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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4578件

納骨について

初めてご相談させていただきます。 地元に住む8つ離れた弟と連絡が取れなくなりました。 私は遠方に嫁いでおり、 母は14年前に父は昨年他界。 母の死去後、父と二人で暮らしておりましたが その当時から度々生活費を工面するように頼まれ、面倒を見ることもありました。 こんなこと言うのもいけないのですが、 これまで両親に守られてあまり世間を知らず自立出来ずにきたように思います。 仕事が不安定な上、父の死去後は自分一人で暮らしていかなくてはならず、いっぱいいっぱいになったのでしょうか? 部屋の管理会社から連絡があり、家賃滞納のことや今後部屋の更新は出来ず解約になること、 その際の部屋の荷物の撤去について、 本人と連絡が取れないので弟の代理でお話を受けました。 部屋の立ち入り調査もしていただき、 帰ってきている形跡があるので緊急性はないとのこと。両親の最期を看取った弟なので、おかしな行動はしないだろう…と思いながらも、 最悪の事態も覚悟をしていたので、その点だけはほっとしました。 私も弟に連絡を入れているのですが、 携帯も応答がなく一切連絡が無い状態が続いています。 弟の意思確認も出来ないところで部屋の解約に向けて話が進んでいます。 滞納分は立て替え今月末までは貸していただけるようになりました。 部屋には父の遺骨があり、未だ納骨出来ておりません。父方の実家に母の遺骨を置かせてもらっているのですが、父は親族と絶縁状態。 生前、よく弟に実家にだけは連絡してくれるなと話していたそうです。 うちは元々お墓もなく、姉弟でお墓を立てる余裕もなく、弟としてはいずれは母も地元に連れてきて、父と一緒に永代供養を…と話していましたが、このままではそれすら叶いそうにありません。 嫁いだ身ではありますが、 私が父の遺骨をこちらに持って来て、 近い場所で送骨や永代供養も考えています。 主人には全て話をしていますが、 これ以上主人にも義両親にも迷惑をかけたくない思いと、パート勤めの私に出来ることはこれが精一杯なのも事実ですし、両親には申し訳ないと思う気持ちもあります。 私にもこちらの生活がありますし、 これ以上弟の面倒を見切れない思いもあります。 私の選択は間違っているのでしょうか? 両親は悲しんでいませんか? ご助言いただけると幸いです。

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亡くなった愛猫についての相談です。

去年の夏、12年飼っていた猫の体調が悪くなり動物病院で検査して貰ったところ、数値が悪いことが判り、覚悟しておいた方がいいですよ言われ自宅でお薬を飲ませて看病をしていました。 その頃、隣で建物の建設が始まることになり、騒音や振動で平穏な生活がおくれない恐れがあるため、建築会社と相談し、建設が落ち着くまで私ひとり近くのアパートに引っ越しすることになりました。その間、猫はそのまま元の家に置いて、主人が仕事から帰って次の日仕事にでかけるまで元の家で猫の世話をしていました。 主人によると、猫は主人が帰ってきたらちゃんとお出迎えに来てくれて大丈夫いつもと変わらないと伝えていました。 それから数日後、主人が出張になったため、ときどき利用している動物病院内にあるペットホテルに預けることにしました。 そして、その預けている間に容態が急変し、亡くなってしまいました。 亡くなった翌日、主人が動物病院(ペットホテル)に亡骸を引き取りに いって、そのまま市内のペット霊園で火葬し、遺骨は同じペット霊園の 祭壇に置いて貰っています。 火葬して貰った翌日が、ちょうど月に一度の合同供養祭であったため 私も、その合同供養祭に参列していっしょに拝みました。 それから2〜3日して今日まで毎朝、愛猫が夢に出て鳴いてます。 たまに夜中にも出ます。それから犬や他の猫、小鳥男女若い人間までも 夢に出てうなされています。 この悩みも聞いて貰おうとペット霊園の合同供養祭をとりおこなって いるお寺さんにも話してみたのですが住職が退院したばかりで相談に のることは難しく、また実際に合同供養祭をとりおこなっているお坊さんはそのお寺で雇っている人とのことでした。 元の家では、祭壇を作って毎日お水やご飯や好きだった食べ物をお供えし、毎朝お線香も立てています。 元の家で主人と食事をしていると、愛猫が生前、私達の食事中にいつも立ててた”コンコン”という音が聞こえたり、猫が自分でドアノブを開けるときの”ガチャガチャ”いう音が鳴き声と一緒にしたりします。 さらに、寝ていると上から他の猫もジャンプして降りて来たり、顔にへばりついたりします。 前にも書きましたが、昨年、愛猫が亡くなってからこのような現象が毎日続いており、落ち着いて眠ることができず、体力的にも弱って来ています。 落ち着いて眠りたいです。どうしたらよいでしょうか?

