親の過干渉から、息子を自死に追い込みました。夫婦ともに自責の念がありますが、私は夫を責める気持ちも持っています。夫は、全部自分のせいだ、と言っているのに、私は未だに夫を許せずにいて、何かにつけて、イライラします。 夫は、私を気遣ってくれていましたが、最近は何をしても裏目に出る、と関わらないように家庭内別居状態です。 遺された子供が、穏やかに過ごせるように、私も穏やかでありたいです。つまり、夫にも穏やかに過ごしてほしいのに、術がわかりません。
初めまして。湯屋と申します。 ご多忙な中、読んで頂き、感謝申し上げます。 どうしても自分では解決出来ない悩みと不安があったため、こちらへ投稿させて頂きました。 悩みとは、病気への強い不安についてです。 私には、優しい旦那と可愛い5歳の子どもがいます。離れて暮らす実家の父母も、真面目でしっかり者で良い関係を築けていると思います。 私には持病が二つあり、大学病院へ定期的に検査を受けに行っています。(直接命に関わるものではありません) しかし最近、身体の不調がとても多く、節々が痛むたびに、「大きな病気だったらどうしよう」と不安になります。(なるべく病院へは行っています) 長生き願望はありません。しかし、私が大きな病気をしたり、死ぬことにより、大好きな家族に負担を強いてしまうのが申し訳なくてたまりません。「死ぬことが嫌」というより、「私が死ぬことで大好きな家族に寂しい思いをさせてしまう。多大な迷惑をかけてしまうのが申し訳なさすぎる」という思いです。 朝起きてから寝るまでの間、常に「病気だったらどうしよう」といちいち不安になってしまいます。つい最近、父の癌が発覚したことも大きいかもしれません。 先のことでいちいち不安になるより、今という時間を大切にしたい!そう思うのに、頭に浮かぶのは、病気のことばかりです。何か症状があると、すぐにスマホで検索しまくってしまうのもやめたいです。 一日病気の不安に怯えてしまい、ストレスに潰されそうです。 病気に怯えてばかりいるではなく、いま自分が生きる現実を大切に、前向きに楽しく暮らすにはどうすれば良いでしょうか?どうすれば、病気の不安を断ち切れるでしょうか?アドバイスを頂けると助かります。 最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。
父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?
初めまして。ご覧いただきありがとうございます。 私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。 なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。 私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。 そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。 また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。 中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。 そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。 そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。 身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。 既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。 生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。 自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。 しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。
