hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件

恩師の死から現実が混乱する

こちらで恩師の死について何度も質問させて頂きましたが、相変わらず受け入れられない日々が続き一年以上たちました。でも一瞬、失った悲しみを感じることがあり急に号泣したり名前を呼んだりしてしまいます。でもまたすぐに理解できず、何事もなく普通に戻ります。自分では意識していないのにとうとう体の不調も出てきました。離人感に襲われたり、急に不安になったり、自分がもう一人いるような感覚になり、おかしくなりそうな自分を必死に閉じ込めるような感覚です。きっと内科的には異常はなさそうで、心療内科へ行くべきですが、行きたくありません。薬漬けにされたくもないです。 私は病んだり恩師の死にストレスを感じている意識はありません。でも、受け入れられず、理解もできず。。なのに恩師に会えない。一年も会ってないなんて不思議なあり得ない感覚です。 私自身とても戸惑っています。恩師と一緒に仕事していた頃の元気でパワフルな姿と、病気で痩せ細り変わりゆく姿も、同一人物とは思えず今も元気でいるような感覚もするし、でも病気になって亡くなった現実もたまに感じるし、自分でも混乱中です。あまりにも衝撃的な出来事だったのだと感じます。ゆっくり何年もかけて咀嚼しながら受け入れていくつもりでしたが、時間が経てば経つほど、自分の中で分離していくというか。元気な恩師がいる世界と、亡くなってこの世にいない世界を私が行き来しているような感じです。そのため、今が何曜日なのか今の季節が夏なのか冬なのかも分からなくなってしまうことがあります。恩師の死だけでなく、現実そのものが狂っていくような、ずれていくような。。 今いるこの世界も現実も、夢のような気がします。かといって、毎日泣いたり病んだりしていません。普通に過ごしています。体の不調や離人感を除けばいたって普通です。たまに混乱することがありますが、気持ちは消して病んではいません。専門家にかかるのが1番なのはわかっています。きっとそれが1番だと思います。でもその前に、ここで聞いてもらいたくて。私の心や体の不調はお医者様に任せようと思います。でも、また違った目線で私と恩師のことを見てくださいませんか、、

有り難し有り難し 54
回答数回答 1
2022/12/19

何故死を選んではいけないのでしょうか?

タイトル通りですが、なぜ死を選んではいけないのでしょうか? 生きることが尊いこととされ、生きる権利は日本国憲法でも保障されております。 ですが、同じ生命にかかわることで死を選ぶ権利、つまり死ぬ権利はどこにも保障されていないのです。 これはとても歪なことのように感じます。 私自身、周りの人が幸せと一般的に思うようなことを幸せと感じることがほとんど無いということに、漸く気づけました。 つまり、他人と行動を共にして社会生活をするということそのものが大きなストレスでしかないのです。 それを根本に踏まえた結婚だとか出世だとか友人づきあいだとか、正直に言うと全てが無駄なことにしか思えません。 じゃあなぜ未だにそういった無駄なことを続けているかというと、この国では、というよりもいま世界的には死ぬ権利が認められていないからです。 私の望みは一切の他人との縁を断ち、孤独に死ぬことです。 自分のことで葬儀だのなんだのと煩わしいことをしてほしくもないし、記憶に残してほしくもありません。 ですが困ったことに現在の社会ではそれを実現することが非常に困難、というよりも不可能であるように思います。 人間は自己実現と自身の望みの完遂のために生きているのだと私は思います。 この考え方はきっと何があっても変わらないでしょう。 私の望みは上記のものですが、然してそれはどうやってもかないません。 どうやっても叶わない望みを持ち続けるのならば、もはやそれは耐えようのない苦痛としてのしかかり続けるだけです。 ならばさっさと命を絶ってしまった方が、幸福の総量は多いのではないでしょうか? 今でも楽しいことが皆無かと言われれば、そんなことはありません。 趣味である読書や、いくつかの行いは確かに私にとってプラスになります。 ですが、そのプラスが精々週に1~3だとすると、生きているだけで他人とかかわる以上毎日マイナス5ぐらいはされてしまっているのです。 これでは話になりません、ずっと損をしています。 長くなってしまいましたが、どうしてこのような意味のない生活を送り続けなければいけないのか、終わらせてはいけないのか。 このことについてよろしければ解答お願いいたします。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