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2022/11/14

経木塔婆の名前が間違っていました

先日、知人がお勧めしていたお寺のお坊さんに経木塔婆を複数頼みました。 一か月の供養の後、送られてきた塔婆ですが、名前を間違えない様にと申し込みの際、説明書きと口頭でも伝えたのに、複数お願いしたもののすべてで名前や戒名など、どこかしらが間違っていました。 連絡したところ、お経をあげて送りなおしてくれるとは言ってくれましたが、憮然としたものいいと、古いほうは当方で処分してもらって構わないという発言等で不信感を抱いてしまいました。 また、お寺さんの方から折り返し連絡しますと言っていましたが連絡も来ず…。 そのご住職はいろいろなSNSや動画サイトで二桁に近いアカウントをもち、仏教とおおよそ関係ない内容のものを毎日幾度も違う媒体ごとで更新しており、それをたまたま目にすることでどんどん気持ちが切なくなってしまいます。 先方のご住職にケチをつけたいわけではありませんが、ここまでSNSの更新頻度が高いのに戒名すら確認してくれないんだな、と思ってしまいました。 かなりの理由があって檀家寺以外に申し込んだものだったので、心が狭いのは重々承知の上で、新しいものも古いものも手元に置いておきたくないというのが正直な気持ちです。 重ねて、自分は霊感のようなものがあり、名前を間違えて行った供養は供養にならないと考えています。 お坊さん側からのご意見を伺いたいのですが、名前を全てで書き間違える、こういったことはよくあることなのでしょうか。 また、もう新しいものは不必要ですので作り直さず、今ある塔婆などは手元において来たくないので引き取ってくださいというのはできますでしょうか。 返金してもらいたいとは思っていませんが、誰のためかもわからない供養にお金を払ったことが気持ち悪く感じてしまうため、その分募金でもしてほしいのが正直な気持ちですが伝えたらクレームにしかならないですよね…?

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檀家に半強制的に入らされた?

私の実家の父が6月に他界しました。 父は生前、神道を信仰しておりましたが、会費が未払いの為いつの間にか脱会の形で無宗教になっておりました。 なので、葬儀は葬儀社が手配したお寺(曹洞宗)にお願いしました。 その時に、今まで神道だったが無宗教になったこと、檀家には入らない事などを伝えて、ご住職から「お位牌に書く俗名に戒名料が要らない『信士』を付けておく。」と仰ってくださいました。 葬儀は、枕経、通夜、葬儀と続けて初七日を執り行いました。 ご住職から中陰法要と四十九日法要の指示がありました。 先日も三七日法要をお寺で済ませましたが、その時に、ご住職から「お寺用のお位牌と家用のお位牌の二つを拵えて四十九日法要まで持って来ること。本年初盆の追善供養(施食会供養)で三万円以上いること。」を言われました。 位牌を四十九日法要まで間に合わないと思い、慌てて仏壇店に行き注文しました。 あとで、お寺で永代供養にお位牌を置くことは檀家に入る事になるのでは?と思いお寺に確認しました。 そこで、ご住職が「当たり前です。檀家に入らないのであれば自分たちで勝手に供養することになる。戒名が信士だから年会費六千円です。」との返答でした。 実家の母(介護が必要、介護2)は、「年会費六千円なら檀家に入る。」と言っております。 しかし実家には、母と身体障害の姉がいるだけで、喪主をしておりました弟は遠方に住んでいます。 弟は、「檀家当番は家の事情を説明すればいい。寄付も強制ではないから大丈夫。」と安易に考えております。 本当に大丈夫なのでしょうか?檀家当番は嫁いで家を出た者がするべきなのでしょうか? 寄付は、現在母の年金だけで生活している為無理です。 いろいろと寄付を募る様に言われないかと心配です。 檀家に入るとは一言も言っていないのに、腑に落ちない気持ちもあります。 お骨を実家では置く場所がなく、お寺で四十九日まで預かってもらうのですが、この事も檀家に入った事になっているのでしょうか? お墓は父の生まれ故郷に先祖代々の墓がありますので、遺骨はそこに入ります。お寺の敷地内に墓は建てません。

