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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6202件
2024/08/03

希死念慮との付き合い方

希死念慮との付き合い方について、お坊さんの視点からアドバイスをいただきたいです。 皆様のおかげもあり、生き方に対する姿勢は以前と比べ変わってきたように思います。 仕事でミスをしても、そういう人間なんだから仕方ない。 やりたいことができなくても、今はできる環境ではないのだから仕方がない。 自分ではどうしようもないこと、現在の自分の能力では解決しようのない問題に対して、あれこれ悩むのはやめました。 様々な点で悟りを得られたように感じます。 ただ時折、どうしようもなく消えてしまいたい気持ちに駆られます。それは、周りに迷惑をかけているなと感じた時や、仕事で何も成果をあげられていないと感じた時などです。 読んでいて矛盾を感じられたと思いますが、落ち着いている時には悟りを得られているものの、少しでも身体的に疲れている時や、周りに人が多く気を張っている時など、自分にフォーカスできていない時などに、なんらかのきっかけで悟りが崩れてしまいます。そうして、一度死にたいモードに入っていくと、しばらく悟りのモードに戻れなくなります。どうしようもない、と自分で自分を言い聞かせていた分、反動でかなり深いところまで落ちていきます。 この死にたいモードの時に、ふとした瞬間で死んでしまわないか、自分を信用できず怖いです。 またこのモードに入っている時は、とても苦しく、辛いです。周りに人がいても涙が出てきてしまい、隠し切れないこともあります。 どのようにしたら、この瞬間的な死にたいモードから脱出できるのでしょうか。 瞬間的とは言いつつ、数日続くこともあります。数年間うつ病と闘っていたこともあるので、また再発するのではと怯えています。生きていればいい、と言いますが、その生きていることが辛く苦しいのです。毎日、仕方がない、と言い聞かせて息しているわけです。希死念慮を抱く前の、定常状態の生き方についても問題があるのかもしれません。

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兄の死に対する心の持ち方

数年前にうつ病だった兄が自死してしまいました。 小さい頃から両親の仲がとても悪く、父親は無関心、母親は自分の思う通りに事が進まないと怒り狂い怒鳴り散らすという性格で、 ほぼ毎日両親の喧嘩、家庭内暴力を目にしながらとても居心地の悪い空気感の中を何年も暮らし、私もかなり参っていましたが、兄はより責任感が重く、病気になってしまったと思います。 当時は、病気であるにしても自分勝手に振る舞う兄の事が全く許せず、私は兄に優しく接することができませんでした。 家族も兄を心から理解しようとはできていなかったと思います。 そして家族の仲の悪さが根幹にある中、お互いに疲れきってしまった結果が兄の死に繋がったと思います。 その後私は結婚出産をし、現在子育てをしながら、人生で初めてと言ってもいい程の心穏やかな暮らしをしていますが、この頃色々な感情が頭のなかを渦巻いています。 兄が病気のまま今生きていたら、私は現在の暮らしがあっただろうか。 兄の死が良かったとは微塵も思わないが、どこかで精神的な辛さから解放されてほっとしている自分もいる。 家族の歪み、嫌い合う居心地の悪さ全てを兄が負って命を絶ってしまったのに、私はこんな平穏な暮らしを送っていていいのか。 兄の苦しみ、悲しみをもっと感じて生きていかなければならないのではないか。 何度も何度も夢に兄が出てきます。生きていたんだ!とその時は安堵しますが、夢から覚めた時の現実がその都度つらいです。 周りに相談できるような事柄ではないため、一人で考えては疲れ、考えないようにしては思い出しの繰り返しになっています。 どうかお知恵を貸してください。

