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「供養」を含む問答(Q&A)一覧

2021/09/16

位牌閉眼供養後の日々の供養について

こんにちは、日々の供養について相談させてください。 ここ数年のうちに相次いで両親を亡くしました。子供は私しかおらず私にも子供がいないため、将来を考えて両親とも永代供養です。 永代供養にともない仏壇は処分し、あとに亡くなった父の一周忌には父母の魂の入った位牌を閉眼供養しお焚き上げをしていただきました。(これも将来を考えて決めました) ここからが相談なのですが、魂の入った位牌がない今、日々の供養をどうしたらよいかということです。 今現在仏壇がないので、両親の写真にお線香とお茶を供えています。お線香は亡くなった人の食事と聞いたことがあるのですが、これからもお線香を炊いたほうが良いのでしょうか? 狭い賃貸のリビングにお線香立てとお鈴とろうそく立てが並んでいる眺めはなかなかシュールでずっと違和感を持ちながら今日まできました。 位牌ももうないのでいっそのことお線香をやめて、写真とお花を飾ることで日々の供養になったらよいなという思いがあります。 父も母も花や植木が好きでしたので華やかだと喜ぶかなという純粋な気持ちと、お線香立てを仕舞うことでリビングにも馴染みやすくなるし煙で喉がイガイガせずに済むなという不純な気持ちと、両方が入り混じってはいるのですが……。 (お線香は煙が少ないものにしていますがそれでも煙くて寒い日でも燃え終わるまで換気が必要です) お線香をやめるという考えは間違っているのでしょうか? どんなことでもかまいません、お言葉をいただけますと助かります。よろしくお願いします。

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有縁とは?どこまでが供養対象ですか?

先祖は父母、祖父母を遡った方々。 母縁は、母方の関係。 有縁は、兄弟姉妹、叔父叔母等の横の繋がり、縁のあった方。 昔、そう教わり、その流れで我が家には 先祖代々(◯◯家の記入なし/私にとっての先祖さん)、 有縁母縁のお位牌があります。 血の繋がりが関係なくての『有縁』が、 一体どこまでなのか、ずっと疑問に思っています。 例えば、 母方の祖母が養父母育ちなのですが、 これは育ててくれたと言う有縁の関係で良いのでしょうか? 余談ですが後に祖母から、 戦死した祖父は養父の甥っ子だと聞き、 じゃあ私は祖母の養父とは血縁者なんだ!と。 母方のご縁なので『母縁or有縁』で良いのかなと。 祖父とは、恩給?の関係で離縁(離婚)したそうです。 離婚した元配偶者はもちろん無縁ですよね? それとも、まさか有縁ですか? 先祖、有縁、母縁さんは膨大な人数となるので、 余程でない限りは縁のある誰かが 必ず手を合わせてると思うので、 決して無縁さんにならないだろう、との考えでもありつつ、 手を合わせる者としては 『縁』がわかった方が良いのでは、と思います。 長年の疑問が少しでも解明すればいいな、と、 質問させて頂きました。

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後悔たくさんで自分を責めてしまう

何度かご相談に乗って頂きました。母の死から1ヶ月。今は悲しみ、寂しさにプラスして、あの時あーすれば‥と後悔まで出て来て苦しいです。在宅緩和ケア、初めてで戸惑いながらでしたが、今考えたら、もう少しきちんとケアしてあげたら良かった、不快感や苦しみを味合わせてしまったかなと後悔がどんどん出てきます。最後の数日はほとんど話せなかったので、母の心の中はどんなんだっただろう、在宅で私達家族の介護に不手際があってイヤな気持ちにならなかったかな、心残りあって亡くなったんじゃないかと、ずっと考えてしまいます。 四十九日もまだですから、仏壇もまだですが、今後、実家に仏壇置いて、私は結婚して別に住んでますので毎日仏壇に手を合わせる事は出来ません。でも毎日心の中で母に語りかけてます。そんな私の毎日の簡単な供養で母に気持ち届きますでしょうか?それも冷たい娘やと思われたらどうしようって不安です。 母は希望してた在宅も思うようにならず、おまけに私の頼りない下手くそな介護で気を悪くしてたら、成仏してくれなかったら、毎日そう思うと仕事中だろうが涙が出ます。私は前を向いて生きていけません。どうしたらいいでしょうか?解決法無いだろうとは思ってます。自分の心の中は自分しかコントロール出来ないってわかってます。でも苦しいのです。ウジウジ書いて申し訳ないです。

