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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3053件

物に執着する心

物が捨てられず、困っています。 すっきりした部屋に憧れ、数ヵ月前から、少しずつ家の片付けをしています。 ペットボトルや生ゴミ等の生活ゴミは難なく捨てられるのですが、昔から取っておいた思い出の物(ぬいぐるみや雑貨など)が捨てられず、数も多く、家の収納を占領している状態です。 私の困ったことは、一つ一つの物の思い出を忘れられないことです。自分が小学生の時に作った工作や、初めての海外旅行で買ったもの、プレゼントされた物 等、細かく記憶しています。親にも、良く覚えているねと感心されます。処分できない理由も、そのせいだと思います。 小さなキーホルダーから子供が作った工作に至るまで、物自体の価値はそれほど無く、明らかに必要の無い物です。が、色々な想いが頭から離れず、捨てられないのです。 たとえゴミ袋に入れる事ができたとしても、問題は捨てる瞬間で、ゴミ捨て場に持って行くまでが苦痛で、ドキドキしてきて悲しい気持ちになり、耐えられません。 このゴミ達が収集車に乗せられて処分場に行き、燃やされてしまうのか…と思うと、その映像が頭に浮かび、捨てることをためらわせます。 そのせいで物が減らせず、収納を見るたび物の多さに疲れてしまうのですが、手放す事ができません。 その反面、何もない部屋に憧れていたりして、自分は何をしたいのかな と思います。 片付け本も何冊も読み自分に言い聞かせましたが、やはり物に対する想いが邪魔します。 物への想いや執着を断ち、気持ち良く手放すためには、どのような考え方をすればいいでしょうか。

有り難し有り難し 14
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将来に対する不安。

現在大学に通っている2回生です。 自分の将来に対する不安が拭えなくてこちらに相談させていただきました。 大量のオンライン課題や一人暮らしによる環境の変化、そして全てのことを完璧にこなそうとしすぎてしまう自分の性質など諸々の理由が重なって精神不安定になり、自分の生活すらままならなくなってしまったので1回生の冬頃から精神科に通院していました。 ですが進級を機にまた頑張って学校へ通っていましたが、途中で突然行けなくなりました。 以前と比べて精神的に回復したはずなのに、身支度を済ませても玄関先で躊躇してしまい結局行くことができませんでした。 そうやって休んでいるうちに「学校に行かない」ことが自分の中で当たり前になり、日常から学校という存在が希薄になりました。 学校に行ってない間は絵描きや資格の勉強をしていました。 幼い頃から絵を描くことが好きで、絵描きだけは受け身にならず取り組めるものでした。資格の勉強もそれに役立ちそうだから始めました。他にはオンラインの絵描き講座に参加したり、新しくバイトに応募したりしました。学校行ってないのに絵は朝まで描いているし新しいことも始めたりしています。 こんな自分に嫌気が差します。 親に学費を払ってもらった上に奨学金も貰っている身でなにやりたい放題しているのか。単位もほぼ取れていないまま。学校に行けないのはただの逃げで、そんな自分を正当化したいから好きなことに打ち込んでいるのではないのか。本当にどうしようもない人間だなと常々思います。 ですが、それでも学校に通おうとすることができません。 むしろ絵に関わる仕事に就きたいなんて夢を持ってしまいました。 絵についてもっと深く知ることができる環境に行きたい。だから大学中退してお金稼いで専門学校へ行くか、休学して絵を学び復学後もう一度自分の進路について考えるか。 いや、そもそも今学校に行けない奴が専門学校なんて行ける訳ないだろう、将来を甘く見積りすぎ、ただの逃げではないのか、でもやってみないと分からないよな、時には向こう見ずな行動も必要なのでは、とも思います。 もう自分はなにをするべきでしょうか、どこへ向かっているのでしょうか。 甘えたことを言っているのは重々承知ですが、どんな意見でも構いませんのでぜひお言葉を聞かせてください。

有り難し有り難し 4
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2024/01/29

どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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全てが苦痛に回帰する

最近、物事を悲観的に見ることがとても多くなってきたことに悩みつづけています。 なんというか、万象が自身の苦痛に回帰するという感覚が続き、他人との会話や自分の趣味が無理な延命処置に過ぎないのではという思いが頭から離れません。 自身がそう思う理由として2つの事を考えてます。 一つは、大学で様々な考え方や価値観を学び様々な固定観念を粉砕しようとした結果、絶対視できるものがほとんど無くなってしまったこと。 もう一つは、幸福を求めるということを積極的にしてこなかったあまり、自身が苦痛や試練を耐えてまで生きる理由が思いつかなくなったことです。 自分は、今世間で言うところの就活生ではあるのですが、就労意欲が殆どありません。 一応、趣味で絵を描いているのですが、「これを理由に生という呪いを凌ぐにはあまりにも忍びない」と思いつめ。 両親からは、「生きる理由や幸福が見つかるまで生きればいいじゃん」というアドバイスをもらったのですが、その言葉すら、親心が故に自分を現世に引き留めようとする詭弁に聞こえてくるありさまです。 世間は、自分を怠惰だ落ちこぼれだと罵るでしょうが、そうした罵声すら、「オマエもこっちにきて今生の続く限り苦しめばいいんだ」という僻みと思いこむばかりです。 正直、何でここで悩みを打ち明けているかも自分でよく分かってないです。 おそらくは、まだ無意識で助かりたい、死にたくない、幸せになりたい、と思っているのかなと思います。 でも、そろそろ限界が来そうです。張り詰めた命の糸が、そろそろ切れそうです。 つらいです。

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過去に犯した過ちとの向き合い方

4年前私は中絶をしました。 仕事で海外にいく、相手との関係の不和、また自分の行いも悪いなどの自分勝手な理由でしたが当時はそれしかない最善の方法と思い決めたことです。 当時は子供を殺したという意識が低く、何故もっと早く今のような気持ちにならなかったのかと思います。 現在妊娠中、過去の自分の過ちと弱さと愚かさに気づき日々悔いています。 中絶から4年の間、それしかなかったのだと思い生きてきたツケでしょう。 お腹の子が気づかせてくれました。 そんな理由で命を奪ったのかと、何度も時間が戻ればと悔いました。 どんなことがあっても産むべきだったと、子供を守るべきだったと思います。遅すぎますね。 恥ずかしながら死ぬことも考えましたが、お腹の子が引き止めてくれました。 今は産まれてくるこの子に愛情をありったけ注ぐこと、家族の為に尽くすことが償いかなと感じています。 日々の中で4年前の子と向き合う為に日記をつけています。見てくれているでしょうか? 死後子供に会うことができると伺いました。誰にもわからないと思いますが、もしそうなら生きる支えになります。 また、将来お腹の子に産まれてこなかった兄弟がいると伝えたいと思っています。なにも伝えないのはあまりにも可哀想な気がして、よくないことでしょうか? やってしまったことは取り返しがつきません。 まだまだ向き合い方がわかりませんが、もぅ泣かずに重い十字架を強さに変えていけるようにしたいです。 死んだ後、子供にあって頑張ったよと言える人生を送れるように。

有り難し有り難し 10
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