有り難し有り難し 11
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愛猫の死との向き合い方

愛猫の最期について後悔に苛まれています。 私が大学生のときに拾った子猫で、拾った時点で感染性の血液の病気であることはわかっていたのですが(発病はしていない)大切に育てていました。しかし、私が転勤族な現夫と結婚することになり、猫は実家に預けたまま離れることとなりました。とても寂しがりで人にくっついて寝るのが大好きな子だったのですが、実家では病気を先住猫にうつさないように夜は1匹の部屋で過ごしていました。 それから10年近く実家で元気に過ごしていたのですが去年病気が発病し全身に癌が広がり先日、肺に水が溜まって亡くなりました。 亡くなる前日の夜は私が実家に泊まり夜通しそばにいてあげられたのですが、亡くなる日の晩は私も授乳中の子どもがいたため自分の家に帰っておりました。朝一で駆けつける予定だったのですが、早朝に猫の部屋を覗いた母から「ダメだった」との連絡が入りました。 実家に預けられてからも私に人一倍甘えてくれており私を本当の母のように求めてくれていた子だったのに、娘が生まれてからはあまりかまってあげることができず、最後の最期もひとりぼっちで死なせてしまいました。肺に水が溜まっていくのは水の中で溺れながらどうにか少し息をするような苦しみだそうです。数日かけてどんどん息ができなくなっていく恐怖に最期は独りでどんな思いだっただろうか、私がせめてそばにいてあげられたら少しは安心できたのではないか、最期に私に助けを求めていたのではないかと悔やんでも悔やみきれません。 普段は考えないようにしていますが、ふと彼女の苦しみや寂しさがフラッシュバックのように鮮明に頭の中を埋めつくし、吐き気をもよおすような悲しみが襲います。 「最後苦しむ姿をあなたに見せないようにしてくれたのかも」とも言われましたが、死の前日も彼女は別れ際私にすがるような目をしていましたし、大人になっても赤ちゃんのような甘えん坊だったので、それはないと思ってしまいます。 彼女は幸せだったかそうでないか、魂は苦しみから解き放たれただろうか、来世も苦しんでしまわないだろうか、そのような考えと後悔と愛おしさとがごちゃまぜで、どのように彼女の死と向き合い消化していけばよいかわかりません。 僧侶の皆様に道筋を少しでも教えていただけると幸いです。

有り難し有り難し 51
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人生最愛の彼の自死

タイトルの通り、4年半お付き合いし、お互いに運命の相手と信じていた同い歳の彼が先日自死致しました。 運命など簡単に信じるような歳でもありませんが、出会い、このとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚や様々な出来事、そして相手を想う果てしなく大きな気持ちも、全て今まで経験してきたこととは比べ物にならず、人生で1番大切にしておりましたし、して頂きました。 彼はとても複雑な家庭に生まれ育ち、信じていた人達からの度重なる裏切りや、相手の不貞による離婚や病気など、辛いことの多い人生を送っていた人でした。 周りに弱音は吐かず、全て自分で背負い込み、自分の中で解決・消化してからやっと、笑い話に変えて人に話すような強い人でした。いつも明るく笑顔で、常に人の為に生きている、そんな彼でした。 自死の原因は、恐らく親や兄弟が原因かと思います。彼からそれらの悩みがあると伝えられたのは10月の後半、亡くなる2週間ほど前でした。 かなり深刻そうなのは彼の口ぶりや、日に日に思い詰めていく様子などから感じてはおりましたが、「家族のことなので、あまり詳しくは話したくない」という彼の意向により、何があったのかまでは分かりません。 「死のうかと思っている」「生きてはいたい」こんなことを言っていました。 お互いに仕事もあり、また彼は休みの度に実家へ顔を出すようになり、最後に会ったのは10月の半ばでした。 最後になるとは知らず連絡を取った日、全くそんな素振りは見せず、いつも通りおやすみと言い合い、翌日から連絡が取れなくなりました。 連絡が取れない間、私は定期的に連絡を入れておりましたが、10日ほど経った頃、彼と同じ職場の知人から亡くなったことを聞きました。 私と最後に連絡を取った翌日でした。 遺書は携帯の中に残っていた様で家族しか見れず、通夜も葬儀も家族のみで行われた様で、参加すら出来ませんでした。 彼の部屋へ行ってみましたが、既に部屋は空っぽで、思い出も物も、お揃いの食器も、全て無くなっておりました。 それから私の心は死んだも同然で、信じることも出来ず、ただ泣き叫び、助けられなかった自分を責め、何故何も言わずに逝ってしまったのかと相手を責めます。 会いたい、触れたい、声が聞きたい。 一生一緒に居るはずだった人。私の全てでした。どうやって彼の居ない世界を生きていけば良いか分からず、苦しいです。

有り難し有り難し 8
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死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

