私は生きる執着が強いがために地震や病気に過剰に反応してしまいます。生きたいと言うより死後、無になるのが怖いです。だからあの世の世界を信じたくて霊や死後の世界についての本を見てしまいます。この世が全てだとしたら事件や事故に巻き込まれて亡くなった人の死が理不尽でニュースを見るたび気が滅入ります。でも長生きしたが故に子供の死に直面することもあると考えると長生きが全てではない。死に方は重要ではないと思うようになりました。もともと生まれる前は無でしたからそこに帰るだけなのかなとも思います。生きているから感じる不安や恐怖ですが疲れてしまい、生まれてこなければよかったと小学生の頃から感じています。でも自死はしません。生まれてきてしまったのだから真っ当に生きるのみです。死後の世界もこの世にいる人に語れる訳がないし、否定も肯定もできません。私は白黒はっきりしないと気が済まないので、わからないことに恐怖を覚えます。なので普段あまり悩まないし、答えのないことで悩むことが多いです。生まれてきた意味だってない。ただ、この世は修行だと思うと、わからないことや曖昧なことはありのまま、曖昧なまま受け止められるようになることが課題なのかと思ったりもします。でも、この世でどんな風に生きていけばいいのかわかりません。家族が殺されても、地震が起こっても、戦争が始まっても、隕石が確実に落ちてきて地球が滅びるとわかっていても、動じることなく自分が死ぬまでひたすら淡々と生きるのが人生ですか?人の役に立とうが神様を信仰しようが殺されたり短命の人もいます。いいことをすればいい縁ができると思っていたけど、結局見返りを求めてしまっています。人生が修行なら、その中で楽しいことや嬉しいことを経験できることが有り難く幸せなことですよね。修行はつらく苦しいものだからそれが当たり前なのに、私は恵まれているし幸せです。それなのに過度に不安になったりこの世が全てだと思うと絶望的な気持ちになったりして、罰当たりだと思います。もっと人生を楽観的にというか、いつ死んでも後悔はないし真っ当に生きたと言えるようになりたいです。死後の世界があろうがなかろうがどうでもいい!今を生きる!こんな風に考えられるようになりたいです。この弱さとどう向き合えばいいでしょうか。
13日前に夫が自死しました。 今とても辛く悲しく淋しいです。その中でふと自死は成仏できないと以前聞いたなぁと思い出しました。死ぬほど辛くて寂しかった夫が死んでも苦しまないといけないなんて可哀想で。自死まで追い詰めたのは私なのに。夫のSOSを冷たく突き放してしまった。居なくなって、夫がどんなに大きな存在だったか。後悔しかありません。悲しいです。申し訳ないです。決して許してもらえません。また、不思議なことが起きています。誰もいない二階のリビングから足音が聞こえたり、椅子に座る音が聞こえたり。階段を降りる音がしたり。子供達と夫がいるのかな、と話してはいますが、夫に申し訳ないと思う私は、正直夫が怒っているのではないかと怖くなってしまいます。葬儀の時にお坊さんが49日までは不思議なことが起こるでしょう、でも怖がる必要はありませんよ。と話して下さったのですが、夫に会いたいのに怖いんです。 夫はとても優しくて、私のことを一番に考えて、家族を大事にしてくれてました。事情があって週末婚でしたが、私のために無理して家も買ってくれました。なのにその家には夫が一人で住み、週末しか私と子供達は行きませんでした。淋しいと訴えた夫に私は罵声を浴びせてしまいました。そっと受け止めてあげれば、夫は自死しなかったと思います。子育てと仕事に追われ、夫の存在を邪険にしてしまい、夫を孤独にしてしまいました。 警察にも夫は淋し過ぎたのかもしれないですね、と言われました。 私のせいです。私が 夫を追い詰めたのです。 今になってこんなに夫が大好きで愛おしいと気付くなんて、後悔の何ものでもありません。夫が亡くなってから毎日ないてばかりです。淋しいです。悲しいです。 そんな夫が自死した為に成仏できないなんて、可哀想です。報われないです。 どうしたら成仏できますか? 49日過ぎても家の中で淋しがっているのですか? 一人でリビングを歩いたり階段を降りたらしているのですか。
