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輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 38
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これからの人生に安心したいです

私は死後への不安があり、死ぬことが怖いです。 というのも自分自身、胸を張って良い人間であると言いきれない、むしろ性根の悪い人間だと自覚しているからです。 そういった人間は極楽浄土、所謂天国には行けないというイメージがあります。 私は昔は明るく元気でいつも人の輪の中心にいるような存在でした。困っている人には進んで助けになりたいと思っていました。 自分で言うのもなんですが、私は子供にしては人望もあり、正義感に溢れていて、またそんな自分の事が好きでした。 ですがいつの間にか堕落し、人と対面するのが苦手で、目を見れない、自分をよく見せようと虚言癖がある、大切だったはずの存在を傷付けて、楽な方へ逃げて逃げて孤独になり今の私はいます。 自分の事が大嫌いになりました。私には人には見せられないどす黒い心があります。 そんな私がこれから何か頑張れば贖罪になるのか、そして何か得る物はあるのか、過去の過ちから死後の行先は地獄なのだろうかと。とても不安にかられます。 今になって思えば善い行いだと、人助けだと思っていたことも自己満足でありもしかすると自分の行動に自惚れていただけなのかもしれないと思います。 こんな私は極楽浄土に行く事ができるのでしょうか?独りになった今遠い先の答えだけが不安です。 人生に安心が欲しいんです。 元々あまりスピリチュアルな事は考えた事は無いのですが、今は極楽浄土に行きたくてお寺で南無阿弥陀と唱えてみたりもしましたが、自分の中での不安は消えません。 簡単な答えでも構いません。どうすれば死後、極楽浄土、天国に行けますか?また、どうすれば過去の過ちを許されるのでしょうか? ご回答お願い致します。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1
2023/04/23

仏教はその目的の実践以外何もない(1)

 「仏教の目的」とは「輪廻転生からの解脱」ですが、阿含経によれば、それだけと言う大変厳しい教えです。  従って、この説教は釈尊の予言通り、没後500年で滅亡したようです。  自己否定の説教では誰も就いていけなかったのでしょう。  現代の仏教は四苦ではなく多くは「老病死」の三苦となっていますが、滅亡した仏教では「生」が最大の問題です。  以下順を追って経典を眺めて見ます。 阿含経典 縁  (南伝 相応部経典 12.20. 縁 )  前略  「比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。生によって老死がある、という。このことは如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているものである。」(以下略)  (私見) ここで「縁起」とは「生老病死」の四苦を言い、しかもそれは仏教とは関係のない、自然の摂理であると断定しています。  自然の摂理ですから、仏教はそれを救うことは出来ないと言う意味に取れます。 生まれたら苦しみを逃れるにはひたすら死を待つだけです。死ねば四苦から解放されます。  死後が無ければ、それですべて解決しますが、身体(色)は死んでも心(受想行識)は同時には死なないようです。身体は構造が複雑ですから故障しがちですが、心はその構造もわからず、臨死体験から想像すると多分空気のように軽いでしょうから、死ぬ要素が無いのでしょう。だから仏教では「死」を死と言わず「往生」と言っています。  従って仏教の救いは死後にあると言いうことになりますが、四苦が無いですから、仏教の出番は無い筈です。  多分前世に残った欲の記憶が、再び生へのあこがれになるのでないかと思います。  これは人間に限らずすべての動物に共通の営みでしょう。  これ等を生前に理解して実践し、再び出生しないよう救うのが滅亡した仏教です。

有り難し有り難し 10
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