2024/09/03犯罪者を慈悲の心で救うと考えるのは誤り?
私は人間には業を作らなければならない宿業という物があると思ってます。
定められた宿命の様な業バージョンの自分で作った造語です。
※宿業という言葉はもう既に存在してる事は知ってます。
その宿業を持った人間と他者を繋ぎ止める縁、即ち業縁もあると考えています。
世の中、良いご縁ばかりがある訳じゃありません。
悪いご縁も勿論あるのです。
ただし、宿業と業縁の相互が見事にマッチした時、間違いを選択してしまうか否かはその人自身によって変わります。
強い人は打ち勝って状況を良くしようと邁進するでしょうが弱い人はここで堕落してしまいます。
分かりやすく言うと犯罪者になるという事です。
ありとあらゆる可能性を分析してそのレベルが低い人は人間社会における負け組になる傾向にある訳です。
生まれた環境が悪く、能力もさほど高くなく、宿業と業縁がマッチしてしまう人は犯罪に手を伸ばしてしまう人が多いと思います。
自分はそんな人達が本当に可哀想だと思います。
はっきり言うと世の中救いようのない人間は誰一人居ないと思います。
浄土真宗の本願誇りだってそうです。
悪い事をしまくっても救ってくれるという解釈違いを生んでしまう、その状況が悪い訳でその人自身が悪い訳ではないと思います。
人生において色々重要視するポイントはありますが縁(人と人との繋がり)は最重視しても良い位だと思います。
ここで冒頭に戻りますが宿業といっても人それぞれ大小異なると考えてます。
虫を殺してしまう宿業を持って産まれてきた人だったり人を殺めてしまう宿業を持って産まれてくる人だったり人それぞれですが必ずしも業を作る訳ではないと言えるのもまた事実です。
本質に近い宿命すら何の課題を持って産まれて来たのすら分からないまま達成する事なく亡くなる人や知らず知らずのうちに達成して成仏する人も居ると思いますし。
犯罪を助長したい訳じゃないです。
悪い事はきちんと償うべき。
私のこの文を読んで業縁で繋がった人が解釈を間違えて非行に走る前に念押しでもう一度言います。
犯罪はするべきではないです。
千字ギリギリまでダラダラ文字打ちしましたが何を言いたいのかというと業にも縁があって人を殺めてしまう人とそうでない人の違いはその縁があるかないかだけだから平和に過ごせてる人は犯罪を犯してしまった人を慈悲の心で助けるべきだと思う私の考えは誤ってますでしょうか?
有り難し 2
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