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分骨したものの…

昨年11月に8年連れ添った夫が病死しました。 葬儀は住まいと勤務先の有る自宅近くで行いました。(北日本) 当然、埋葬(納骨)もこちらのお寺にするものと考えていたのですが、葬儀の打ち合わせ時に、夫の実家の菩提寺(関東)に埋葬すると義両親より伝えられました。 何とかこちらの気持ちを組んで頂くよう話し合い分骨して貰ったのですが、張りきって(語弊はあるのですが)遺骨を持っていった割には、祭壇に御供膳やお団子などお供えするわけではなく、終いには、前日の残りご飯で良いかね〜などと言う状態。 息子を連れて帰りたい気持ちはよくよく分かるのですが、日々の供養に対して温度差がある様で私としては腑に落ちない気持ちでモヤモヤしています。 (陰膳として仏壇にご先祖様の位牌があり、長く供養をしています。) 地域差が有るのは重々承知しておりますが、私としては嫁に取られた息子を取り返したとしか見えなくて…残念です。 かと言って、私と息子で遺骨を抱えてしまっても、これから先の人生で何があるか分からないとも考え、義両親が健在のうちは供養をお願いしようと決めたのですが。 分骨したので、私と息子の思うように供養はしており、この先もしていくつもりです。 が、このモヤモヤした気持ちのまま、義両親と今後も付き合いを続けていく事にとても抵抗感を持ってしまいました。 しかし、義両親にしてみたら息子(孫)が一族の跡取りで(初孫で男の子、他に孫はいない)、かなりの期待が今から鼻息荒く見えています。 四十九日を前にして「母親が子供が居るのに女に成ってはいけない」と釘を刺される始末。 息子のことを思うと、父親の存在は避けて通れない事。亡くなった夫を忘れさせる必要は有りませんが、成長していく上で何かの形で父親としての存在が必要になるはずではないかと考えます。 私が踏ん張って母親と父親の二役をやれば良いのでしょうが、私も人間。心が折れることもあることでしょう。 この先、自分はどうあるべきなのか… 考えれば考えるほど思考が停止して、頭の中が白紙となってしまいます。 今後の義両親との付き合い、息子にとっての父親、自分の人生、、、 どれも重くて、簡単に答えを出してはいけないと思い、余計に自分が苦しくなってしまいます。 何か良いアドバイスを頂けると、この先の道標になるかと思います。宜しくお願い致します。

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不思議な体験

今年初めに父を亡くし2か月がたちました。 父の様態が急変した12月末から今日までは、まるで時が止ったようであり、時として目の前を時間が猛スピードで通り過ぎるという、相反する様な感覚を覚える、そんな不思議な時間が過ぎて行きました。 2月末に49日の法要を済ませ、今日お寺さんに家に来ていただきご本尊の開眼供養を営んでいただきました。 朱の蝋燭にお霊供お供え物を用意し、ご住職に読経をしていただいたわけですが、読経の最中に二度三度突然蝋燭の炎が高く燃え上がったり、風もないのにゆらゆらと炎が揺れ動いたりという不思議な体験をしました。 開眼供養に参列した叔母は、後でご先祖さまや亡くなった父が喜んでいたのではないかと話していました。 開眼供養の後、ご住職とのお話の後ご住職をはじめ参列した方々が帰られた後、また不思議な体験をしました。 父を亡くした母は、その後もそれ以外の辛い辛い出来事もあり、何事もうわの空と言った状態だったのですが、開眼供養の後父との死別後初めて前向きな内容の話を始めたのです。 その内容はお聞かせするのも恥ずかしいほどのたわいもない話なのですが、家にご本尊をお迎えしたことが母の心に変化をもたらしたのでしょうか? 父の死という私にとっても母にとっても辛く悲しい出来事が仏様とのご縁を結んでくれたのだと考えて良いのでしょうか? 何の面白みもない話ですが、父との別れという辛く悲しい出来事にあたり私を救っていただいたこのhasunohaのお坊様方に、今日こんな出来事がありましたとご報告をさせていただきたくて書き込みをさせていただきました。 また、道に迷ったときにはここに書き込みをさせていただきたく、御礼を言いたくて書き込みをさせていただました。

