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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件

自殺したいと考えるのは罪ですか

はじめまして ネットで何か質問をするのは初めてですので、拙いところ等あるかと思いますが話を聞いて頂けたら幸いです。 私は自分が嫌いで仕方がありません。自分がゴミのような存在に思えます。その理由についての自分なりの分析はできています。 私は幼少期から兄と自分を比べて生きてきました。まわりにそのような空気があったこともありましたし、兄を嫌っていたわけではないのですが、この人に負けるのは嫌だと思って生きていました。 ですが、中学受験の際、兄が合格した学校に私は合格できませんでした。その時に生まれて初めて自殺というものを意識しました。他人にしてみれば取るに足らない挫折の一つかもしれませんが、私にとっては特別な敗北だったのです。 また、受験期に継母の情緒が不安定になり、ちょっとしたことで暴力を振るうようになったことも死を意識するようになった遠因かもしれません。 中学に上がった後も無力感と絶望感に苛まれ、眠れない夜も多かったのですが、同時に前を向きたい、自分を肯定する何かが欲しいと思っていました。 その後高校に上がり進路について考える頃になると、幹部自衛官に興味を持つようになりました。初めて兄を意識せずに自分自身が興味を感じた道だったのですが、小児喘息持ちだったこと、他の進路もあるかもしれないと思ったこともあり、防衛大学校ではなく一般大学に進みました。 ですが、就活の段階になってもその夢は変わらず、結局一般大卒の幹部自衛官採用試験を受けました。結果は一次は通ったのですが、二次で不合格でした。 その後、一旦は民間企業に就職したのですが、諦めきれず会社を辞してもう一度受験しました。今度は必ずと決意したのですが、結局同じ結果に終わりました。 小児喘息だった(完治したかはわかりません)という要素が無意識のうちに自分の選択に迷いを生じさせたのか、あるいは生来の性格故かはわかりませんが、恐らく面接が敗因だと思います。 その試験は年齢制限のためもう受けることはできません。追い求めたものだったのに、ただ時間を無駄に過ごした、自分は自分の期待にさえ応えられなかったのだと思うと死にたくて仕方がありません。 私は異常でしょうか。 長文・乱文失礼致しました。宜しくお願い致します。

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自死した者の死後について

前回自死してしまった娘のことでご相談したのですが、 とある僧侶の方から自殺した者はすぐに仏様の元へ行くことはできないと考えている。なぜなら辛くとも最後まで精一杯生き抜いた人と途中で諦めた人が評価が同じではないからと言われました。 私はそうは思えません。 自死する人はみな心の病が原因だと思うのです。普通の精神状態であれば誰が自ら死を選ぶでしょう。諦めたのではない、それしかもう選択肢が無かったのだと思います。 心の病も身体的な病も同じものではないのですか。 また闘病されて亡くなった方でも生前に悪行ばかり行った方もいるでしょう。それでも自死してしまった人間がすぐには行けない極楽へ行けるのですか? 娘は苦しみ抜いて自ら死を選んでしまいました。 精神科へ通院入院もしていましたしカウンセリングへも通いました。それでも病は少しも良くはならなかったのです。 これも立派な闘病だと思います。 娘は生前、抗ガン剤治療で髪を失った方の為に長い時をかけて髪を伸ばしヘアドネーションへ32センチもの毛髪を寄付しました。 免許証の裏面の臓器提供の欄にサインしてあったのを知っていたので、死後に角膜提供もしました。 子供の頃から人の悪口を言ったり無責任な噂話をするのも嫌いな子でした。 親バカかもしれないですが、こんな心の美しい子が自死してしまったからと言って、生きるのを諦めたから生から逃げたから、病死の人と違うからすぐに極楽へは行けないというのは本当に哀しく気持ちの持っていきようがありません。 その僧侶の方は残された私どもの行い次第で娘は成仏するのだと言われました。私達が娘のために功徳を積むのは当然と考えますが、 だからと言ってそれをしなければ娘が成仏できないとは考えられません。娘の人生は短かったかもしれないけれど、立派に生きたと思います。 残されたものが功徳を積まなければ成仏できないのであれば天涯孤独で自死してしまった人はどうすればいいのですか。 自死を選んでしまった人間は本当にすぐには極楽に行けないのでしょうか。 私の前回の質問への回答を読まれてしまった同じような自死遺族の方々もショックを受けられるのではないかと心を痛めております。 自死を容認できないからと言ってわざわざ自殺と言う言葉を使う僧侶の方は回答なさらないでください。

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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

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いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

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早く死ねと思ってしまう私

祖父が嫌いです。四人兄弟なのですが私だけ祖父から嫌われています。 理由は昔から祖父は母のことが嫌いで、「結婚させるのも反対だった」と口癖のように言います。割と母親に懐いてた私はその事が原因で祖父を嫌いになりました。 四人も子供がいるので小学生の頃などは整理整頓が出来ず、散らかってばかりの部屋を見て祖父は「豚小屋」とか「あんな母親になるなよ」とか妹のことを祖父母は溺愛してるのですが妹が口をポカーンと開いてると、「口を開いてると眼鏡をかけたおばさんになるぞ」(母は眼鏡をかけて、鼻炎がひどいので口呼吸になりがちなんです)とか言ったりしていました。 それが本当に嫌で兄弟の中で私だけ祖父に反抗していて、口が悪いですが「うるせー黙れ」と言ったり していたせいで嫌われました。 母親が接客業で年末年始は帰りが遅くなり、洗い物をしてないと祖母がやるんですが、それを見て祖父は「それは母親の仕事でお前がやることじゃない」とか言ったりします。とことん母を毛嫌いしてますね。 兄弟格差も数え切れないほど色々あり、私嫌われてんなーと思ってしまいます。 別に嫌われてることに関してはなんにも思いません。今更って感じですから。 質問なんですが私はよく心の中でですが祖父に対して「早く死ね」って思ってしまいます。それっていけないことですか?人の死を悲しむことは良いことですけど、人の死を喜ぶ事はいけないことなんですよね? 不謹慎な話自分が大学進学するまでには死なないと思うので、大学進学して県外に出てった後に死んだらお葬式に出るつもりはありません。 なんか私って本当に醜いですよね??兄弟の中でもひねくれ者ですし、頭が良かったら反抗もせず聞き流してたのかなと思います。 小学生の頃から高校生になった今まで「じじい死ね」と心の中で思っていますが、自分って幼稚なんだなと思いますし、なんかそんな自分が嫌になります。

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2023/08/03

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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