父が63歳で亡くなりました。 再発した脳出血が原因でした。 1度目の脳出血は私が中学3年の時。 思春期真っ只中で、親がいなくなる恐怖を味わいました。 その恐怖は私の心に大きな影響を与えました。 当時の父は血圧正常、喫煙飲酒も並で、医師からはハッキリした脳出血の原因はわからないと言われたものの、その時の父は仕事のストレスが大きく、ストレスからではと言われたそうです。 私が社会人になって3年目、父2度目の脳出血。 出血した部位が悪く、入院生活1年半で、父は亡くなりました。 父にとっては苦しい1年半…でも、私たちにとっては貴重な1年半でした。 父がいなくなる心の準備ができた1年半。 最後まで家族の為に頑張ってくれた父でした。 現在、私は結婚し、生後半年の娘がいます。 中学から身内の死を身近に感じたからか、いつも旦那が先に亡くなったらどうしよう、1人になったらどうしようという不安があります。 特に最近、旦那は仕事が大変でストレスを溜め込み、暴飲暴食が目立ちます。 仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。 暴飲暴食も心配ですが、それが旦那のストレス発散だと思うと止めることもできず、「体を大事にしてね」と一言言うだけしかできません。 しかし、私の心の中では、この暴飲暴食が原因で病気になったら、止めなかった私の責任だと葛藤しています。 「仕事しんどかったら辞めてええんよ、自分の体を第一にね」と言うものの、その言葉が彼の心の負担を和らげられているのかどうか…。 親の死を見送るのは子どもとして当然、でも旦那の死は受け入れられない! だから私よりも長生きして欲しい! ストレスで病気になった父。 旦那もストレスで病気にならぬよう、少しでもストレスをとってあげられるような声かけ、行動などあればアドバイス下さい。
最近、カフェイン断ちに成功しました。 1年半ぐらいでしょうか、急性カフェイン中毒が慢性化していました。 精神疾患がなかなか善くならないので、気分の落ち込みをUPさせたかった… そして「浄化」する為に「下剤効果」を得たかった… しかし、「急性カフェイン中毒」が「慢性化」して1年半も経てば、確実に「死」が近付いていることが分かってきます。 具体的な「中毒のなり方」を書くと、私と同じ症状に陥る方、私のように「死」を目指す方が現れると困るので書きません。 「カフェイン断ち」は、とてもしんどいです。 相当な覚悟を持って望まないと、挫折します。 でも、もともとの「鬱病」等々が原因で死ねば、まぁまぁそれなりに家族も私の死を受け止めることが出来るかも知れませんが、関係のない「カフェイン中毒」で死ぬと…きっと「何故?」が増すと思うのです。 でも、止められずにいました。何せ「中毒」ですから…。 これを断つと決めた時、同時に「水中毒」も断とうと決めました。 「水中毒」の症状も相当悪く、体に水が溜まり過ぎて、呼吸出来なくなりそうな状態になっていました。 それを同時に断つと決めたのです。 「無言実行」であり「有言実行」である自分の性格を利用しました。 主治医とカウンセラーに「もう止めます」と(私自身に)宣言しました。 「このままだと、そろそろ死ぬと思いますので」と。 どちらからも「徐々に減らす方が良いのでは?」との提案がありましたが、「荒修行でないと、甘えが出てきて止められなくなりそうなので」と自ら困難な道を選びました。 「カフェイン断ち」をした際に現れる様々な症状に、精神的にも肉体的にもかなり苦しい日々が続きましたが… 「止めます」と宣言しましたし、「有言実行」に逆らいたくないと思い、耐えました。 今は、「カフェイン断ち」にも成功し、「水中毒」も解消しています。 こちらhasunohaに訪れた時から、止められています。 こちらは「無言実行」です。 本来の持病での「自殺行為」ではない、自分の弱さ故に陥った「中毒症状による自殺行為」。 止められた!もう大丈夫だ!と思えたら、こちらに書こうと思っていました。 カフェイン飲料も水も、普通に摂取するには害のないものですが、異常摂取の「中毒」になれば、死ぬ可能性があるものです。 皆様「ほどほどに」です!
たびたび失礼します。私は大学2年生の女です。 タイトルの通り、将来の事を考えると憂鬱な気分になります。 自主性がないため合わなかったオンライン授業、息苦しい自宅、サークル、将来の就活・公務員試験、奨学金返済、考えると本当につらくなります。 春学期は考えないように、空とか眺めながらやり過ごして居ましたが、期末試験など頑張らなきゃいけない時に精神が病みました。 7月末はゲロゲロに病んでいて、発作的に自分の首を絞めたりしていました。 まあそんなわけで、9月のいついつに死ぬと計画を立て、遺書もどきを書き、ベッドの柵に紐をくくって死ぬかあ! と数度試みるもうまくいかず…………挙げ句の果てに親と友人にも自殺未遂もどきがバレました。恥ずかしさを通り越した虚無感を味わっています。 今日に至るまで、当サイト含むお悩み相談サイトは山ほど見ました 自死についてはそれなりに調べ、自死遺族の方の書き込みも見ました 大学のカウンセラーとは馬が合わず、自死のじの字も話していません 母には「✕✕(私です)の心配してることは大体大丈夫だから……お母さんらも支援してあげるから……」旨の事を言われました。が、あまり信用できず「私が死んだら全部解決するしなあ」としか思えませんでした 家族・友人への迷惑<これから自分が経験するつらい未来 みたいに考えてます。だから今のうちに苦しんででも死ぬ必要があるんですけど、どうも上手くいきません。自分勝手な事を言っているのは自覚しています。 どうしたら良いんでしょうね? どうしようもないんですが 頑張るしかないのは分かりますが、正直頑張りたくないです。春学期は頑張れませんでした。死だけが自分の人生のあがり、救済、ゴールだと思ってしまいます。 長文乱文失礼しました。相談したい:自分の現状を書き込みたい=5:5 ぐらいの心境なので、重く受け止める必要はありません。自分でも自分は面倒な人間だと思います。