弟が1年前に自死、義妹と姪(2歳)は一軒家で頑張って暮らしています。 5時半起床、7時には家を出て保育園、会社と。 義妹の妹(Aさん)は近くに住んでいるため、頻繁に寄ってくれていたそうです。掃除、子守、一緒に出掛けたり、週末には実家に寄ったりとか。 Aさんからの連絡がきて初めて知りました。 義妹とAさんはあまり仲良くないと感じていたので。 Aさんは姪の為に頑張ってくれていたのです。姪がいい子です。いい子だから、変に曲がらすいい子に育って欲しいと願っていました。 正直わたしは義妹の性格をあまり理解していませんでした。 Aさんは家族、一緒に暮らしていた時から合わなかったようです。 気性が荒い、すぐ怒鳴る?怒る?気分に波があると。 Aさんが義妹の家に行って手伝い等しても感謝すらなく何か文句言われ、怒鳴られ、罵声?(姪の前で)一緒に出掛けようと予定していたけど、また言われ、Aさんも堪忍袋が切れ、もう来ないからと。 出てきてしまったと。 Aさんも自分の生活あるし、笑っていたいのに逆に怒鳴られ、辛い思いして身体の調子が悪くなると。 そう連絡をもらっても何もできない自分が嫌で辛いです 母にも言えません。亡くなった後は母が週末行っていたのですが、(新幹線使って2時間弱)性格の不一致か色々あり、ぶつかり喧嘩して帰ってきてしまいました。 義妹は’週末だけ来て文句言って帰ってなんなんですか?’って、以前私に手紙を送ってきました。 その後母が送った荷物は受取拒否、戻ってきてしまいました。 弟は仕事でうつを発症、自死も仕事が原因と思っていましたが、Aさんが姉にきついこと言われたんじゃないかと、、一言。 (うつのくせにいばってんな ばーか の文をA4用紙にぎっしりx100枚以上プリントして自死。) Aさんが思うのも一理あるかも。と思う私も嫌ですが、。 Aさんにもどう声掛けしていいのか、義妹にもどう接したらいいのか、。 現状報告みたいになってしまい、すみません。
子供の頃から死にたい気持ちが無くなりません・・・(希死念慮です) 私は幼少期12年以上児童養護施設で育ちました。 施設ではいろんなイジメや性的行為も強要されたこともありました。(ちなみに自分は男性です) 施設で暮らしていた頃は何度も死のうと思いましたが田舎の施設で死のうにも死ぬ手段が無く絶望した時もあります。 あと当時の同級生の(同じ学校の)家庭環境が凄く羨ましくて凄く劣等感が強かったです。。。(TVゲームがあったりやりたい習い事をさせて貰っていたり、親と旅行に行っていたり) やりたい事を普通にやらせてもらえるなら今からでも幼少期に戻りたいです。 やりたい事を全部諦めて(将来に備えて部活をやりたかった高校時代も)施設から毎日アルバイトを頑張りました。。。 あと親のことが好きになれず、ずっと嫌いな気持ちが無くなりません・・・ (正直)子供を育てる能力が無いのなら子供を作らないで欲しかったと思ってしまいます。。。どう頑張っても好きになれないんです。。。 最近も親と喧嘩して家の物を壊してしまいました。。。(なるべく気持ちを抑えるようにしているのですが)。。。 本来なら家を出た方が良いのでしょうが精神病で働くのが困難な状態です。。。 勿論ウツになりながらも一生懸命(就職活動など)努力しました。 でも親からは褒められたことが無く、寧ろ悪口ばかり言われてしまいます。。。 (お前働いたことが無いとか産まなければ良かった、お兄ちゃんの方が可愛かったとか) 何で私は何もかも我慢しなければいけなかったのでしょう? 何故私だけ辛い思いをしなければいけなかったのでしょうか? 今後希死念慮を消す方法はありますでしょうか?・・・ 回答をよろしくお願いします。。。
数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。 ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。 そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。 般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。 生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。 「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。 即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。 従って仏教の救いは死後にあることになります。 しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。 それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。 そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略
