先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。
5年前に祖父を亡くしました。 当時は自宅で突然倒れた、病死だと聞いていましたが、先日本当は自殺だったと聞きました。 祖父が書いた遺書も読みました。 自殺の原因は祖母です。 祖母は診断は受けていませんが認知症か精神疾患であったと思われます。 祖父に「早く死ね」など、近所まで聞こえる暴言と罵声を日々浴びせていたり「今から道路に飛び出して車に轢かれて死ぬ」と家を飛び出し、祖父が慌てて追いかけることもあったそうです。 祖父が心中を持ちかけたこともあるそうですが、祖母は「死ぬなら1人で死ね」と。 結果、本当に祖父は1人で亡くなってしまいました。 自分のお葬式の準備もして、遺書も残して。 祖父の死後、祖母は自分達の世話をしてくれている近所に住む叔母夫婦に「死んだ理由を他の親族に言わないで」と懇願したそうです。 知られたら自分が責められると思ったのでしょう。 祖父は祖母に殺されました。 祖父を殺しても自分のことしか考えられない、考えない祖母も去年亡くなりました。 私は祖母が生きていたら「人殺し、お前も死ね」くらい言ってしまうと思うので、祖母が亡くなった後に祖父の自殺を知ったことに対するホッとした気持ちと「死に逃げ大成功だな、くそばばあ」と悔しさがあります。 祖父がそこまで悩んでいたことを知りませんでした。 知っていたら、私は祖父を守るために祖母から引き離しました。 「おじいちゃん、一緒に住もう」と提案しました。 私がもっと早く気づいていれば祖父は助かったはずです。 でも、もう今更何を言っても遅いです。 泣いて悔やんでも祖父は帰ってきません。 今、私が辛いのは救えたはずの祖父を救えなかったこと、仏教では自殺したら地獄行きと言われているという話を聞いたことがあり、祖父は今でも苦しんでいるのかと辛くて仕方ないです。 また、葬儀の際にお坊さんをお呼びせず、お経をあげていただくこともしませんでした。 お坊さんにお経をあげていただかなかったことも心配です。 自殺したら地獄行きは本当でしょうか? 私は祖母が地獄に落ちていることを願ってしまいます。 祖父は今どうなっているのでしょう? 輪廻転生が本当にあるならば、祖父は今度生まれ変わったらどうか幸せになってほしいです。 私は看護師なので「病気が患者さんにこういう行動・言動をさせている」と考えますが、祖母に対してはそう思えません。