中学では一回だけ同じクラスになりました。男子と言い合うこともなく、落ち着いた印象でした。しかし、なじめなかったのか、学校は休みがちでした。私とのやりとりはほとんど無かったですが、席が近くになったときに、一度、親切にしてくれたことがあるのを覚えています。Aさんとの思いだせる記憶は以上です。 だらだらと長文になってしまいましたが、小学校のときに私がしたことでAさんに対して、トラウマを与えてしまったのではないかと罪悪感を感じています。言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私はこの罪悪感とどのように向き合えば良いでしょうか。本当に申し訳ないことをしてしまったと後悔しています。
何かミスをしたら自分だけにきつく怒ってきて、他の人がミスしてもその人には絶対言わないし、怒らない。わたしが怒られている相手のミスを見つけたときは怒らないようにしています。トラブルになるから。 私ばかりにあたる人に対してなんでなんだろう?て思います。その怒ってくる人は家庭環境が悪くて苦労してきた人です。
理趣経(正確には、理趣経本文を含む解説書)を初めて読んだのは 20代の頃で、その時は何が何だかチンプンカンプンでした。 でも今になって読み返し、頭の中で反芻しているうちに、 理趣経がこんな事を語りかけているように思えて来ました。 以下、長文になりますがご了承願います↓ ・・・・ 自然界には大小様々な生き物がひしめいているだろう。 与えられた命の中で無心に食を求め、子を作り、必死に生きている。 そんな生き物たちの本能が汚れてると思うか?いや、皆清浄なのだ。 そして人間も生き物だから、人間の欲望や業だって本来は清浄なんだ。 自然がありのままで美しいように、人の欲も本来ありのままで美しいんだ。 大いに食べて楽しむのも結構、性の快楽に耽るのも結構。 自分の本性を曲げる事はない。遺伝子に刻まれた生命の原理だから。 与えられた日々を存分に生き、愛し、大いに楽しみなさい。 でも決して忘れないでね。 最高の快楽は、あなた自身がまぎれもなく、この大自然・大宇宙の 一部として存在し、共に生きている事実を実感する事。 そして他者も皆、かけがえのない生命を生きている。 だから皆が楽しんで暮らせるよう、欲の力を否定せず、 むしろ利用して世間を整えるんだ。まあうまくやってくれよ。 悟りは本来深遠で説明しつくせないものだが、 私(理趣経)がナビとなって道案内しよう。 まずは車の免許を取りなさい。仕事や家庭の都合で 無理なら運転できる人に乗せてもらいなさい。 大丈夫、私(理趣経)を信じていれば、まさか地獄には墜ちないさ。 あ、でもナビの操作だけはくれぐれも間違えないようにな。 ・・・・ ・・・こんな解釈で合ってるでしょうか? やはり理趣経については、これ以上は独学よりも、 お寺の勉強会にでも参加した方が良いでしょうかね?
婚家の信仰している宗派と、私が馴染みある宗派が異なり、受け入れられずにいます。 婚家の宗派を否定するつもりはないのですが、先日も義父が亡くなった際、親戚一同で読経したのですが、私には唱えられませんでした。罰当たりかもしれませんが、冷めた目でしか見る事ができません。 私の実家は婚家とは別の宗派で、信仰が深い訳ではありません。 しかし、やはり小さい頃から仏事などで唱えていたお経の方が心地よく感じられます。 また、私自身の卒業した大学が仏教系の学校で、一般教養の中に入っていたのが、その宗派の授業だったものですから、そちらにも親しみがあります。 今回、私に病が見つかり、心の拠り所として、精神的に落ちつけそうな、写経をしたいと思っています。 私が写経したいのは、般若心経ですが、婚家の宗派は般若心経ではありません。 このような時にはどうすれば良いでしょうか。読経は皆と一緒にすべきですか? また、写経は私の気持ちでしても、良いものなのでしょうか? 拙い文章で申し訳ありませんが、教えていただきたく、お願い致します。