3月末に6ヶ月の息子を亡くしました 乳幼児突然死症候群と言われました 余りにも突然で家族も息子を知っている方々も、大きなショックを受けています 発見したのは私です 救急車を呼んで、心肺蘇生もしました けれど、息を吹き返すことはありませんでした お昼寝中に仰向けだったはずが 発見時はうつ伏せでした 病死と診断された今でも私の不注意で殺してしまったと思っています 息子の死から3日間は辛すぎて、お腹が空くことも眠くなることもありませんでした けれど息子には双子の姉がいます 娘のために、いつまでも悲しんでいられない 娘の時間は止まっていないのだから、前と変わらず笑顔で楽しい時間を過ごさなくてはいけない そう思い、「悲しむのは火葬まで…」と心に言い聞かせていました お葬式が終わった後 何故か全く悲しくなくなりました と言うよりも、まるで息子がいた事が夢だったような不思議な感覚になりました 火葬場に入っていく息子を見ても 骨になった息子を拾う時も 帰ってきて写真を見ても 思い出を語っていても 何も感じなくなっていました 最初はそれで良かったのです 決めた通りに変わらず娘に接する事ができるし、家事も変わらず出来ました けれど暫くして 夫が息子を思い悲しんでいる時 一緒に涙を流すどころか冷めた目をして見ている自分に気が付きました 物凄く、ショックでした 私がお腹の中で育て、陣痛に耐えて産み、世界一幸せに…と願って育てて来た最愛の息子です それなのに失って数日でまるで最初から居なかったかのように生活出来ている自分が恐ろしくなりました 本当は愛していなかったんじゃないか 感情が乏しいんじゃないか、と思えてなりません 幾ら記憶を辿っても 息子の名前を読んでみても 遺品を抱いたり、匂いを嗅いでも やはり悲しくなる事も恋しくなる事もありません どうしたら もう一度息子の死を悲しめるでしょうか 変な質問かもしれませんが、アドバイスを頂きたいです 乱文で失礼致しました
初めて相談させて頂きます。鬱病の再発への恐怖についてのご相談です。 現在、2度目の鬱病により会社を退職し、心療内科および臨床心理士によるカウンセリングを受けて治療と簡単なリハビリ約3ヶ月を行っています。 先生方のお力添えのお陰で、日常生活レベルはなんとかこなせるようになってきました。 しかし、慢性的な希死念慮や突発的な自殺企図等、まだ状態が不安定です。そんな自分に心底嫌気が差しています。また、急性期の絶望的な心理状態はもう二度と味わいたくないと思っています。 前置きが長くなりました。 今悩んでいるのは、今の状態が寛解して社会復帰を果たせたとしても、もしもう一度、鬱病で就労不能状態になったら、自殺をしようと決心していることです。 最初の発症時は、鬱病については主治医に教えて頂いたり自分でも勉強をして、再発しないように注意して仕事や私生活を送ってきたつもりでしたが、約3年で再発してしまいました。 勉強してきたなかで「鬱病は治ることはない」「再発率は再発回数に比例して高くなる」ことを知りました。 なので、今回仮に社会復帰を果たしたとしても、また鬱病で就労不能になってしまう可能性は更に上がってしまっていると考えています。 鬱病を発症したことにより、会社や家族に多大な迷惑と心配を掛けてしまいました。また、私自身も鬱病の急性期の辛さや希死念慮との闘いに酷く疲れてしまいました。 なので、もし3度目の再発が発覚した場合、自殺することを決意しています。その為の生前整理(エンディングノートや死亡通知の作成、私物の整理等)を現在進めています。 自殺がどれだけ周囲に迷惑を掛けるかも、不慮の事故死などよりも周囲にショックを与えることも承知しています。 それでも私は3度も鬱病を再発するよりは、自殺した方がいいと考えています。 遺族や友人の悲しみは時が癒してくれるでしょうし、私も長い期間を再び闘い抜ける自信はありません。もう二度と社会復帰することも叶わない気がしています。であれば、逃げでもいいからもう終わりにした方がいいというのが今の私の結論です。 こんな考え方はきっと間違っているのでしょうが、私はこれが最善策だとしか思えません。 他に回答はあるのでしょうか。 お坊様の観点からお考えをお聴かせ頂きたく、お願い致します。
