病弱に生まれた意味と自分なりの解釈についてお尋ねしたく…
私は生まれつき病弱でした。1歳半くらいから重症の自家中毒でしばしば意識不明になり、入院していました。中学生以降は頻繁な片頭痛とPMS、PMDDによる厭世観に悩まされていました。(今思えば双極性障害の前触れだったかもしれません)
高校生の時に慢性盲腸が悪化して、パニック障害にもなり、慢性膵炎にもなりました。ちょうど進学や就職を考える時期であまりに辛かったので、17~19歳ごろまではあまり記憶がありません。
数年の療養中に洋裁を学び、医療事務の資格を通信講座で受けて取得し、小児科医院に勤めました。ですが、患者さんの風邪を全部もらってしまうため、デザイン会社に10年勤めました。いまの素養の原型はこのときに身につけました。
その後も別の会社に勤めましたが、精神的にあまりに辛くて2003年に初めて精神科を受診、うつ病と診断されました。8年半後に双極性2型障害と判明して、現在もその治療を続けています。
病気を抱えながら両親の介護は辛くありませんでした。死を恐れていた父の手を握って3日かけて看取った時に、穏やかな死に顔で報われたと思いました。いまでも私に強い自己肯定感を与えてくれた両親が大好きです。
母にもできれば長生きして欲しいと願っています。
また、家には同じ病気の弟がいます。私よりも重症なので手伝いは期待出来ません。家事と介護とが多忙だとあまりに疲れてどこかへ逃避したくなります。もしくは休む=死ぬこと、と考えてしまいます。
私が生まれてからいままでのあいだに「どこもなんともなくて健康」な時は3、4年しかありませんでした。劣等感はありません。でも自分なりに考えて、こういうふうに生まれついた理由は「弱者の目線で弱者に寄り添うため」だと思うのですが、これは間違っていますか?
障害者のために制度をよくしたり、ホームレスの人のためにわずかでも募金をしたり、どこかで泣いている人のそばで(ネットを介することも多いですが)そっと寄り添うことしか出来ませんが、こういうふうなことでいいのでしょうか?
自分が行動することで、全体の人に(弱者のみならず、すべての人が)もっと肩の力を抜いて生きられるように願ってしまうのですが、こういうのは身の丈を越えた願いでしょうか?
私がこう生まれついた意味をご教示ください。よろしくお願いいたします。
有り難し 18
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