バツ2で過去に一度自殺未遂を経験しています。 私の家に再婚者が来て、私の息子と3人で同居する形で再婚生活はスタートしました。 息子が自立し、2年前には3人(前夫と息子と私)で費用を分割できるようになった事から、家族とも相談し、思い切って退職して次のステージのためにアルバイトしながら勉強をはじめていました。 そして突然(昨年12月)、別れたいと言われました。 我が家での暮らしは、夫にとっては窮屈だったようで、亡くなった義母の納骨等が終わり遺産が入ったことも、夫が離婚を切り出すキッカケになったようです。 でも、私には夫からの申し出はあまりに衝撃的で、仕事にも行けず、勉強も手につかず、全くの無気力になってしまいました。 具体的には、前夫の費用負担分をアルバイトの私が(その時はアルバイトにも行けなくなっていた)まかなう事はできないため、金銭的な問題から自殺(ローンがなくなり息子に迷惑をかけずに済む)を考えてしまい、2ヶ月ほど希死念慮が続きました。 それでも息子の支えがあり、ようやく乗り越えたように思っていましたが、心の傷の回復は中々困難なようです。 自尊心がボロボロで自己喪失感がひどく、夫から言われた言葉や態度に傷つけられたシーンが蘇ったり、将来のキラキラした自分を想像できず、更に過去の悲しかったシーンが戻ってきたりして、一人でよく泣き崩れてしまいます。 最近は、息子の前と仕事以外の時間は、精神的に不安定になりやすいです。 年齢的にも、残り時間が見え始めている中 この先を生きる意味がみえず、生きるのが面倒に思え、喜怒哀楽がなく、感動もありません。すべてが無意味に感じ、生きる覚悟が出来ません。 しかしながら、前回(自殺未遂)のように死を選ぶのは、息子の心にも傷を残す事になると思え、何とか生きないといけないのだと理解しているため、死を選ぶ事も出来ず、苦しい気持ちに襲われてしまいます。 相談電話とか、カウンセラーに話した事はありますが、 中々進めないので、何かアドバイスがいただけるのであればと思い相談させていただきます。 長文になりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。
父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。 婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、 話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。 当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて 「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。 遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。 彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。 翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。 この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。 父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。 その所為で死期が早まったのではないか? 糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか? 悔やんでも悔やみきれません… 父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。 最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。 親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。 別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。 それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。 