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社会不適合者には死あるのみ

連続投稿ごめんなさい。けれどもう限界です。遺書のつもりで書きます。 幼少期は目立ちたがりで、突飛な行動をしては周囲を困らせ、結局は自分しか見えていない性質によって嫌悪されました。それにより賞賛を求めて更に目立つ為の行動を起こすという悪循環でした。 今でも、自分しか見えていない性質は変わっていません。心の痛みを理由に、この様な勝手な投稿を行なっていることが何よりの証拠です。 院に進めたのも、ただ苦しんでいたことが理由です。苦しんで苦しみ抜く過程を重視し、必要としてくれる特殊な環境によって許されただけです。 しかし社会ではそれは許されません。まともな家族は私の弱さを許しません。そして社会はまともになれない人間を生かす余裕がないので、弱者は淘汰されます。 生きることは辛いけれど、私は身体だけは健康なのでまともな人と同じフィールドで戦うことが要求されます。しかし私にはそこで生き残れるだけの能力も体力ももうありません。でもまともな人から見ればこれは甘えなんだそうです。 現実を見なければ心は保てますが、現実を見ないと生きることが許されません。 私にできることは、こうした弱者の嘆きを積み重ねて凄惨な自殺をし、社会問題になることだけです。こうした大きな問題が起こらなければ社会はその歪みに気づかず、問題になっても結局私にが悪いことになりそうですが。 気力も体力も他人の言葉を受け入れる余裕もない私のような人間に、それでも「生きていていい」と言えますか? 「生きていて欲しい」と言えますか? 心を大事にしてくださるここならまだしも、現実社会ではあり得ません。だからもう死にたいのに、死さえ解放ではないのです。生きていても死んでも苦しいだけ。もう嫌になります。 これからの世界は悪くなるだけです。生まれて来ることは最大の不幸です。永遠に終わらない存在という苦しみから逃れることは出来ず、ただ苦しんで死んで生まれ苦しんで死ぬことの繰り返しがあるだけ。 そもそも、生きることが嫌になった時点で人生終了です。生きていることを喜べなくなっては社会が成り立たないので、みんな気付かないふりをしているだけです。 奨学金も借りていますが、返せる気がしません。30までに正社員になれなかった人間は死ぬしかないらしいですが、そうなりそうです。否、もう死にそうです。私を殺したのは世界です。家族です。まともな人間です。

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2024/09/02

父の自死された前妻様について

私の家族構成は複雑で、母(DV元夫あり)・父(自死した統合失調症の前妻あり)・姉41歳(父と前妻様の子)・兄40歳(姉と同様)・兄33歳(母とDV元夫の子)・私26歳(父と母の唯一の実子)です。 父の前妻様は統合失調症を患っており、姉と兄の前で自傷を繰り返したため、実家に一時帰省されました。その後状態が悪化し、精神病院に入院。相手方から子供達の正常な発達の為に再婚勧められ、離縁したそうです。間もなく母と再婚し、私が生まれました。その直後に前妻様は精神病院を抜け出し、海で入水自殺を遂げられたそうです。 私がこの事実を知ったのは数ヶ月前でした。 ・私が生まれたせいで自死されてしまったのではないか ・私も彼氏や婚約者に暴力やモラハラなどで鬱に追い込まれ、精神疾患を理由に捨てられてきたので、なりたくもなかった病気で子供と愛する夫を失った前妻様の苦しみが痛いほどわかる(烏滸がましい限りですが) ・前妻様は私を恨んではいないか 近頃はつねにこれらの思いに囚われています。 思い返してみれば、幼い頃から海を見るとわけも分からず涙が出たりその場から離れられなくなったりしていました。 学業・仕事・友人全てにおいて順風満帆なのに、どうしても恋愛だけがうまくいきません。 私が恋愛でこのような目にばかり遭うのは前妻様がそうされているのではないかと知人から指摘されました。確かに、私が前妻様なら後妻の娘など憎くて憎くて仕方ない。 ただ決めつけるのは失礼ですので、今年のお盆はささやかながら私の育った千葉県の美味しいものを用意してお迎えしました。ご冥福をお祈りするのを前提に、一度夢枕に立ってお話したいとお願いしたのです。 水を替え、朝夜手を合わせ、送り盆もきちんとしましたが、お会いできませんでした。 彼女の痛みを思って涙が溢れた時、家鳴りが止まらなくなった(我が家は鉄筋造です)・ベッドで泣いていると、何度かふっと包帯?シップ?のような病院の匂いがした これ以外で彼女の気配を感じることはできませんでした。前妻様は私を拒絶されているのでしょうか。知人の言う通り祟っているのでしょうか。お会いしようにも彼女のお墓は大船渡にあり、津波で流されてしまったそうです。 私はどうすればいいでしょうか。自死のことしか考えられないほど鬱の病状が重く、自分では抱えきれなくなり、こちらで相談させていただきます。