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愛犬をわたしが殺したと後悔してます

愛犬を2日前に亡くしました。 5日前から食事をしなくなり、獣医に連れて行ったところ子宮蓄膿症と言われすぐに手術したほうがいいと言われました。 翌日、手術することに決めて入院をさせました。帰る前、最後に会わせてもらい、わたしにスリスリすり寄ってきてブンブン尻尾を振っていたので、結構元気だな。と思いながら病院をあとにしました。 翌日朝、病院から「◯◯ちゃん、結構元気なんです。1度退院して体調が落ち着いてから後日手術にしますか?いずれ必ず手術はしなくてはいけませんが」と連絡がありました。 わたしは主人と相談をして、また痛い思いするなら今日手術をしよう。体調が悪化したらかわいそうだ。と決めて獣医さんに今日手術をすると回答しました。 しかし、その手術中に愛犬は亡くなってしまいました。心臓がもたなかったみたいです。 愛犬はわたしに「病院に置いていかれて、そのまま殺された」と思っていそうで後悔ばかりしています。 わたしが手術をすると言わなければ、あと1日は一緒にいれたかもしれない。わたしがあの子の寿命を縮めた。あの子に「また迎えにくるから大丈夫だよ。」と声をかけたのが最後の言葉だったのです。 嘘つきと思っているのでしょうか。どうしてこんなことしたの?とわたしを責めているでしょうか。 わたしが殺したと思っています。立ち直れそうにありません。

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2022/12/25

ペットが祖父の後を追うように虹の橋を渡る

2020年12月25日に長年病と闘っていた母方の祖父が永遠の眠りにつきました。 悲しみに暮れていた折、年明けの1月11日に最愛のペットであるハムスターの男の子が虹の橋を渡りました。 齢で言えば3歳ほどと平均寿命に近く、我が家では2年半以上を共に過ごしてくれました。 私が通院している間をずっと共に過ごしてくれていた光のような存在でした。 身近な大切な存在を同時に失った空虚感にどうしても耐えられず、再び不眠と抑うつ状態になってしまいました。 家族からの助言もあり、初代の子が亡くなった翌々日に、二代目のハムスターの女の子を我が家へ迎えました。 同じ毛色の子を迎えるのは本当に身代わりにするようで、2匹に対して失礼で可哀想なので、まったく異なる毛色の子をお迎えすることにしました。 しばらく経つと、父方の祖父に重篤な病が見つかり、手術と入院を繰り返すも、ほどなくして眠りにつきました。 悲しむ私の心に灯りをともしてくれたのが、二代目の女の子です。 奇しくも母方の祖父の命日の前日である、2022年12月24日に虹の橋を渡りました。 2歳になったばかりで、我が家で過ごしたのは11ヶ月半でした。 前日晩も元気にご飯を食べて動き回っていたのに、原因不明の急死でした。 苦しみにもだえながらではありましたが、私の掌の中で家族と見守りながらお別れできたことだけが唯一の救いです。 その日の夜、泣きながら眠りにつくと先代の男の子が夢に出てきました。私の指に静かに撫でられているので「2代目の子は?」と聞きましたが、静かに私を見つめるだけで、気がつくと消えていました。 母は「2代目の子はあなたを支えてきて、もう大丈夫だと思ったから役目を終えて眠りについた。 初代の子は、2代目の子をちゃんと導くからねとあなたに言いに来たんだよ。次はあちらにいるじいちゃん2人を見守るために行くんだよ」と言っていました。 「ペットは飼い主を選んで生まれてくる」「役目を果たすと命を終える」という話もみかけたのですが、流石に人間に対して都合が良すぎると感じてしまいました。 何か運命的なもので定められた出来事なのでしょうか。 また、最期に苦しませてしまってずっと後悔と申し訳なさを感じています。 家の都合でペット葬ではなく、共同墓地のようなところに入れざるを得ず、彼らが見捨てられたと思っていないか不安です。

有り難し有り難し 3
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母の死を乗り越えられません。苦しくて苦しくて耐えられません。