数年前、父方の祖母がくも膜下出血で倒れました。病院に搬送された祖母を、家族と祖父が付き添って行きました。 その時わたしはインフルエンザを患っており、「本当に危なくなったら呼ぶから休んでいなさい」と言われ、病気を移してしまってもいけないので自宅で祖母の無事を祈っていました。 しかし、やはり祖母の容態が良くなく、父が私を迎えにきて病院に連れて行ってもらえることになりました。(感染の予防はしっかり行いました) 父と病院に向かう途中、母から電話があり「おばあちゃんが亡くなった」と聞かされました。運転していた父に、その事をなんと伝えていいかわからず、なにも告げられませんでした。 私のせいで父は自分の親の死に立ち会えなかった。私を迎えになんて来て貰わなければよかった。どうして父が来てしまったんだろうと、苦しくて堪りませんでした。 病院につき、急いで祖母がいるであろう救急治療室に向かったところ、そこにいた先生から、「今綺麗にしてるのであっちで待っていてください!」と強い口調で言われました。 父はその時に初めて、祖母が亡くなった事を知りました。 先生は父が病院を抜けて私を迎えにきていたことを知らなかったため、「もう亡くなってるのに」と思われたんだと思いますが、あまりにもショックでした。 自分のせいで祖母の死に立ち合わせてあげられなかった後ろめたさから、ちゃんと祖母が亡くなった事を父に伝えなかったばっかりに、父はこんな酷い言葉で祖母の死を知ることになってしまいました。 しばらくは、あの先生が悪い!なんであんな言い方をしたんだ!と怒りを感じていました。しかし「なぜあの時わたしが伝えなかったんだろう。なぜ私を迎えに来てもらってしまったんだろう。」という後悔の気持ちが膨らみ、数年経った今でも苦しいです。 償う方法がわかりません。
本当にお恥ずかしい限りです。8か月ほどまえに『あきらめるには』で質問させていただき、ありがたいご回答をいただいたものです。 過去は変えられないものであること、すぐにはあきらめることは難しいので仕事や趣味にうちこまれては…とお教えいただきました。 仕事も当時はパートでしたが、頑張りをみとめられ来月より正社員になることになりました。趣味は以前庭仕事と山登りがすきだったので時々それらをするようにしております。 しかしどうしてもどうしても過去にしてしまった失敗を忘れることが出来ません。事情により相手に謝ることもお詫びすることもできず、自責の念は時間を追うごとに膨れ上がるばかりです。毎日が苦しくてたまりません。家族にはできるだけ迷惑をかけないようにだけは心がけています。しかし自分を責める気持ちがつよすぎて1人のときは恐ろしい言葉で自分を責めたり、自分の体をたたいたり傷つけたりしてしまいます。(ちなみに心療内科にもかかりお薬もいただいています。先生はそのうちよくなるよ…とおっしゃいますが、もう1年たちます) 過去に過ちを犯した人はやはりこうやって一生苦しむべきなのですか?もしそれが罰というものならあきらめてこのまま生きていこうと思っています。できれば過去にしてしまったことから離れて楽になりたい…と願うのは罰当たりなことでしょうか。 このまま苦しむのが本当につらく自死さえ考えてしまいそうになりますが、20年前に弟を自死で亡くしており、自死が周りに与える苦についてもよくわかっているので、家族のことを考えるとそういう選択は絶対にありえません。しかし苦しいあまり時々誘惑に負けてしまいそうになります。 仏教の教えでは過去にした失敗はどのように償うものなのでしょうか。自責の念からは逃れることはできないのでしょうか。 もしできるならこの自責の念からすこしでも楽になる方法を教えていただけませんでしょうか。たよってばかりの弱い人間ですみません。