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世界一大好きな祖父の死

祖父が亡くなって約1年経ちました。 世界一大好きな祖父です。慈悲の心を持った、まさに仏様のような祖父でした。無償の愛でいつもわたしを可愛がってくれました。 なるべく側にいたのですが、たった1時間ほど席を外した時にちょうど息を引き取りました。代わりにわたしの兄弟、父が看取りました。 看取れなかった、自分のタイミングの悪さに大変後悔しました。でも、心のどこかで看取るのが怖いという思いも少しありました。 大切な人が亡くなるという体験は初めてでした。 夢に出てくるかな?なにかわたしに言いたいことあるかな?といつも考えてますが、不思議な体験もなにもありません。 母方の祖父なので、お仏壇は母の兄に引き継がれました。 色々な事情があってお仏壇には行けないのですが、心の中の思いや拝みは届いているのでしょうか。(遠くに住んでいるのでお墓参りも年に1度くらいしかいけないです…) 祖父は浄土真宗、わたしは浄土宗です。 私が結婚したらまた宗派も変わってしまうかもしれません。それでもいつか自分が死んだ時に会いたいです。宗派が違っても、いつか会えるのでしょうか。毎日思い出します。あっちの世界でも、どうかしあわせでいてほしいです。 祖父の死から色々なことを学びました。いつも見守ってくれていると信じて生きたいです。

有り難し有り難し 3
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離婚した元夫が孤独死し、悲しい

初めてご相談させていただきます。 私は11年前に離婚し、1人息子を引き取りました。その後息子は成人し、現在は自立しています。 元夫とは、息子の進学や就職、近況報告等で時々連絡を取り合っていました。 昨年、元夫から体調が悪く仕事(自営業)を休んでいること。信頼していた人に、売上金を持ち逃げされたこと。その為下請け業者に支払いができず、多額の借金を抱えたこと。返済もままならず、督促から逃げるために夜逃げ同然で引っ越したこと。住民票も異動できず、健康保険にも入っていないことを聞かされました。 私は、まずは病院に行くように説得しましたが、元夫はもう全て投げやりになっていました。保険証もないため、そんな莫大な治療は払えないと言いました。今ある手持ち金が尽きたら、もう死ぬしかないというようなことも言いました。 でも私は諦めて欲しくなかったので、メールでいくつか相談できる窓口を調べて送りました。 それから暫くして、私にがんが見つかり、すぐに手術を受けました。幸い初期だったため、社会復帰もできると喜んでいた頃でした。 息子から元夫が亡くなったと連絡がありました。 部屋の中で倒れているところが見つかったそうです。2か月ほど経っていたそうです。 もしかしたら、元夫は自死だったのではないか?あの時、私が無理矢理にでも病院に連れて行ったら、こんなことにはならなかったのではないか?どんなに心細く、無念だっただろう。私は治療を受けてこんなに元気になったのに…。でも、借金から逃げているという苦しさから解放されて、安心しているかもしれない…など、様々な感情が押し寄せ、胸が苦しくなります。 私が供養することは、元夫は喜んでくれるでしょうか?