私は、脳卒中の後遺症のある母と一緒に住み、仕事の打ち合わせに出る以外、毎日母の介護をしておりました。 その母が体調を崩して入院し、合併症で長期入院してましたが、良くなってきておりました。 ですが、新たな合併症を併発してしまい、突然亡くなってしまいました。 いっぱい苦労かけさせてしまいましたので、後十年生きて欲しかったんです。そんな願いも、叶わぬ願いだったことが悲しいし悔しくて。 二十一日参りが良いと聞いて、毎日神社参拝続けましたが、結局このような結果となり、胸が張り裂けそうです。 後追いまで考えそうですし、生きる気力がないし、生きる意味がないと思えてなりません。 この苦しみから抜け出す方法を考えると、おのずと自殺の結論に至ってしまいます。喪失感と絶望感だけが残りました。 お袋一筋で介護してきた結果、こんな結末を迎えるなんて、ひどすぎます。 お袋を見ると、思い出が走馬灯の様に思いだし、咽びなく自分がいます。 母が亡くなったことを受け入れらくて、この苦しみが耐えられなくて、死ぬことばかり考えてます。 私は、どうすれはこの苦しみから抜け出せるのでしょうか。お助けください。

有り難し有り難し 213
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前回の投稿の続きです

8歳で離婚し、母親につれられて他県に住むことになりました。それから父親とは会うこともなかったです。養育費は払ってなかったようです。 中学の時、兄に誘われて妹ともに父親に会うことになりました。 家にいくとちち父親は韓国人の女性を肩に抱きながら出迎えてきました。何を話したかは覚えてないです。ひとつわかることは僕はとても丁寧に受け答えをしたということです。 そして高校二年の春、兄が自殺します。 入れ替わるようにそれから僕は父親に会うことになりました。まず言ってきたのは 「俺の面倒はお前が見るんだ。家族なんだから当然だろ。妹や母親がピンチになったらお前が支えなきゃいけない。長男で男なんだから」 僕は納得がいかなかったけど悩むことになりました。 父親と会うことになって話したのはまず、自分の過去のことです。 父親は若いときはマリファナとかつあげの常習犯であり、札付きの不良だったこと。 それで人生や、世間というものがわかり、その過去が自慢であるというのです。お前も悪いことしてみろ。いろんなことがわかると。犯罪を薦めてくるのです。 次に兄との思い出になります。離婚したあとも兄は父親と会っていました。 まず兄の恋愛関係についてかなり文句をいっていたようです。ろくでもない女、とか。女を見る目ないとか。自分の女性はこうあるべきみたいな話を散々してたようです。これは僕もたくさんされました。 次に人生論や説教です。異常にやることなすことに口を挟み、怒鳴り付けてたようです。またハードルも異常に高く、それらを、全て僕たちのためだと、いい張っています。これも僕が嫌気が差した部分です。人生論はあまりにもたくさん言われたので覚えてません。わかるのは会うべきではなかったこと。 ひとつわかるのは、柔順で良い子でなければ異常にキレるということ。母親と同じです。 大嫌いです。なんであんなやつから生まれたんでしょうか。 今独り暮らししてますが家からは遠くないです。あんなやつが会いに来れると考えると嫌気 がさします。まだ、住民票を変えてないのでわかりませんがいずれ通る道です。 もうむちゃくちゃです、わけわかりません。死ねば良いのに。 こちらの居場所がわかればかならず近づいてくるでしょう。その時がきたらきっと、めんどくさいことになるでしょうね

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2024/11/24

飼っているインコの命を奪ってしまいました

昨夜、生後7ヶ月、我が家に来てからはまだ半年程のインコが亡くなりました。 原因は私にあり、2日前(無くなる前夜)に床に投げつけてしまいました。 相談は、①私が命を奪ったインコは報われるでしょうか。 ②醜い考えですが、どうか私の家族を祟らないで、私を許して、という考えが浮かんでしまいます。私は何が未熟で、私はどう償うべきでしょうか。 ↓以下詳細です その日は籠に帰りたがらないインコを追いかけていました。いつもはすんなり帰り、私が捕まえてもあまり嫌がらない子でした。 ようやく捕まえた時に嫌がり、少し噛まれました。驚いた私が手を払い、周りあった物が落ちてきて私に当たりました。 私に刃向かった気がして一瞬でカッとなり、手の中にいたインコを床に投げつけてしまいました。 急いで様子をみると足が痛そうでした。もしかしたら内臓も損傷していたのかもしれません。それ以来ご飯を食べれませんでした。 その時はそんな事も考えず、良くなるだろうと、籠の中を保温し、捕まりやすいように広い足場を作り、そっとしておきました。 翌日(亡くなる少し前)、夜に一気に弱り、これは私が殺してしまうのだと怖くなりました。 息も絶え絶えの中、耳元で謝りました。 インコにとっては迷惑だったでしょう。私は自分が許されたいために、生きている間にその言葉を届けただけです。 どうか私の子どもや家族を恨まないで、祟らないで。そんな気持ちでした。 亡くなった後、動画を見返して、切ないです。 インコが私の手の温もりを求めて追いかけている動画です。ピトッとくっついてきて、目を細めてうっとりしている様子が…。 一応私を好いていてくれていたのかな…? 私もこの子の重みが手のひらにある時、とても嬉しかったです。少しでも手のひらにくっつこうと、体勢をかえてモゾモゾしている姿が可愛くて。 あぁ、殺してしまった。こんなに直接的な命の奪い方は予想おらず、とっさの感情で私はなんて事をする人間なんだ。 それとは別に、どうか恨まないで、祟らないで、どうすれば許されるの、と身勝手な考えが止まりません。浮かんだ瞬間、なんて醜い考えをするのか、と掻き消します。 どうかあの子が報われますように。私に飼われなければもっと長らえた命。一緒に居てくれたのに裏切ってごめんなさい。もっともっともっと責任と覚悟をもって命を守ってあげるべきでした。