お世話になった方の死から立ち直れません

誰に相談したら良いのかわからず、死について色々調べていたところこちらのサイトを見つけました。 昨年、3年ほどお世話になっていた美容師さんが急逝されました。 特別親しかったというわけではないのですが、友人にも話せないような深いことを打ち明けられる唯一の存在で、私にとって大きな心の支えとなっていた方でした。 接客業独特の愛想笑いなどもせず、ご自身の率直な意見を忖度なしにズバッと言ってくださる一方、押し付けがましくないさりげない気遣いをいつもしてくださる方で、人間としても非常に尊敬していました。 私の人生に沢山の影響を与えてくださった、本当に素敵な方です。 お店で訃報を聞いたときは、衝撃で頭が真っ白になりました。 同年代かつ日頃お世話になっている人の突然の死を経験したのが初めてで、これまでに感じたことのないような物凄いショックと悲しみでいっぱいになりました。 亡くなってからまもなく1年が経ちますが、悔しさと悲しさが溢れ出して、いまだに心の整理がついていません。 今でも声を上げて泣くことがあります。 昨年末、ご遺族へお手紙や追悼の品をお送りさせていただけないか店長さんに一度ご相談したことがあったのですが、ご両親は普通の生活を送るのもままならず、息子さんの死も受け入れられていない状態とのことで断られてしまいました。 美容師さんに対して何もすることができず、ずっとモヤモヤしています。 まとまりのない、拙い文章で申し訳ございません。 長くなりましたが、ご相談したいのは下記の2点です。 ・本来であればご実家の仏壇やお墓までお参りをしたいぐらいですが、ご遺族のことを考えるとなかなか難しそうなので、自分でもできる供養の仕方を教えていただければと思います。 また、命日付近に美容院に行こうと思うのですが、何かお店に対してできることはありますか? ・今も悲しさでなかなか立ち直ることができません。 親族や友人が亡くなった場合と異なり、その人のことを知っているのが自分しかおらず、悲しみを周囲の人と共有できないのも辛いです。 自分の気持ちを話しても、「なんで他人の死にそんなに悲しむの?」みたいな反応をされてしまい悲しくなります。 また、写真を持っているわけでもないので、いつかはその人の顔や声を忘れてしまいそうなのがとても怖いです。 今後どのような心持ちでいればよろしいのでしょうか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

弟の自死について

まとまりのない文になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。 若い俳優さんの訃報に触れ、数年前に自死した弟のことを思い出しました。 また、その俳優さんの友人であったという俳優さんが、某音楽番組で涙を堪えながらある曲を歌っていらっしゃり、その曲が偶然にも弟が好きで葬儀で流した曲で、そこから涙が止まらず、ダムが決壊したように感情が崩壊してしまいました。 普段は子供たちのことで病的に後悔してしまうことが多く、その強迫観念症を治療しているのですが、後悔の大元はここにあるのかなという気がしています。 同じ家の中にいたのに、壁一枚隔てただけの隣の部屋にいたのに、助けてあげられなかった。 毎日一緒に生活していたのに、そんなに苦しんでいるのに気づいてあげられなかった。 喧嘩してひどいことも言った、たくさん傷つけてしまった。 もっと一緒に色々やりたかった。 一緒にご飯を食べに行ったり、お酒を飲んだり、旅行したり。 私の家族にも会わせたかった。 最後の言葉は、パソコンに残っていた、家族がみんな幸せでありますように、という優しい言葉。 ある程度乗り越えていると思っていましたが、全然でした。 会いたくてたまりません。 話がしたい、謝りたい。 私自身、弟がこんなことになる前に鬱にかかり、自傷行為をしていた時期があり、私のせいで弟まで悪い方に引っ張ってしまったかもしれません。 弟にも、両親にも、本当に申し訳なくて申し訳なくて、どうしたらいいのかわかりません。 感情のままに書きなぐってしまい、支離滅裂で本当にすみません。 私はどうやって心を立て直したらよいでしょうか。 弟の死への悲しみ、後悔、自責と両親への申し訳なさでぐちゃぐちゃです。 また、弟は衝動的にやってしまったのではないか、後悔してるのではないかということや、自死した人は罪が深すぎて地獄に落ちると聞いたことがあり、今でも苦しんでいるのではないかずっと気にかかっています。 弟は、救われますか。 お忙しい中すみません、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 57
回答数回答 1

人の死を受け入れる心構え

先日、お仏壇の事で相談した者です。 2月1日まで母はとても元気で、母の誕生日が近いので、緩和ケアから外出許可をもらい、食事の予約して母もとても楽しみにしていました。 ところが、3日の日母から電話で、嘔吐下痢があり、無理だからキャンセルをと言われ、まだ少し時間あるから。と伝えてももうそんな気分になれない。と。 4日には痛みが出ているらしく、薬で眠らせてる状態で。今からどんどんひどくなると。 私は実家から出ているのと、母の余命は8年前から宣告を受けていたのである程度の心構えはあったつもりですが、 やはり落ち着かないといいますか、心がザワザワとするし、かと言って母の所にずーっと居るわけにもいかず。 これは少し困った精神状態です。 人の死を受け入れる事はできるとは思いますが、いざとなるとこんな風にザワザワするものなんですね。 本来去年のクリスマス時期に一度危なくて、何故か持ちなおし緩和ケアにはいったのですが、私と母が二人で話すこと。がこれまでなくて、緩和ケアに入ってる間、沢山会話ができました。その時間を神様がくれたのかもしれません。 後3日、時間くれたら母も思い残す事は無かったのでしょうが。。 人の余命は私にはわかりません。 こんな時、どんな風に家族は心構えをしていけば良いのですか? 安定、不安定な繰り返しで、少々メンタルがまいってます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