機能不全家族の中で育ち、母の自死をきっかけに十代から一人暮らしをしています。 突然、母を失い、悲しみや喪失感を感じる間もなく生きる私の心の支えとなってくれたのが愛猫でした。 とても甘えん坊で居場所はいつも私のお腹や膝の上。抱っこが大好きで、目に入れても痛くない愛しい子でした。 そんな愛猫も十三歳になり、病気を患いながらもこの数か月は毎週の通院と投薬、点滴でなんとか命を繋いでいました。 お腹が床につきそうなほどふっくらしていた姿がいつのまにか2kgにも満たないやせ細った姿になり、この子はもう長くないかもしれないと思ったその矢先のことでした。 吐き気のせいでごはんが食べられず、水も飲めず、寝たきりになった愛猫を病院に連れていこうと予約をいれた直後に、荒い呼吸が始まり、それが落ち着いたかと思えば、すーっと眠るように息を引き取りました。すぐそばにいたのに一瞬気づかなかったほど、静かな最期だったと思います。 その日から、一日中泣き暮らしています。 後悔や反省も尽きません。私の努力が、配慮が足りなかったせいであの子を失ってしまったと、もっと早く病院に行っておけば、もっと早く異変に気づいていたら、と考えては苦しくなり、自分は飼い主失格だと申し訳なくなります。 あの子が病気で苦しかった日々から解放されて良かったと前向きに捉えようと試みてはいるのですが、どうしても、ずっとそばにいてほしかった、もっと一緒に生きたかったと涙が溢れてしまいます。 これまで何度も希死念慮が襲ってきた私の人生ですが、この子がいるから生きないとダメだといつも引き止めてくれた存在です。 家族もなく、頼れる人もいない私にとって最も大切でかけがえのない存在でした。 間違いなく、私が今世を生きる理由でした。 そんな子がいなくなった今、どうやって生きていけばいいのか分からなくなっています。 どうかもう一度、同じ姿で私の目の前に現れてほしいと願ってしまいます。 そこでお聞きしたいです。 死後の世界はどうなっていますか。 愛猫は本当に苦しみから解放されたのでしょうか。 不自由のない健康な体で天国にいますか。 また、私は愛猫の死をどのように捉えたら悲しみから解放されますか。 輪廻転生を信じて、いつか愛猫が姿を変えてでも帰ってきてくれると信じていいですか。 この先私は何を希望に生きていけばいいでしょうか。
初めての質問で、ずっと考えていた、人に話したことの無い私の人生観の相談になります。 表題からまず、誤解せずに頂きたいのは、私は別に苦しいからつまらないから死にたいとは思ってません。 逆に、なぜ皆、自殺=悲劇、悪、禁忌という考えなのか理解出来ません。 私は自分の人生において、ある年齢に達した時に自ら死のうと決めております。 それは人生がつまらないだとか苦しいからだとかという理由ではなく、そこを自分の終着と決めたからです。 やり残したことや後悔などはきっとすると思いますが、それは生きている以上無くならないですし、無くしてはいけないものだとも思っているので、それも受け入れて自分に幕を引きたいと考えているのです。 その行為によって、自分が納得しているか否か関係なく周囲に必ず迷惑がその後にかかるということも承知してます。 それでも、人に気を使って私の自分で決めた終わり方をやめようとは思えません。 それゆえの、表題での根本的問いです。 本人が満足し、納得した自殺をなぜ悪く言うのですか? そもそも死が忌避される理由すらもわかりません。 世界の一つの理に対して人は勝手に忌避を覚えることに疑問です。 絶対に抗えない世界の理に対する意識とは『忌避』ではなく、どう捉え、受け入れるべきかなのではと考えています。 自然死を待つ、というのも考えてはいました。 幼い頃は長寿を望んでいましたが、なぜ長寿を望んでいたのかを考えた時、特に理由もないことに気がつきました。 で、あるならば、私はいつ死ぬべきなのか。 現時点で私は事故で死んでも、後悔、やり残しがありますが、それでも納得して死ねると思っています。 誤解されそうですが、死を美化して捉えているわけではありません。 自分自身で終着を決めることで日々生きているのだという実感を得ることが出来、そして自身で決めた終着にて、私という存在に幕引き、人生が完成を迎えるのだと思っているのです。 だから問いたい。 自殺への忌避と悪、そして逃避という捉え方は違うのではないかと。 仏教において、聞きかじりで申し訳ないですが、仏教は自殺が=で罪ではないということから、このような形で長年の疑問をご相談させて頂いております。 お坊さん方は、みなさん、自殺をどう捉え、そして生きているのでしょうか?