いつもお世話になっております。 お礼が遅くなりましたが、不動産の件は円満に行きそうです。ありがとうございます!管理担当から物凄い丁重な謝罪がありました。45度の最敬礼(笑) * さて、私は低い声が出せません。親からも「あんたは甲高い声だね!」とさんざん言われたのを覚えています。 お経や御詠歌の時は経頭(導師)に音程、テンポ、声の大きさを合わせるように。と教わり、普段のお護摩でも実践している… つもりなのですが! 経頭さん(男性僧)の声に音程を合わせる時に、 中国ロシアの軍楽合唱団の女性兵士さんみたいに自分の声を高くする要領で音程を合わせています。あそこまで高くはならないけど。 * 響かせる場所、口の開け方等々を考えて重みのある声になるよう意識はしているのですが…問題はありませんか? お智慧を貸していただければさいわいです。 よろしくお願いいたします。
家は、禅宗で、今お付き合いしてる方は、浄土真宗なのですが、たびたびお世話になってるお寺は、真言宗です。 真言宗のお寺で、護摩たき(字が間違ってたらごめんなさい)していただいたり、真言を教えて頂いたり、御守りを頂いたりしてます。 この様な事は、本来よくない事でしょうか? 実家とは、疎遠で、今後の付き合いもありません。が、それでも、禅宗の方法で色々と進めるべきでしょうか? と、言っても仏壇などありません。ので、特にいま何か出来る訳でもありませんが、私の様な檀家にもなってない人は、今後どうしたらいいのでしょう? 何か1つの事でも、アドバイスいただければ、ありがだいです。 よろしくお願いいたします m(__)m
ハスノハの存在を知り、私自身もいくつか質問し、 過去の色々な問答も読ませて頂いているうちに 十句観音経の存在を知りました。 今では朝晩に唱えさせて頂いてます。 我が家には仏壇が無いので 菩提寺と実家の方角に三回、祈願時の方角に三回。 シンプルなのに奥が深く、心の底からじんわり温まります。 仕事に家庭に、まあ何かと悩みは尽きませんが、 十句観音経が心の支えです。 良いご縁を頂いたハスノハと、お坊様達に感謝します。 優しいお言葉、厳しいお言葉、全ての回答が「有り難し」です。 ハスノハの質問者方の悩みが消え満願成就されるよう、 お坊様方がますますご健勝なるよう、お祈りします。 季節柄、ご自愛下さいませ。 -合掌-
仏師になろうと思い、本日届いた般若心経と金剛般若経の本を読みました。 そして私なりの解釈をしたのですが、間違った解釈をするといけないと思い、専門家の方々に聞こうと思いました。 私は赤子に戻って本を読んで思ったのは、「全ては空である。」です。 空とは無であり無限であることだと思います。 人間は苦しみを持ちますが、それはあると思うからあるのです。 本当はそんなものはありません。 さらに言えば自分というものさえありません。 とはいえ、世界が無なのではありません。 その逆に世界は無限です。 何故ならば、個がないのだから、他者も自分、万物も自分だからです。 全ての人々が他者も自分と思えば世界から苦しみがなくなります。 般若心経が呪文で終わっていたのが印象的でした。 頭でっかちになりがちな現代人に対する大変効果的な修行です。 金剛般若心経の「○○といったから○○ではない。それ故に○○である」の部分も興味深かったです。 確かに空となったらそうなります。 他者との視点と自分の視点の事象を、空としてとらえると面白い論理になると思いました。 総じて懐かしい感じがしました。 不思議なことに以前から知っていたような気がします。 人は誰しも生まれる前に仏の説法を聞いて生まれてくるのかもしれません。 私の般若心経の解釈はあっていますか?