自死をされた方と影響について

先日ご相談させていただいた娘との件は何とか落ち着きました。 娘は、一人立ちを目標に貯金を始めるようです。 ありがとうございました。 さて、本題です。 先日の相談で少し触れたのですが、私が勤務するとある施設の利用者の方が自死をされました。 長年の重度のうつで、ご家族、ご自身色々な問題を抱えていらっしゃいました。 関係者、各機関で、意見交換し精一杯の支援をしていこうとしていた矢先の事でした。 支援のあり方に、自問自答するばかりです。 当日休んでいた私でさえショックが大きいのですが、現場に立ち会った職員には大きな心の傷が残っているようです。 救命処置も行ったけれど手遅れだったようです。 皆表に出しませんが、職員全体の動揺は厳しいです。 施設には夜間巡回があります。一人でです。 暗い中、その方がいたお部屋の横の廊下を通る事に、ほとんどの職員に抵抗が生じています。 皆、抑えられない恐怖感と闘いながら、巡視しています。 私は、もともと仏教に興味があり、関連する書物を読んだり、こちらの「死に関する」相談への回答を読み、自分自身を納得させるよう努めています。 自死したからと言って皆悪霊になるわけではない。 皆が怖がったら、かわいそうかな、と思ったりもします。 それでも私も、暗い廊下を巡回するのには、少し気合いを入れます。 独特な雰囲気で廊下を歩かれたり、周囲を見ずに突進するようにエレベーターに乗ってくる方でした。 夜は想像力をたくましくするので、エレベーターを開けて乗ってこられたら、とか、廊下を歩いていたら、やはり怖いだろうなあ、と考えます。 その時は「南無阿弥陀仏」と唱えてみようか、とも思ったりします。 私は、元来、幽霊の話には懐疑的なのですが。 テレビやネットなどで、死者の出た住居などを恐怖を煽るように噂話を広めます。 多くの人が、影響され想像力で左右されることは、あるのだと思います。 この自死をされた方は、家族から葬式もあげてもらっていません。 葬式は、ただの儀式に過ぎないかな、とも思っていますが。 この自死された方は、大変苦しくて苦しくての結果だったのだと思います。 今は、苦しみから解放されているのでしょうか。 皆の心配は、苦しみを現場に残していないか、という想像もあるのだと思います。 自分自身、整理ができません。 回答お願い致します。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2
2022/11/10

友人の死から時間が経って

誰にでも優しく努力家で大好きだった友人を亡くしました。 先方の状況も落ち着いた先日、友人数名と彼女のご自宅へ線香を上げに伺いました。 ご家族も含め彼女の思い出話をしたりとても有意義な時間でした。 しかしながら、私は未だにどこか彼女の死を受け入れられずにいます。 ご仏壇の前で彼女の遺影に向かって手を合わせたというのに、まだ現実には彼女はどこかにいていつかまたフラっと現れて普通に会えるのではないかと思ってしまいます。 こんなことを書きながらさらにひどいことには、彼女を羨ましいとさえ思ってしまいます。 突然死で苦しむもこともなく、人生のとても良いときにまわりの人にすごく惜しまれながら亡くなった彼女を羨ましいと思うのです。 私にも大切な家族や友人パートナーがいて、普通に仕事もあって恵まれているはずなのに… 神様から貴方が彼女の代わりに死ぬ?と尋ねられたら喜んで受け入れてしまうと思います。 羨ましいなんてひどいことを思ってしまう自分なんて消えたらいいのにと思います。 ですが、私は傲慢で臆病なので自分で自ら死ぬ勇気さえないのです。なんの目的も生きがいもなくだらだらと生きてしまっています。 まとまりがなくて申し訳ございません。 励ましでも喝でも構いません。こんな私にお坊様から何かお言葉を頂けないでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

