誰かの幸せは誰かの不幸
以前、質問した際にアフリカの貧困で明日の飯にも困る子は不幸という事を言って、不幸と勝手に決めつける事は論理的ではないと諭されました。
しかしやはり不幸だと思ってしまいます。
そしてそれは運命といいますか、スマホゲームのガチャガチャみたいに全てが運で決まってると確信して言えるとやはり思います。
生まれた国、容姿、健康、遺伝子、知能指数、親の資産、、、etc.
そもそもがその他の性細胞は全て駆逐されて自分だけが分化して生き残りました。
結局は、生まれつきの運で一生他人から搾取して生きる人もいれば、一生敗戦処理になるのは否定しようがない事実ではないかと思う。
これは生命のルールも同じで他者を食べて、生まれつき弱い個体に生まれたのが食べられてしまう。
誰かの幸福は誰かの不幸なわけです。
そして苦しみから脱出する事、この生命の螺旋から外れる事は殆ど無理でありブッダも沢山の細菌や微生物を殺しまくり植物を食べて弱いものを搾取して生きました。弱い者の生きる苦しみを抑制させたりするのは誰にも無理だとおもうのです。
私は非常にその事実が耐え難いのです。
苦しんでいます、しかし答えがない。
生まれなければ0でありました、生まれてハズレというクジを引いたらどう後天的に何かをしようと変更は無理なのです。
感情も神経伝達物質から発生しています、それは生まれつきに発生量が人により大きく異なります。
これは屁理屈ではないです事実です。
それで私は誰かの幸福の為に不幸を歩んでおります。苦しみを味わいつくしております。
結局幸福に生まれなかった人は今後とも幸福になれないのでしょう。
有り難し 32
回答 2