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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 借金 死にたい」
検索結果: 383件
2025/02/02

心の平和を得たいです。

私は、ずっとラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の非二元論の基本原理「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない(仏陀がオリジナルの言葉、無我)」「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない。起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」という心の平和のための教えを気にしてきました。 もちろん、社会の上では、みな行為者です。つまり、社会には行為者はいます。社会は個々の行為者とそれに伴う責任なしに機能しません。人間は虚構によって生きています。 つまり、人生においては、実際には行為者はいないことを理解しながら、まるで行為者であるかのように生きなければならない、ということです。 ラメッシの言っていることは、仏教の世俗諦と勝義諦の考えと同じだと思います。 世俗の真理と究極の真理は、矛盾するものではなく、互いに補完しあうものであると考えます。そうであれば、ラメッシの教えに問題はないと思います。 仏教の縁起の法則(自然の法則)でも、すべての現象は、他の原因によって起こり、独立した実体はない(空)と言っています。 それでですが、仏教的には、例えば、殺人行為が行われた場合、世俗諦としては、行為者が存在しているため、罪で悪ですが、勝義諦、つまり究極の真理としては、行為者はいない、つまり無我であるため、人間存在に、功罪、善悪は存在しないと思うのですが、どうでしょうか? だとしたら、私は救われます。 見解をお聞かせください。

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お坊さんを怒らせてしまった

お坊さんを怒らせてしまいました。 とある悩みについてお坊さんにメールしました。 悩みやすい性格であるため、何度もメールをしては、アドバイスをしてくれていた方でした。 その方から先日、アドバイスとともに、「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」とメールがあったので、 私は「こちらこそ、これからも友達でお願いします」「いつもありがとうございます」と打ちました。 そしてしばらくして、新たな悩みについて相談したところ、 「なぜ1円も納めようとしないのか」というメールの返信が来ました。 「1円でもよいから納めてください」「それかこれからも友だちでいてください」の後者を選んだ理由は、 納め方がよくわからなかったからなのですが、これについてかなり怒っており、見た瞬間震えてきてしまい、メールを削除し、 今現在学業で忙しいから今度でよろしいでしょうか、と返信しました。 すると、この期に及んで言い訳するのか、とメールが来ました。 その前は、あなたの悩みやすいその性格が全ての原因だ、的なことも書いてありました。 それから返信はしていません。 ただ、信頼していた方だけにショックですし、納めることが義務だとは思いませんでした。 若干トラウマになりそうです。 この体験とどのように向き合えばよいでしょうか。

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