もう疲れた。何もしたくない。
気づいたらこんな年歳で、周りは家庭を築き新たな生活を営んでいる。若手もどんどん育っている。決してほめられたような生き方はしてないが、こそれでも今までまじめに勉強し、就職し、失敗を繰り返しながら仕事に打ち込んできた。ふと見渡すと、取り残された、浮いている自分がいた。
見た目、性格、コミュニケーション力、すべての面で、深いところで受け入れられない生物なのだろうとは悟った。淘汰されるべき存在なのだろう。校舎の隅に、大きな成体となりながらも産卵できず、冬も越せず、自分の張った巣に引っ掛かりながら生き絶えていたジョロウグモを見つけた。あれは、自分だと思う。
ロープは買ってある。どこで決断しようか。だが、部屋は誰が片付けるのか、大家さんにも多大な迷惑をかけてしまう。仕事も迷惑かからないように辞めるには踏まなければいけない手続きがたくさんある。
希望なんかもてない。もうすでに希望だけを抱いてここまで来たのだから。すでに人生も折り返し。孤独死か。自分にとっての生きる意味も見出だせない。
教員で担任をもっているからこそ、自分のようにはなるなと、人の顔色ばかり見て、評価をおそれて、本当の自分を押し殺すな。失敗を恐れず、理解され、受け入れてもらう努力をしろ。手を指しのべてくれる存在が現れるのをただ待とうとするな。と、遠回しに言い聞かせている。
それが自分の生きる意味なのか??愚かな末路を歩んでいる人間に愚かな末路を歩くなと言われて説得力はあるのか?滑稽に思えて仕方がない。
それでも、少しずつだけど確実に心は死んでいるのを自覚している。もうさほど時間もかからずに、後のこと考えないようにもなるだろう。これは遺書みたいなものだ。わずかなに残っている、こんな末路を恨めく感じている部分がで、ここに書いている。

有り難し 27

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