私は愛されていなかったんだ… 今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。 職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。 私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。 葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、 本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに… 父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう? 私は何をそんなに間違えたのだろう? 彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか? たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。 父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。 「お父さん、ごめんね。」 父に会いたいです。
私は生きる執着が強いがために地震や病気に過剰に反応してしまいます。生きたいと言うより死後、無になるのが怖いです。だからあの世の世界を信じたくて霊や死後の世界についての本を見てしまいます。この世が全てだとしたら事件や事故に巻き込まれて亡くなった人の死が理不尽でニュースを見るたび気が滅入ります。でも長生きしたが故に子供の死に直面することもあると考えると長生きが全てではない。死に方は重要ではないと思うようになりました。もともと生まれる前は無でしたからそこに帰るだけなのかなとも思います。生きているから感じる不安や恐怖ですが疲れてしまい、生まれてこなければよかったと小学生の頃から感じています。でも自死はしません。生まれてきてしまったのだから真っ当に生きるのみです。死後の世界もこの世にいる人に語れる訳がないし、否定も肯定もできません。私は白黒はっきりしないと気が済まないので、わからないことに恐怖を覚えます。なので普段あまり悩まないし、答えのないことで悩むことが多いです。生まれてきた意味だってない。ただ、この世は修行だと思うと、わからないことや曖昧なことはありのまま、曖昧なまま受け止められるようになることが課題なのかと思ったりもします。でも、この世でどんな風に生きていけばいいのかわかりません。家族が殺されても、地震が起こっても、戦争が始まっても、隕石が確実に落ちてきて地球が滅びるとわかっていても、動じることなく自分が死ぬまでひたすら淡々と生きるのが人生ですか?人の役に立とうが神様を信仰しようが殺されたり短命の人もいます。いいことをすればいい縁ができると思っていたけど、結局見返りを求めてしまっています。人生が修行なら、その中で楽しいことや嬉しいことを経験できることが有り難く幸せなことですよね。修行はつらく苦しいものだからそれが当たり前なのに、私は恵まれているし幸せです。それなのに過度に不安になったりこの世が全てだと思うと絶望的な気持ちになったりして、罰当たりだと思います。もっと人生を楽観的にというか、いつ死んでも後悔はないし真っ当に生きたと言えるようになりたいです。死後の世界があろうがなかろうがどうでもいい!今を生きる!こんな風に考えられるようになりたいです。この弱さとどう向き合えばいいでしょうか。
3月末に6ヶ月の息子を亡くしました 乳幼児突然死症候群と言われました 余りにも突然で家族も息子を知っている方々も、大きなショックを受けています 発見したのは私です 救急車を呼んで、心肺蘇生もしました けれど、息を吹き返すことはありませんでした お昼寝中に仰向けだったはずが 発見時はうつ伏せでした 病死と診断された今でも私の不注意で殺してしまったと思っています 息子の死から3日間は辛すぎて、お腹が空くことも眠くなることもありませんでした けれど息子には双子の姉がいます 娘のために、いつまでも悲しんでいられない 娘の時間は止まっていないのだから、前と変わらず笑顔で楽しい時間を過ごさなくてはいけない そう思い、「悲しむのは火葬まで…」と心に言い聞かせていました お葬式が終わった後 何故か全く悲しくなくなりました と言うよりも、まるで息子がいた事が夢だったような不思議な感覚になりました 火葬場に入っていく息子を見ても 骨になった息子を拾う時も 帰ってきて写真を見ても 思い出を語っていても 何も感じなくなっていました 最初はそれで良かったのです 決めた通りに変わらず娘に接する事ができるし、家事も変わらず出来ました けれど暫くして 夫が息子を思い悲しんでいる時 一緒に涙を流すどころか冷めた目をして見ている自分に気が付きました 物凄く、ショックでした 私がお腹の中で育て、陣痛に耐えて産み、世界一幸せに…と願って育てて来た最愛の息子です それなのに失って数日でまるで最初から居なかったかのように生活出来ている自分が恐ろしくなりました 本当は愛していなかったんじゃないか 感情が乏しいんじゃないか、と思えてなりません 幾ら記憶を辿っても 息子の名前を読んでみても 遺品を抱いたり、匂いを嗅いでも やはり悲しくなる事も恋しくなる事もありません どうしたら もう一度息子の死を悲しめるでしょうか 変な質問かもしれませんが、アドバイスを頂きたいです 乱文で失礼致しました