いつもお世話になっております。 医師の勧めで、毎日、祈願寺の写経道場に 通っています。 その後、護摩でお経を上げ帰宅します。 祈願寺は距離もあるので、規則正しい生活 の基盤、また学びの機会にもなっており、 色々な人も来るので、軽い訓練にもなって いる…気がします。 医学的にも、写経行には集中力を高め、 認知症の予防にも…と聞きますが。 そこで数点疑問が生じました。 写経には大きな功徳が…と聞きますが、 そう言われても、いまだピンときません。 また、我が祈願寺の宗派は実践的な修行に 力を注いでおり、 本山には信徒向けの水行、登拝行、断食行 などのプログラムまで存在します。 まさに、「道場」といったところです。 ご詠歌もあった気が。私もたまに参加 しています。個人的にもやりたいので、 道具を揃えるか思案中です。 とくに断食行に関しては、 「治療目的での入堂はお断りします」 と注意書きがあります。 写経や信徒参列型の護摩と、断食行は やることが根本的に違う、また、前者には 治療云々…の記述はありませんが、 私の場合、認識のズレから誤解を生じ、 お坊さんから顰蹙を買っていないか不安に なってきました。 今までも、あらゆる場面で認識のズレから トラブルを作っていたので…。 関連して、最近になって、お坊さんから 行儀に関して指摘される事が増えました。 たとえば、 「トイレに入る前に輪袈裟を外して」 など…引き締めを図る時期が来たか? とも思います。 ほんとうに、無知で申し訳ない…。
親に就職を反対されています。 私は田舎に育ったので、都会に強い憧れがあります。就職を機に都会に出て自立したいです。 親の言い分は、 ・家で家事手伝いをしなさい。 ・誰が祖母や親の介護をするんだ。 ・帰ってこないつもりだ、親を捨てるつもりか。 などです。子離れできない親の気持ちもわからないことは無いのですが、地元を出て就職するのはそんなに親不孝なのでしょうか。 育ててやった、学費を出してやったのだから親の言うことに従いなさい、と何度も言われて、最近は声を聞くだけで涙が出て頭が痛くなってきます。 この間自立したい、と相談して喧嘩になった時に「親不孝者、お前は畜生以下、人間以下だ」と言われ、私が悪いのかなと思うようになりました。 友人や知り合いに相談しても、あなたの親は毒親だよ、と言われて自分の立ち位置がわからなくなりました。私はどうすれば良いのでしょう。
1.仏教では如来、菩薩、明王、天部とありますが、天部様の役目は何なのでしょうか? 2.天部様は仏様ではなく神様と聞いたのですが、般若心経を唱える時は最初の『仏説』は読まなくていいのでしょうか? 3.神仏習合では大黒天様=大国主様となりますが、大黒天様は大黒天様!大国主様は大国主様!と分けるのではなく、大黒天様=大国主様と考えて問題ないのでしょうか? 私は神棚に伊勢神宮のお札、嚴島神社のお札、大黒天様を祀っているのですが、神様として般若心経を唱える時、『仏説』はつけていません。 詣り方は合っているのでしょうか? 少し前までは大黒天様は天部様だから仏様になると思っており、頭に『仏説』をつけ伊勢神宮(天照大御神様)、嚴島神社(宗像三女神様)とは分けて般若心経を唱えていました。 今ではどれが正しいのか分からず少々混乱しております・・・。 教えて頂けたは幸いです。
こんにちは 昔から気になっていることがあります。 おじいちゃんは仏教でどこどこの、等は分からないのですが、昔は毎日南無阿弥陀仏なお経を筆で書いて読むことをしていたので…そんな感じの仏教です。 その仏教の本?みたいなもので、小さい頃 私の生年月日等調べて、千手観音様が見てくれてる。と言われて、ピンとこなかったんです。 手がすごいあることは知っています。 私の厚い唇を神様もそんな感じの口してるから すごい神様見てくれてるって!私にぴったりだな!みたいなことを言われた気がします。 でもそれは見てくれている、のか守護神なのか、 なんなのか今になって気になってしまいました。 おじいちゃんは今少しボケつつあるので当時のことをあんまり覚えてないです。 その…生年月日で調べれる神様みたいなのは占いなんですかね…?? ご存知でしたら、無知な私に教えていただけたらと思います。
昨年11月に夫が他界しました。原因不明の病で3週間の入院生活、回復の兆しが見えてきたと思った矢先に突然亡くなりました。 火葬の後、お坊さんがお経を唱えている際に目を開けてみると、お骨の横にとても明るく光る金色ともオレンジ色とも見えるグリッターのような光りがキラキラと見えました。 あまりにもはっきり見えたので、周りの人たちにも見えているのかと思いキョロキョロと見回したのですが、私にしか見えていないようでした。 とてもキレイな、グリッターのような、温かみのある光が、骨壷の周りで光っていました。 お経が終わったのと同時に光はさっとなくなりました。 今日は49日でした。お別れはとても寂しいですが、あの光に今でも見守られているのような気がし、心が落ち着く感覚になります。あの光は何だったのでしょうか?