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祖父の死と私の因果応報

お世話になります。 去年の12月に大好きな祖父が亡くなりました。 この死に私の因果応報が関係しているのではないかと未だに思い悩んでいます。 去年の6月に現在の会社に入社しました。 私には1人直属の上司がいるのですが、 この上司はサボったり他の社員の悪口を言ったりして私は好きではありません。 12月になり繁忙期にも関わらずサボり具合がひどくなってきて(お昼以外はほぼ寝ていたりボーっとしていたり) 私はイライラしていました。 上司はいつも定時で帰るのですが、 その日は自分の席で寝ており、少し定時を過ぎていました。 私は早く帰ってほしくて、かといって起こしてあげるのも嫌なので暖房を消してしまいました。 魔が差してしまいました。 少ししたら上司は起き、帰宅しました。 そしてその次の日に祖父が亡くなりました。 祖父は亡くなる一年前から2回ほど入院したり、転んでケガをしたりという事がありましたが、普段は元気でした。 確かに亡くなってもそこまで不自然ではないのですが、タイミングがタイミングなだけに 私はゾッとしました。 私のした事で間接的に祖父を殺してしまったのではないかと思ったのです。 こんな事なので誰にも相談出来ず 今日まで来てしまいました。 墓場まで持っていこうとも思いましたが抱えているのが辛く、相談させていただきました。 上司は持病があり少し寒がりでした。 魔が差したとはいえやってはいけない事をしてしまったと反省しています。 ちょっと仕返ししてやろうと思いやってしまいました。 お坊さんの見解をお聞かせください。 宜しくお願い致します。

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特に悩みはないけど、希死念慮が消えません

初めての相談です。 物心ついた時から希死念慮が消えません。 もちろん楽しいことをしている真っ最中や、そう言った予定の前日は消えますが、基本的に死にたいという漠然とした思いがあります。 中学生の時、祖母と同居するようになり、ストレスがひどくなりました。 毎日祖母と母親が喧嘩するからです。 母親は祖母から躾という理由で暴力を受けていたこともあり、私は祖母のことが嫌いでした。父も母も祖母のことは嫌いで、家庭環境は最悪でした。 先日祖母が亡くなりました。道徳的に問題があるとは思いますが、人生で一番嬉しい瞬間でした。 この時、今後は一切のことに悩まず毎日明るく楽しく暮らそうと決意しました。 しかし、実際は仕事が思うように進まないなど小さなことで不安になる自分を変えられませんでした。ちょっとしたことで死にたいと思ってしまいます。また、不安なことがあると夜寝れなくて、次の日思うように自分の力を発揮できず、そんな自分に苛立つことも頻繁にあります。その気持ちを夫にぶつけてしまう自分に何より嫌気がさします。こんな不安な気持ちにすぐなる自分は人間に向いていないと感じています。客観的に見て仕事も安定していて、人間性がとても良い夫もいて、人間関係にも恵まれている、不満のない人生だと思います。 結局は小さなことに反応し、不安になり、死にたくなる自分に問題があるとわかっています。これだけ死にたい気持ちがあっても死ねない自分の勇気のなさも情けなくてたまらないです。 まとまりのない文章で申し訳ないですが、何かアドバイスが頂ければと思い、相談しました。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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夫の自死と自己嫌悪

はじめまして。 亡くなった夫と、その後の自分の気持ちの持ちようについてのご相談です。 約2ヶ月前に夫が自死しました。とても優しい人でした。私は親の愛を感じられずに抱えていた孤独を、夫は包み込んでくれました。私が好きなことを好きなようにできるよう、サポートしてくれました。私は親に言えなかったわがままを、夫に言ってしまって負担をかけていたのだと思います。 自死の少し前からネガティブなことを口にしていました。仕事のようなものでの悩みは本人から聞いていました。その中で自分が消えれば全て解決、とか、妻である私のためには自分はいなくなった方がいい、などです。私は大丈夫大丈夫と励ましていましたが、それが余計追い詰めたのではないかと思います。 病院に通院してなかったのですが、おそらく心を病んでいたのだと思います。元々精神的に強い人だったこともあり、私がそこまで重く考えずカウンセリングに行こうという発想が出来なかったこと、私の不適切な判断と、夫への甘えからこうなってしまったと自己嫌悪でいっぱいです。 泣いてばかりだと亡くなった人はは成仏出来ないと聞き、はやく前を向かなければと思うのですが、なかなか自己嫌悪から抜けられません。 また亡くなってからの日にちが経つのが遅く感じ、まだ2ヶ月か、いつになったらこの苦しみが落ち着くのか、と目の前が真っ暗です。 自己嫌悪と前を向くことへの狭間でとても苦しいです。 どうやすれば折り合いをつけて、早く夫が成仏できるように前を向くことができるのでしょうか? 心の持ちようを教えていただきたいです。

有り難し有り難し 18
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