初めて相談させて頂きます。鬱病の再発への恐怖についてのご相談です。 現在、2度目の鬱病により会社を退職し、心療内科および臨床心理士によるカウンセリングを受けて治療と簡単なリハビリ約3ヶ月を行っています。 先生方のお力添えのお陰で、日常生活レベルはなんとかこなせるようになってきました。 しかし、慢性的な希死念慮や突発的な自殺企図等、まだ状態が不安定です。そんな自分に心底嫌気が差しています。また、急性期の絶望的な心理状態はもう二度と味わいたくないと思っています。 前置きが長くなりました。 今悩んでいるのは、今の状態が寛解して社会復帰を果たせたとしても、もしもう一度、鬱病で就労不能状態になったら、自殺をしようと決心していることです。 最初の発症時は、鬱病については主治医に教えて頂いたり自分でも勉強をして、再発しないように注意して仕事や私生活を送ってきたつもりでしたが、約3年で再発してしまいました。 勉強してきたなかで「鬱病は治ることはない」「再発率は再発回数に比例して高くなる」ことを知りました。 なので、今回仮に社会復帰を果たしたとしても、また鬱病で就労不能になってしまう可能性は更に上がってしまっていると考えています。 鬱病を発症したことにより、会社や家族に多大な迷惑と心配を掛けてしまいました。また、私自身も鬱病の急性期の辛さや希死念慮との闘いに酷く疲れてしまいました。 なので、もし3度目の再発が発覚した場合、自殺することを決意しています。その為の生前整理(エンディングノートや死亡通知の作成、私物の整理等)を現在進めています。 自殺がどれだけ周囲に迷惑を掛けるかも、不慮の事故死などよりも周囲にショックを与えることも承知しています。 それでも私は3度も鬱病を再発するよりは、自殺した方がいいと考えています。 遺族や友人の悲しみは時が癒してくれるでしょうし、私も長い期間を再び闘い抜ける自信はありません。もう二度と社会復帰することも叶わない気がしています。であれば、逃げでもいいからもう終わりにした方がいいというのが今の私の結論です。 こんな考え方はきっと間違っているのでしょうが、私はこれが最善策だとしか思えません。 他に回答はあるのでしょうか。 お坊様の観点からお考えをお聴かせ頂きたく、お願い致します。
現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。
来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。
今の生活に耐えられないです。 私は精神科に通院していて、何個か診断がついています。全く働いていません。 上手く口が聞けないので、人が怖くて仕方ないです。 家族は私が話せないので、話を聞いてくれないです。私には考えが何もないように扱われます。 私は自分の気持ちを表すのが下手です。 私は人に対して怒鳴ったり怒ったりするのが下手です。自己主張はもっと下手です。 自分の家では、自分のことだけを考えて自分の利益のために動くことが最優先されていて、その価値観に私はついていけないです。 私は人を怒鳴りつけたり、心理的に操って人をコントロールするようなことをしたくないです。 家族が大切だと考えて、行動していたのに家族は全く私の事を考えていないです。 その場しのぎで、共感するふりをしたりなだめたりしますが私の精神がおかしいから、家族に対して不満を持つというようか考えが時々見えてしまって辛いです。私がそう思ってしまっている所も少しはあると思います。 母は数年前から、飲酒で妄想のような精神症状が時々ありますが母自身が一切認めないため、それによって傷つくことがあっても悪いのは全て私になります。 また、飲酒は本人も家族もコントロールできないのに飲酒の問題を指摘すると、そう考えるのはあなたが心の病気だからだと母に言われます。 他の家族は見て見ぬふりをします。 自分の学校や仕事があるからと、母のことを放っておきます。 数年間やっていて疲れてしまいました。 自分自身の調子が悪く、人付き合いをしていないので家族以外の人間関係は0で相談できる人もいないです。 SNSなども調子を崩してから全て辞めました。 誰かに話すにしても、どこから話すのか何が困っているのかもうよく分からなくなってしまいました。 日々少しの楽しいことを見つけたり、薬を飲んだりして感情を誤魔化して生きてきましたが、限界です。 ふとした瞬間に、衝動的に死を考えることがありそのような時は処方されている 薬を飲んでやり過ごすのですが、結局状況が動くことはないのでその繰り返しです。生きていくのが辛いです。 何か状況を変えるために動くとしても、その元気というかエネルギーさえ貯められないです。 現状が変わらないにしても、どういう気持ちというか心構えで日々を過ごせば少しは楽に感じられるでしょうか。