有り難し有り難し 21
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うさぎが亡くなり後悔が残っています。

2年5カ月前、近くの草むらに迷い込んだのか捨てられたのか分かりませんが、迷いうさぎがいて、1週間通い保護しました。 その子が闘病後亡くなり1カ月が経ちました。 体調が悪くなり病院に何度も通い様子を伝えましたが、数名の獣医師が詳しく診察することもなく、別の獣医師が検査をして病気がわかりました。 その時には重症となっており、4カ月の闘病生活をし、最期は呼吸困難となり苦しみ亡くなりました。 あの時、別の病院に行っていたら結果は違っていたのか、私の介護が間違っていたのか、など考えてしまいます。 2年5カ月と一緒に過ごした月日もあっという間で、もっと生きていたかったのではないかという思いや、病気を早く見つけてあげられなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。 私が保護せず、他の方が保護していたらもっと元気に過ごせていたのではないかなどと考えてしまいます。 亡くなると、生きていた時の苦しみや痛みはなくなりと聞きますが、旅立った子は今は苦しみから解放されているのでしょうか。 亡くなったあとも近くにいる気配を感じる方がいると話を聞いたこともありますが、私には感じません。苦しんで旅立ったので、もう近くにいたくないのかとも考えてしまいます。 短い年月ではありましたが、とても大切な存在で、保護した時よりも日増しに表情も穏やかになってとってもかわいい子でしたが、今は最期の様子しか思い起こすことができません。今は苦しみから解放され過ごしていてほしいと願うばかりですが、どのように供養すればあの子はこれから穏やかにいられるのでしょうか。 アドバイスを頂けたらと思い質問させていただきました。

有り難し有り難し 15
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彼が亡くなりました

6年前、10年程お付き合いしていた彼が自殺しました。遠距離でのお付き合いでした。遺書のようなものは無かったようですが、彼の残された携帯電話を確認させていただくと、飲食関係の女性あてにメールをしたものが残されており、一番大切に思っている旨が書いてありました。 心を持っていかれてしまっていたのは、彼の行動からなんとなく気づいてはいましたが、やっぱりショックでした。 亡くなる数ヶ月前に、酔って呂律の回らない彼から電話があり、自分はうつ病だと泣きながら話されました。 彼はお酒を飲むと、記憶を無くすまで飲むことが多々あり、またその時の様子を訊ねたりすると怒ってしまうことがあったので、それ以上、私から触れることはしませんでした。 彼を救うことが出来なかった自責の念、後悔、他の人を思い亡くなったのかというモヤモヤとが入り混じる気持ちが消えません。 彼の実家は遠方のため、命日には、お花を送らせていただいておりました。 コロナ禍のこともあり、お墓参りにも行けずにいます。 ここ数年、特に考えてしまうことがあります。お花や手紙を送らせていただくことは、私のエゴではないのか? 彼のご両親に、逆に辛い思いをさせてしまっているのではないか?と。 私はどうすべきなのでしょうか? 死んでしまえば楽ではないかと考えたこともありますが、残された人に私のような辛い思いをさせたくはない一心で、なんとか踏みとどまる日々です。 未だに気持ちは前を向くことが出来ず、心無いことを言う友人からも距離をおきました。 まとまりのない文章で、大変申し訳ありません。 今後の彼の供養や、彼のご家族に対しての距離感、私の進むべき道をご教示いただきたく相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
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