現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。
タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。 今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。 もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか? また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。 また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。 色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。
来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。
昨年1週間で職場を辞めて現在無職の27歳です。適応障害と診断されて心療内科に一年半通っていますが、あまり変化はありません。 すぐに死にたいと考えてしまい、毎日が辛いです。首を吊ってしまう事も多々あります。 そこに加えて農家をしている父70、母64歳の死が怖いです。いつか死が来るのは分かっていますが、最近特に両親の死が怖いです。 親が一生懸命働いてる姿を見て、涙が出てきて、自分が情けなくなります。日々申し訳ない気持ちでいっぱいです。 その事もあり、農業を継ぐか就職するかを考えていますが、両方怖くて何もできていない状態です(農作業は手伝っている)。 農業自体は嫌いではないのですが、自分が住んでいる地元が昔から嫌いです。また、地域の集まりや農家の集まり等があり、そちらに参加するのも苦手で農家を継ぐのをためらっています。 なので、就職しようと考えますが、1週間でやめた事が脳裏をよぎり中々前に進めません。最近やっとハローワークやサポステに行こうと考えるようになってきました。 両親の姿を見て、このままではいけないと思うのですが、怖いんです。毎日毎日が怖くて吐き気や恐怖を感じる日々です。 1週間で辞めたことが恥ずかしくて、LINEや連絡先を全て削除しました。毎日友人等から電話が来ましたが出ませんでした。 現在頼る人間が誰もいない中、知ったのがハスノハでした。 助けて下さい。 僕はどうしたらいいのでしょうか? 毎日疲れ切った両親を見るのは辛いです。 早く楽させてあげたいです。 お願いします。助けて下さい。 回答お願いします。 長文お読みいただきありがとうございます。
何度も相談をしてすみません。 今まで何度かご相談にのっていただき、そのお言葉を力にと思い、今まで何とか生きて参りました。 しかし、やはりどうしても表題に記載した通り、今までのあまりにも多い罪の数、自分で自分の責任を取ることが出来ずに、押し潰されています。 今まで長い間道を踏み外してしまったこと、またその罪の重さに、押し潰され今後どのように生きて行けば良いのかわかりません。 罪を償わないといけないのはわかりますが、その気力がありません。何をするにしても、「人生終わった」と言う思いが頭から抜けず、人生を立て直す力がありません。今までの間違いに潰されて身動きがとれず、自分の人生なのにどうすることもできません。 反省をすることなく、途中人生なんてどうでもいい!と投げ捨ててしまったこともあり、悪に悪を重ね続けてしまった結果が今だとは思いますが、私にはもう「死」しか待ってないのだと本気で思っています。 自分の罪と向き合うと死への恐怖がありありと私に押し寄せてきます。恐怖のあまり手足はしびれ、とにかく怖く、怯え続けています。償いもせず今まで長い間道を踏み外し続け、神仏もあるものか!と自分の好き勝手したい放題、欲望のままに生きてきてしまったツケだとは思いますが、何とか生きたいです。 通常であれば懺悔をし、二度としないと心に誓い、道を正して進むのだと思いますが、あまりの長い間、間違って生き続けた人生に、「二度としない」と言うことができません。誓いたいのですが「もう手遅れ…」と言う思いが頭から離れず、誓えず人生を立て直すことが出来ません。 どうか自らの命を断つことなく、生き抜くにはどのようにしたらよいでしょうか?このような者にはやはり死しかないのでしょうか。本気で長い間悩んでいます。 何とか生き延びたいです。 まとまりのない文章で申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い致します。
