hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「お寺」を含む問答(Q&A)一覧

改教と、これから通うお寺さんについて

こんばんは。 ハスノハに参加した時私は一応クリスチャンだったのですが、あれから色々あって、改教しようと思います。はっきり言ってしまうと、もうだいぶ前からすべての出来事に神の意志が働いて起こるというのが信じられなくなっていました。 最近わけあって近所のお寺さんでお世話になったので、まずはそこへお話を聴きに行こうと思います。ですが、そこは真言宗なので、通うと私は真言宗になってしまうのでしょうか? 以前仏教の本を読んだのがきっかけで、自分がすーっと入っていけそうな宗派のイメージができていて、それが真言宗ではないというだけで、真言宗が嫌というわけではないんです。 ただ、やっぱり最初にお話を聴きに行くお寺さんの宗派が違うといけないでしょうか。 ちなみに、私の家は普段どこか特定のお寺さんでお世話になっているのではなく、例えば父親の法事の際には植物園のようなお墓(父が眠っている所で、そこにお寺さんはない)にお坊様が短時間いらっしゃってお勤めをして帰られるという形です。 前は自分がお寺さんにお話を聴きに行くなんて考えていなかったのに、色々な事があってこんなふうになって、人の心も変わるものなんだなと実感しています。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

今のお寺はもう駆け込み寺ではないのか?

鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

お寺でボランティア

いつもありがとうございます。 また質問させてください。 外ではニコニコしていて陽気で人当たりが良く気前も良い義父なのですが、家の玄関を開けた途端に豹変し、家族に対していつもイライラし、支配したがり、言うことを聞かないと怒鳴り、暴言、見下し、金づる、口を開けばモラハラととれる言葉ばかりを発し、孫に対して差別したり気に入らない孫には煩いと怒鳴り思い通りにならないとバカ野郎と怒鳴って脅して叩いたりしてきます。 そんな義父ですが、お寺のボランティアを熱心にしています。 外では本性を隠しているので住職にもバレていないみたいでとても信頼され気に入られており、住職主催のイベントを毎回お手伝いしています。 義母は良い戒名を頂くためにボランティアをしているんだと言っていました。 私は義父の本性を毎日見ているので、いくらお寺で徳を積んでも、今まで家族にしてきた悪行は帳消しになるわけがないと思っているのですが、仏教的には帳消しになるのですか? 人の心を好き放題傷付けても、ボランティアさえすれば全部チャラなのですか? お寺でボランティアをしたら良い戒名を頂けるのですか?値引きして頂けるのですか? 良い戒名は我が家ではとても手が届くお値段ではないので、義父亡き後私達に支払いを求められても払えませんし、あんなひどい人間に良い戒名などとんでもない!と思ってしまいます。 ボランティアの前に、家族を大切にすることの方が大切なのではないかと思うのですが、違いますか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

将来お寺を継ぐ彼氏

ご覧頂き有難う御座います。 似たような質問があるかもしれませんが、私の方からもご質問させてください。 私は一般家庭家庭で育ち、両親も宗教事には無関心です。その為、言葉や表現におかしな記載もあるかと思いますがご了承願います。 サラリーマンの彼氏と結婚を視野にいれたお付き合いをしているのですが、将来実家のお寺を継ぐようです。 いつごろなのかわかりませんが、いずれはそちらの学校に通うことになるとのこと。 また、会話の中で「檀家さんが」と口にしていたので、「檀家さん」というものではないようです。宗派については、教科書にも載っている歴史ある宗派だと聞きました。 ご実家の話はよくしてくれるのですが、私の年齢(彼とは15歳差です)や結婚願望がなかったことなどを気にしているようであまり具体的な話にはなりません。 お寺のお仕事とはどのようなもので、どんな生活になるのか。 (彼には離婚歴があり、現在は持ち家での生活。12歳の女の子14歳の男の子がいる為後継の心配はひとまずないようです。) 彼も修行をすることになるのか。もしするのであればどれくらいの期間なのか。 私は何をすればよいのかなど、聞きたいことが山ほどあります。 お寺によって様々でしょうし、彼も教えてくれると思うのですが、どこまで踏み込んでよいのかわかりません。 まずはこちらで、お坊さんのお仕事や生活について少しでも教えていただけないでしょうか。 また、近場のお寺に行き、住職さんに直接お話をお伺いすることは可能ですか? 話も纏まらず、読みにくい文章ですが、お教えいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 19
回答数回答 3

遠隔地の菩提寺にある墓を如何にすべきか悩んでいます

菩提寺は新潟県五泉市にある曹洞宗のお寺です。 家は大正8年頃の祖父の代に東京に移っており、現在は墓があるだけの状況です。 曾祖父が地域の名士だったこともあり、そこのお寺の三大檀家の一つとして扱われています。 先の住職がお亡くなりになった時の葬儀では高い位置に座らされています。 墓は父の代に建て直したもので、そこのお寺の墓地の中でも立派なものです。 過去帳によりますと9代前からの祖先が葬られて居る様です。 骨壺は納められて居らず、納骨の時には骨壺から遺灰をザッと墓の中に落とし込む形です。 家が東京に移ってから現在までに6人が東京で亡くなり、新潟に納められています。 一番古くは大正10年に父の兄(中学生)、その後祖父、私の産みの母、祖母、父、継母の順で父が平成7年、継母が平成24年です。 最近、墓を「目黒御廟」に移そうかと考える様になり、その際、墓じまいをして菩提寺との縁を切るのか、或いは東京で亡くなった6人だけを向こうの墓からこちらに移すか、或いは更に減らして今後年忌法要を行うことになる父と継母だけを移すかと言う選択肢で悩んでいます。 父と継母の年忌法要が未だ続きますがそれを菩提寺でやって貰うのは、もうしんどいと言う感じです。 菩提寺への話の持って行き方、移すに際しての御礼の考え方、3大檀家の残る二家の方への話し方等々ご助言ください。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

#ヘルプマーク を知っていますか?