最近子育ても自分の人生も嫌になってきています。 一人で育てると決心して、実家に戻り子育てしてますが、娘は風邪を引きがちでフルタイム復帰なんて夢のまた夢、パートで働くも微々たるお金。 父は自営業で月々の収入が不安定で母は脚が痛い腰が痛いと言いながら、毎日トータル2時間は正座して新興宗教のお経さんを読む日々。(娘の病気の時家族に預けられないので基本私が休んでます。病児保育も予約がいつも埋まっています) なんか、この子を産む前に全部分かってたんですよ。父の収入や精神状態が不安定なことも、母が家族のために本気にはなれず、でも自分の信仰するものには多少予定を変えてでも動けることを。 (正直、朝早く起きて化粧して集会に参加出来る活力が昔も今もまだあるなら、昔から父のネガティブな愚痴を私に言ってこないで欲しかったし、お仕事もして母のお金で私のことを守って欲しかったです) 自分の気持ちがまとまらないのですが、 こんなバカな私が子どもを持ち育てるなんて贅沢だったんでしょうか。 家では子育てのことや自分の置く状況に着いてさんざん親に嫌味も言われるし、でも実際本題に戻って、1人で育てると決めたのだから自立するためにお金を稼ごうとすると娘の病気という壁がある。 もう正直八方塞がりでどうしたらいいのか分かりません。 全て甘えていた自分のせい、自分の判断の結果なんでしょうがそれを憧れのロックスターみたいに自分に落とし込むのはすごく辛いです。 いっその事、娘の前世からの業、将来の苦しみをを全部私が背負って今何らかの形で私の人生が終えることができたらかっこいいのに、とも思ってしまいます。
初めて相談させていただきます。 誰にも相談できないことで、お話させてください。 3日前に、お迎えして3年になるペットの小動物を亡くしました。 前日の深夜は元気な様子で変わりなく、私におやつの催促をしていましたが 朝ぐったりした様子ですぐに病院に行くと、お腹全体にガスがたまって痛みを伴う「鬱滞」だと診断されました。 入院の準備をしたその日の夕方に息を引き取りました。 鬱滞は極度のストレスからなってしまうもので、私には心当たりがありました。 毎日だいたい同じ時間にケージから出して1時間ほど遊ばせるのですが、亡くなる2週間前から私は仕事で疲れてるとか面倒臭い気持ちで自分の都合で餌と水だけ交換して1日、2日続けてケージから出して遊ばせないということを繰り返してしまいました。 朝には出してあげるから、別の日に遊ばせてあげるから大丈夫、と不規則な生活をさせてしまい、ケージから私を何度も呼ぶ声を無視して寝てしまいました。 病気がちな子でもなく、年齢もまだ若い子だったのでそれが直接の原因だと思います。 そんなに強いストレスを伴うほどあの子にとって日々の楽しみだったと今になって気づいて、相手をしてあげなかった自分に対して強い怒りを覚えます。 ストレスに弱い動物だと言うこともわかっていたのに私の勝手な行いで死なせてしまったことに強い後悔と悲しみが残ります。 10年以上一緒に生きるはずでした。こんなに早いお別れになってしまうなんて思っていませんでした。 昨日葬儀をしてお経を唱えていただき、自宅供養を選びました。 つい部屋の中で空に向かって合図をして名前を呼んだり、ずっとごめんなさいと謝り続けていて涙が止まりません。 こんな自分勝手な私は、今後楽しいことをしたり幸せになってはいけないと思います。 私のところには、あの子は嫌がって戻ってきてくれないだろうなとも思います。 後追いも考えましたが、もう1匹飼ってる子はまだ生きているので、その子のことを考えると実行できません。 食欲も気力もなく、ただただ苦しくて悲しくて、後悔しています。