この世界はもう終わりです。私達は殺されます。核戦争でこの地球は死の星になります。人間の肥大化した欲望から来る不足感が被害者意識を生み、その結果が今の軍事大国による侵略時代です。道徳は非人道的世界に飲み込まれます。私達に未来などありません。 到底受け入れられない、受け入れてはいけないものですが、解決方法もないので私達には死しか残っていません。それも惨たらしい死です。全国の仏教ネットワークを駆使して全国規模で人類への生前葬を行いましょう。 まだ間に合うかもしれない、ちゃんと天寿を全うできるかもしれないと感情では思いたいのですが、もうそんな可能性は日に日に小さくなっていくばかりです。世界は毎日毎日「最悪」を更新するばかりです。 例え運良く戦争にならなかったとしても、どちらにせよ人間社会の未来が暗いことは確定しています。 まだ気づいていないなら一緒に絶望してください。もうこの世界に未来など無いという真実にお目覚めください。私よりも賢くて徳のある貴方がたなら簡単なことだと思います。戦争は止められないこと、私達に未来は無いということ、死んでも結局はまたこの世界に生まれて苦しむだけの生が永遠に繰り返されるだけだということ、どこにも安息の地など無く、神仏の救いなどこの世界には存在しないということ。私でもわかることなのですから、貴方がたももうお分かりかと思います。私達には絶望するしか無いのです。人を救ったって仕方ないのです。どうせもうじき戦争で殺されるのだから。 絶望と怒りで心が埋め尽くされています。私が生きられないのは、私が苦しむのは完全にこの世界のせいです。生きても死んでも地獄から逃れられない。「存在」の強制力からは誰も逃れられないのです。もしも死んだ後の行き先が選べるのなら、日本は少子高齢化になっていないし家畜も戦地で死ぬ赤子も生まれていません。でもそうではないということは、死んだ後の安息など無く、死んでもまたこの世界の何かに生まれてしまうというのがこの世界の真実です。次は家畜かもしれません。どうして世界のほとんどの人間はこの真実に気づいていないのでしょう。 無惨に殺されるのはごめん被りたいのに、世界のあらゆる情報が「私たちは無惨に殺されるしかなく、しかも死んだ後もそれらが無限に繰り返される」という事実を指し示します。心が壊れて狂っています。
以前もここで質問させていただきました。 公務員試験の勉強、もう疲れました。 就職浪人してこんな弱音吐いてちゃいけないと思うのですが、やはり私は「社会に必要ない」人間だと思ってしまいます。 公務員試験合格のための予備校に通い始めてまだ3ヶ月で、まだまだと思う反面先が見えず辛いです。 また就職できなかったら死のうと思います。 いつも死のことが頭にあって苦しいです。 精神障がいの手帳もあります。 アルバイトで事務の作業をしている合間ですら、「自分はこんな簡単な、社会にとって必要なこともできないのか」と落ち込んでしまいます。(大きなミスをしているわけではないです) それというのも自分でいうのもなんですが、一般的に旧帝国大学(文系ですが)を良い成績で卒業し、それでも就職できなかったこと、周りが「いいところ」に行ったのに、わたしだけまだ何にもなれずに公務員試験の簡単な問題すら解けずにもがいている自分がとても醜いのです。 本当は就職できなかったら自殺する予定でした。 そのために大学、サークル頑張ってきたので。 就活の時は家庭環境がかなり悪化し、私の精神状態も強制入院ギリギリだったらしいのでまだ生きてるだけ奇跡かもしれません。 精神障がいの手帳には「希死念慮」と書かれていました。 早く誰かに「死んで」と言われて、死ぬか、誰かに「頑張ったんだから何もしなくていいよ」と言われて何もせず生きていきたい気持ちもあります。 でも、それでは今まで周りに迷惑をかけたり、お母さんやおばあちゃんに心配をかけた分を取り返せません。 罪の意識でいっぱいです。私は決していい人ではないです。本当に悪い人です。 自傷行為が治ったはずだったのに先週瓶で手の甲を何度も殴り、気がついたら酷い痣ができていました。 前は腕を切っていたのでまだマシですが、またアレに戻るのかと思うと自分が怖いです。 一日一日が過ぎるのがとても怖いです。楽しみなど今の私には何もなく、受けてもいけないと思います。 これから数週間、苦手教科の模試のようなものがあります。怖いです。点数で生きるか死ぬか決まってしまうので、 もちろん極端な考えをしているし、また死なないとは思います。 でも、とても怖いです。私は全く無能でただ周りに害を与える存在になってしまったと思います。 こんなことやってないで勉強に戻れと言われそうなので勉強に戻ります。
