2021/07/07好物を「神に捧げた」と言ってしまった
大好物を我慢するために「神に捧げた」と言ってしまい、食べられなくなってしまいました。
初めて質問させていただきます。
以前勤めていた職場の上司が禁煙を始めた際、私も自主的に、大好物のある洋菓子を我慢することにしました。
上司への好意や応援・尊敬の気持ちから行ったのではなく、自分が物凄く仕事の出来ない部下であったため、「実はあなたが我慢している間、私も好きなものを我慢して頑張っていたんですよ」という見当違いの努力をいつかアピールしたいという下心から始めたことだったと思います。
毎日のように食べていた大好物のその洋菓子は太りやすく、あまり健康に良いとは言えない食べ物のため、ダイエットも兼ねて、家族や周囲には「〇〇(大好物)は神に捧げた(ので食べない)」と公言し、実際に我慢してきました。
しかし上司が禁煙をやめ、以前の職場を退職して努力アピールの機会や理由を失ったにもかかわらず、1年以上大好物を食べていません。
食べたくてたまらないのに、食べるのが怖くなってしまいました。
覚えていないのですが、何かのお参りの際に大好物を我慢することを「願掛け」的に神様にご報告してしまったかもしれませんし、何より「神に捧げた」という表現を何度も使ってしまったため、その食べ物をいま自分が食べてしまったら、何か自分や大切な人にとんでもないバチが当たるのではないかと怖いのです。
その恐ろしさと、また大好物を食べたいという気持ちが葛藤しています。
小さい願望で本当に情けないのですが、この世で1番大好きな洋菓子なので、一生食べられないと思うと悲しくてなりません。
一度でも「捧げる」などと言ってしまった自分の考えのなさを後悔するばかりです。
しかし他方で、あんなに捧げると言って我慢してきたのにまた食べ始める意志の弱いやつ、と周囲に白い目で見られることが恥ずかしい気持ちもあり、自分の浅い行動への報いとして、もう二度と食べない方がいいのか?とも思い苦しくなります。
神に捧げた、という言葉を使ってしまったこの葛藤について、何かアドバイスを頂けましたら幸いです。
お忙しい中恐れ入りますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
有り難し 18
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