あと4年で死ぬことを決めました。 なんで4年?とか自殺はよくないとかは今回の相談に関係ないのでおっしゃって頂かなくて結構です。 私はこの世とお別れをすることに対してもはや負のイメージは抱いていませんから、なんの希望も抱かず無駄に長生きするよりあと4年好きなように生きてさっさと死にます。 そう考えることで今とても楽になりましたからそれでいいのです。 さて本題ですが、死ぬまでに準備しておいた方がいい事柄がいくつかあると思うのですが、お坊様は職業柄そういったご相談をよく受けるかと勝手に思いました。 お金、家族や友人などに残す手紙等の用意、遺品整理などでしょうか? 他にしておいたほうが遺族が楽だったりトラブルが起きないようなことはありますでしょうか? 家族が悲しむとかわかってますからおっしゃって頂かなくて結構です。
私の母の姉の息子Aさん(50歳)が約2年前に肺癌で亡くなりました。 Aさんのご両親(私からみたら叔父叔母)の叔父さんは10年以上前に亡くなっていて叔母さんとAさん(叔母さんとは離れて暮らしていた)の2人家族でした。 Aさんが亡くなった半年後に会いに行った時は気丈に振る舞っていたのか私には落ち着いたように見えたのですがその半年後にAさんと同じ肺がんが見つかり末期だった事もあって亡くなるまでに時間がかかりませんでした。 Aさんが亡くなる3ヶ月前には母の兄が急病で亡くなっていて20年に母の兄とAさん21年には母の姉と母が続けて亡くなりました。 父が『みんなに呼ばれたのかなぁ』とこぼしていたのですがそんな事はあるんでしょうか? 私は母も父も大好きなので父は連れて行かないでほしいんです。
今年の元旦に長女が薬物自殺したのですが、長女が倒れ前に2度ほど私と旦那のドアを開けたのですが、去年の暮れから鬱で布団にもぐっていました。 倒れた音を聞き飛び起き救急車を呼んだのですが、私の腕の中でわたし死んじゃうかもが最後の言葉になりました。 去年も薬物自殺未遂、中学からずっとリストカットを繰り返していて去年は未遂後1か月精神科に入院しました。 私は葬式後に寂しさと自分の開けたときに異変に気付き救急車をその時に呼んでいれば助かったのではと思い後悔で自殺しようとして失敗し2か月精神科に入院しました。 長女は私死んじゃうかもの後にお母さん助けてと言いたかったのではないかと思えてなりません。 私は母としても人としても最低です。 家族に恨まれ嫌われるんが怖くいえません。 私はこの先どう償っていけば良いのでしょうか? 償うことができるのでしょうか?
脳梗塞で半身にマヒが残っている家内を介護しています。 病後は感情がすぐに変化し、毎日喧嘩が絶えません。 時折家内を殺し、自分も死を考えてしまいます。 仕事もありとてもつらい毎日です。 どうしたら自分を取り戻せるでしょうか。
はじめまして。 無職です。以前数年間は働けていましたが、働き始める前からすでに、ちょっとしたストレスで簡単に体調を崩すようになっていました。今も続いており月一で通院しています。学校や職場といった何らかの集団に入るのが恐ろしくて仕方ありません。 学歴も恐ろしく低いです。資格等は全く無いわけじゃありませんが、もはやアルバイト労働さえも怖い始末です。 以前は楽しめていた趣味が、あんまりおもしろくなくなってきているのを感じます。希死念慮が年々強まってきているのを感じてはいました。 しかし、何故死にたいのか。生きる上で必要な労働云々に対してどうしてここまで恐怖を感じるのか、自分でもよくわからないのです。他人と自分を頻繁に比較して苦しいということだけは自覚できています。 潔く人生を諦めて、どうしようもない自分自身にとどめを刺そうにも、その決心がつきません。タイトル通り、タイミングがわからないのです。 やろうと思えば、おそらく簡単に成し遂げらると思います。あとは腹を(というか首を)括るだけです。ただどうしても「本当にここまででいいのか?」「まだ寿命もたっぷりあるぞ?」「もう少しだけ何か楽しめないものか?」とウジウジして踏みとどまってしまいます。 まぁ家族にとっては自分は足手まといの失敗作です。死んだ後を心配することなど何一つとしてないのですが、あとはどうやったら決心して行動に移せるんでしょうか? 以前からこのサイトを見つけて気になっており、とうとう情けなく相談してしまった次第です。