立て続けに起きてしまった死

 2020年の1月4日(土)に最愛の父が亡くなりました。死因は肺癌の治療での免疫力低下に伴う細菌性肺炎でした。何ヶ月も前から癌の治療はしていて、体調も良い日が続いて一時は退院したのですが、年末前に急に肺炎を起こし、そこからはひたすら悪化の道を辿り、当日は看護師の方も予想できないくらい急に亡くなってしまいました。そのため家族は誰一人として付き添ってあげられませんでした。父は12月28(土)に還暦を迎えたばかりで、そこから丁度一週間後の出来事でした。  そして、丁度今から1時間半ほど前に愛犬が亡くなりました。父の死から1週間が経った1月11日(土)に急に呼吸が苦しそな姿を見せ始め、様子を見て悪化するようだったら病院に連れて行こうと思っていたところ、今日の深夜になって急変してしまい、先ほどそのまま息を引き取りました。愛犬も1月5日に10歳を迎えたばかりでした。  父も愛犬も節目の年齢を迎えてから10日もしないうちに亡くなってしまい、さらにその期間がほぼ1週間ということ。愛犬は腰が悪くて寝たきり生活ではあったものの、1月10日(金)まではいつも通り元気に吠えて食事も排便もしていたのに、丁度父の死から1週間が経った日に体調不良になったこと。この立て続けに起きた不幸はただの偶然なのでしょうか?強い疑いがあるわけではないのですが、あまりにもタイミングが悪すぎたので、もやっとした思いがあります。  そして、先ほど愛犬が亡くなった際に母が「あの段ボールの服捨てなきゃ。あれが届いてから2人も亡くなった。」と言っていたことも引っかかりました。この「段ボールの服」とは、5~6年ほど前に亡くなった父の叔母の旦那さんの所有物であった未使用の洋服のことで、父が年末前の肺炎で2度目の入院をした後すぐの時に叔母から「誰も使わないし捨てるのも勿体無いので是非使ってください」と父宛に送られてきたものです。母はこの「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっているというのですが、そういうことは起こり得るんでしょうか?    また、元旦に私が父の代わりに仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことをして、それが原因になってしまったということはあるでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 38
回答数回答 3
2024/06/26

彼の自死について

1年前、その彼は自死しました。彼は既婚者でした。妻子のいる人だとわかってお付き合いした私に非があります。 自死した原因は子供を授かったからです。 子供は諦め別れるつもりでしたが、 離婚して一緒になると彼は言いました。 ご家族に話すと言っていた前日、私は今後の人生を考えたらとてつもない不安に襲われ、彼にやっぱり堕ろす、あなたとも別れると伝えました。彼から返事はありませんでした。 連絡がないことに不安が押し寄せてきました。 その翌日彼は家族と住む家で首をつり自死しました。 私は彼の友人から連絡があり知りました。 突然のことで最初は理解ができませんでした。 本当に自死したのか現実を受け止めることができませんでした。 葬儀にも参列できないので、彼とはお別れすることもできませんでした。 二週間後子供は堕しました。 ただただ現実を受け止めることができませんでした。 なんで?と思う気持ちばかりです。 自分でどうしようもできなくなったからと逃げて、卑怯だとも思いました。 そんな風に思ってしまう私が一番罰を受けなければならないと思う気持ちと、勝手に何も言わず残さず逝ってしまったんだから、私にそれを背負わすのは卑怯だよ、と思ってしまう自分もいます。 自業自得なのもわかっています。そんな私は幸せに生きることが許されないのかとも思っています。 最近、死の罪は死でしか償えないのかなと考えています。 私はこれからどのようにして生きていけばいいのでしょうか。 幸せを感じる人生を歩むことは罪なのでしょうか。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2
2022/11/19

母の死を乗り越えられない

母は認知症が若干入っていましたが、とても元気でした。 3月23日に玄関で転んだ時も、10日も我慢していて、実は膝のお皿の骨が割れていました。 それから、1ヶ月、母の足が良くなったら、ここに行こう、あそこに行こうと考えていました。 骨折の具合を診てもらう為にお医者さんに行く為にお風呂に入りたいと言うので、お風呂の準備をして、お風呂に向かった後ろ姿を最後に母は、お風呂で急逝していました。 お風呂が長い事にもっと早く自分が気付いていれば、助かったのではないかと自分を責めてしまいます。 僕は心の病で病気療養で10ヶ月以上、母と四六時中一緒でした。 でも病気のせいか、母との思い出が思い出せず、幼い頃の一緒の写真を見ても、若い頃の母の顔を覚えていなくて、こんな顔だったんだと思ってしまいます。 母は、僕の病気が治ること、職場に戻れること、そして結婚出来ないことを、生前とても心配していました。 母には苦労や心配をかけっぱなしで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 突然亡くなった母の死を受け入れられず、 今でも苦しんでいます。 母は私を許してくれるでしょうか? 母は幸せだったでしょうか? 母はあの世で幸せでしょうか? どうか、お助けください。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2