先日知人から共通の友人について「あのタイプの子は自殺しそうで怖い」と言われました。 が、何も言えませんでした。私は死ぬのも生きるのも個人の自由としか思えません。 勿論、幸せであってほしいとは思いますが、死にたいと言われても「頑張って生きなきゃダメだよ」とは思えません。その後幸せなことがあるとは保証できないし責任も負えない。終わりにしたいなら終わらせるのも自由。 お葬式を数多見てきて、どんな人も、例え親や夫が死んで悲しみを抱えてもいずれ日常を取り戻す姿をずっと見てきました。 私の一時的な悲しみのために、苦痛を受け続けながら生きてろよ、とはどうも思えないのです。生きたいと相談を受ければ聞きますが、死にたいと言われても、別にいいんじゃない?としか思えないのです。 同様に病気の友人にも、健康的に生活を改めなよとも言えませんでした。長生きするより、酒も煙草も自由に生きたいと本人が言うのならそうすれば、としか思えないです。しょうがないよね、アハハと隣で笑って、お葬式で泣くだけです。あの時止めてれば、と他の人のように思えません。 私は薄情なのでしょうか。 先月、20年頼の友人が死にました。毎週会っていた仲間でした。かつては恋人でした。悲しいです。喪失感もあります。でも、それは私の勝手な感情。結局考えに変わりはありませんでした。悲しいのはいつ死んでも悲しい。きっと20年後であっても。それでも人はどうあっても生きなければならないとは思えず、どうも繋がらないのです。 自分には何かが欠落しているのかとも思いますが、何かはわかりません。 私は人を大切にできない人間なのでしょうか。
大好きだった祖母が90歳で亡くなりました。 祖母はわたしの家の近くに住んでいました。 幼き頃風邪をひいた時に預けられたり、学校が早く終わったら祖母の家に帰ったり、祖母の家に電話をかけたり、祖母の作った野菜をもらったり…成人してからも祖母の家に行き他愛もない話をしてコタツで祖父母とお昼寝をしたりしていました。 いつでも祖母に会える安心できる心地の良い場所、それが祖母の家でした。 祖母は数年前から認知症のような症状が出てしまい体調を崩していました。 祖母の家に行きおむつを交換したこともありました。 その後、症状が悪くなり病院に入院したときにはお見舞いに行きました。 さらにその後、祖母は病院から退院して施設に行きました。しかしコロナ禍でお見舞いに行けたのは数回でした。 施設に入所した時には認知症の症状も進み、元気だった頃のように話せなくなっていました。 でも生きてさえいてくれれば、またいつか元気になってあの頃のように笑い合える、話せるのではと思っていたのかもしれません。 しかし数日前祖母が亡くなってしまいました。今は葬儀を終えたところです。 施設から家に帰ってきた、亡くなった祖母を見て、あまりに穏やかな顔だったのでまだ眠っているだけなのではないかと思ってしまいました。 納棺で体を拭くときも、葬儀でお別れをいうときも祖母はまだここにいる、と思っていました。 しかし、火葬場で焼かれ骨だけになった祖母を見て、もう会えないんだと思いました。 この世界のどこに行っても、大好きだった祖母の家に行っても、祖母に会えないと思うと悲しくて涙が出てきてしまいます。 祖母の声、笑顔、全てが忘れられません。 わたしは、何かを後悔してるとか何かをしてあげればよかったとかそういう思いやりのあることを考えているのではなく、ただただ自分が寂しくて、わがままに、祖母に会いたいと願ってしまっています。 祖母にもう会えないというのが寂しくて、祖母の死を受け止められません。 どこに行けば祖母に会えますか。 祖母に会いたいという気持ちはどうしたらなくせますか。 何かお言葉をください。