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故郷に帰るか、地元にお墓を建てるか

先日、父親が亡くなり、諸事情により直葬をして、自宅にて簡易ではありますが、父親愛用の卓袱台にお骨、遺影、お花、形見、一通り供えて毎日手を合わせております。お葬式していないので、戒名もありませんし、健在の父親の兄の墓に入って良いと言われていましたが、お寺さんが、お葬式をあげて、戒名つけて檀家にならないと駄目ですとの事。もしくは、地元で故郷と同じ宗派のお寺さんで葬式をすませ、戒名を持ってくれば納骨できますと。なかなか、一筋縄ではいかないんだなぁと実感しました。また、故郷の別の健在の兄弟の一人が、〇〇は、うちらの墓には入れさせない!自分で墓建てて、そっちで何とかしろ!との事で、父親を良く見ていない人もいます。親戚には、故郷に帰らなくても、どこに墓を建てようが、お前の気持ちの問題だよと言ってくれる方もいて、悩みます。地元なら、気心しれた仲間もいるし、私も墓参りに行きやすい。いっそのこと、地元にお墓をたてようか!と思案中です。 どこに墓があろうが、心を込めて供養する気持ちが大切ですよね、、、と思うのですが、どうでしょうか? 良きアドレスがありましたら、よろしくお願いいたします。

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昨年の11月24日に愛犬を亡くしました。

様々な事を回想して思う事は いくら考えても真実はわからないんだと。 一生わからないとどこかでわかっている確信のない自信があります。 生前、変な話ですがここ数年アルは人間みたいと周りの人に言われる事が何度もありました。 僕自身そう思う事もあり、むしろ神々しさすら感じていました。 アルは具合が悪くなってから1週間で亡くなりました。 それまで大きな病気もせず、丈夫で我慢強く、本当に我が家の宝物でした。 しかし、それは自分のエゴで、アルにとっては違かったなと気づきました。 亡くなった後、違う対処をしていれば、もっと生きれたんじゃないか、生きたかったんじゃないか、、。と後悔ばかり。 しかし、それがどうであれアルはもう戻って来ません。 アルは全てを受け入れたんだと、 そう選択させてしまった事が申し訳なくて申し訳なくて、、、、。 アルが亡くなって数日後、夜の散歩中に流れ星を見ました。 また幸せに生まれ変わったら会おう!また出会えたらもっと大切にするから!と願う事も出来ました。 アルが亡くなって数日は不思議な事があり、でも全然違和感もありませんでした。 今はアルと過ごした全てが、アルが準備したものだと強く感じます。 アルは色々な事を教えてくれました。 今はそれを胸に生きています。 世の中の見え方が変わり、世間の人の見方までも変わりました。 それでもやはり、アルとまた暮らしたいと強く思い、悲しみや寂しさに押しつぶされそうになります。 行き場のないこの気持ちを供養や成仏という形で先人の方々は整理してきたのかなとも思います。 胸には悲しみと寂しさの静寂があり日々をいつものように過ごしています。 自分であって自分は変わったと実感しています。 それが良いのか悪いのかもわかりません。 今の自分がずっと変わらないのか、変わってしまうのかもわかりません。 ただ命あるものに対して気持ちの変化はあります。 大切に丁寧にと。 有限なものには精一杯。 無限なものには希望を。 損得なしにただ生きているそんな状態です。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。

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