ヘルプマークは、周囲からは 見えない 分からない 。 内臓疾患 や 精神障害 、高次脳機能障害(私はこれに当てはまります)、妊婦さん などが、地方行政の、障害福祉課 などへ 申請 することで、受給される 比較的 新しい マーク です。 著作権は 東京都福祉保健局 が所有していて、各地方行政の 福祉課 は、それぞれ個々で 申請して給付しています。 周囲からは 見えず 分からなく ても。 当事者本人も周囲の人たちですら、まだまだ認知度の低い。 けれど、声に出せない SOS のマークです。 せっかく生まれた マーク なのに、周知が足りません。 そこで、こちらに登録なさっている皆さまへ、お願い致します。 ヘルプマークの周知・啓発に、御協力ください。 ヘルプマークには、強制力はありません。 また、各地方行政によって管理管轄が違うため、せっかくの 周知・啓発 ポスター や チラシ も。 それぞれ各自が問い合わせて、取り寄せなければ、掲示する意思を伝えなくては、行政からは、強いることは出来ないそうです。 〝お寺〟という場所は、古くから、地域 地元 を繋いで、一般の、その場所に住む人たちに寄り添う。 啓蒙力にある場所では無いでしょうか? それぞれ各地方の、地元の、福祉窓口に、お問い合わせください。 そして、少しでも、人の目に触れる場所に、ヘルプマークの啓発ポスターを掲示してください。 本当は、本山だとか、もっと大きな 宗教界 全体から… 声をあげて欲しいのですが… 今のワタシには、近親の家族との対話さえままなりません。 ↑実家にポスター掲示はしてもらえていますが、全体を結ぶ取り組みに対しての理解は難しく… どうか、力を貸してください。 声を出せない SOS に、気づいてください。 伝えてください。 知ってください。 よろしく お願い申し上げます。 #Femmefataleプロジェクト

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

お寺のお仕事…

こん○○は。私の友人の僧侶のお話です。 とあるお寺に新卒で入社しました(修行僧として宗派の定める最低限の修行を終えてから。)求人票には大卒正社員僧侶18万円〜と書いてあったそうです(私も実際に確認しました。)が、実際にそのお寺で職員として勤めだしたら、はじめの半年間10万円、雇用保険、労災等にも入れない、給料は封筒に入れて現金だけ手渡しで給与明細すら出さないという実態、さらに友人が言うには事情でどうしても休まなければいけない時があったというので、住職に相談して休みのことを言うと(友人の説明には親戚が亡くなったとのことでした)そこで休む分を次の休み働いて振替しなさいとのこと… 雇用契約書もない、このような酷い労働条件、法律すら守れない方がお坊さんと言えるのでしょうか?数年前某有名寺院がブラック企業ランキングに入っていたり、暴力事件で話題になったりしていましたが、このような実態に対して、皆様のご意見が知りたいです。困った人を助けるのがお坊さんのお仕事なのに、これでは困った人は余計困ったままです。友人曰く、若いものはうちにいるだけで勉強になるのだから、金なんていらない。と住職の方に言われたとのこと。人がいないから求人票を出しているのに本末転倒だとおもいます。 このような人を僧侶として認めてしまっていいのでしょうか? お坊さんという人々を見る、世間の目と私の目が変わってしまいそうで怖いです。

有り難し有り難し 390
回答数回答 2

菩提寺に不信感。寄付って何?

私には先祖代々の菩提寺があり、いつかそれを継いで行くんだなと漠然とした想いがありました。 でも最近の菩提寺のやり方?経営に疑問を持つようになりました。 事の発端は住職さんが代わってからお盆の供養で自宅に住職さんが来て私達に話したことから始まります。 その時は祖父から孫の代までみんな集まり住職さんにご先祖様達を供養して頂きました。 供養が終わり、ありがたいお話を頂けるのかと思ったらなぜが、ずっと本堂以外にある小さな観音堂の建て替えをするための寄付金が足りないと言う話をされ続けました。 私は目が点になりました。 供養の場でそんな寄付金の話ばかりされるとも思わなかったですし、ここ数年で、永代供養用のとても大きく豪華な大仏や建物が建てられたり、お寺の中やお墓が整備されていたからです。 その時は寄付金を集めたりはしていませんでした。 それなのになぜそれだけ多くの事にお金を使っておきながら、わざわざ寄付金を集めて観音堂を建て直さなければならないのか。 それならあと数年まって、年会費を貯めて建て直したり、あんな豪華な永代供養大仏を建てるならそこの費用を削って観音堂にまわすなど出来たと思うのです。 あまりの経営の雑さ、そして寄付金が一口〇万円以上でないといけない、観音堂を建て直すにあたり観音堂(本堂以外とは言っても人が10人は入れる大きさです。)をあけてみたらお飾りもボロボロになっていたので全て新しくしようと思うなど、普通、寄付なら1円からでも寄付であってその人の心なのに、仏に使える人が〇万円以上でないと寄付金でないと言ったり、普通時々でも観音堂の仏様にお経をあげていたり、掃除していたりしたら前々から少しずつ修理したり出来たと思うし、本堂がものすごい豪華なので、そこの費用を抑えて観音堂にまわせたりもすると思うのです。 こうゆうやり方や、はお寺としては普通なのでしょうか? なんだか檀家を都合の良いATMのように見てるとしか思えなくなってしまいます、、

有り難し有り難し 37
回答数回答 2