疑いや一歩引いた目で回りを見てしまいます
今回は私の個人的な思いについて相談させて下さい。
私は、実家の方で生まれて特に不自由な生活をしていた訳では有りませんでした
が、親戚や親から「将来、立派な人に成りつつ家を養って欲しい」と幼い時に言われ、また家族自体も金銭や社会的体裁に執着しており、生活自体は困っていない様でしたが、困ってないが故に更に多くの欲を求めている様に見えました。
私が見る中で家族や親戚も求道者で、様々な立場も有り金銭が満ちていれば、様々な事も出来ると思っており、当時は否定しませんでした。
が、「どんな方法を使ってでも、自分達を潤す立場を手に入れ、他者を貶してでも奪い取る」と言う姿勢に違和感を感じました。(今は実家の方々の考えが熱に侵されている様で見られず、家元を離れました)
実際、学校や社会など僕が見渡す中での方達が、日々を働き過ごしながらも、どこか時間や考える事に余裕が無い方やSNSやネットや学校や社会の中で悪口や誹謗中傷や与えられた価値観の中で揉まれ自分自身の言動を顧みず暴走している様な人々がいたと思います
要は「一人で有っても個人事業や成果を残し、物事を極めている人には媚びる」対して、それを得られず、手助けを必要としていたり精神や社会的、集団的価値観に悩んだり、成果を残せない者は叩く。そして絶対的な価値観を変えず、テレビやネットなどの有名人やニュースに盲信したり、金銭や生活を投げ出す様な自己犠牲による手助けで無く、自己放棄による退廃を望むように熱中する人々。
私は、その様な人々を見て、物事に熱中と言いますか盲信する様な一つの考えに執着できず、他者や社会的地位に在り付く人々、個人や企業や集団に対して、褒め言葉や悪口に対しても一歩引いた様な目で見つつも懐疑的に成っている自分が居る事に気づきました。
どこか追い立てる様な言葉を掛ける人々に呆れ、もしや自分を守ろうとする意志が強く、何故そこまで個人や友人や恋人に対して、夢中になれるのだろう?と猜疑心を持っているかもしれません。
お坊さんにお尋ねします、この様に慎重で疑いつつ、宴会や催し事の様な時でも熱に焦がれたり、夢中に成る事が出来ず、一歩引いた様な目で見たり、自分と人生について考え、他者に特定の事を言われるより自分で何かをしたいと思う時だけ集中出来る。
この様な心持で良いのか、正直迷っています。お坊さんの考えをお聞かせください
有り難し 8
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