生きるのに疲れました。 13年間死にたい思いと共に生きてきました。 いじめや不登校、治らないアトピーやうつ病。 お前なんてまだまだだと言われるかもしれません。でも、もう沢山苦しんできました。 たしか8年くらいの前ことです。決めたことがあります。 両親より1日でも長く生きること。 それがその時に自分ができる、今まで迷惑をかけてきた両親にできる唯一の親孝行だと思い決心しました。 でも、もう疲れた。 苦しい思いをして生きる必要なんて感じない。 人の命が互いに量りきれないのなら、誰が先でもいいはず。 先に生まれた方が先に死んでいいなんて、そんなのその人の都合でしかない。 「親より先に死ぬのは親不孝」と今両親に死なれた子供に対して言えますか? 両親は優しくて寛大な両親です。 自分がどんな状態にあっても味方でいてくれます。 でも、もう疲れた。 楽になりたいです。
30歳を過ぎだ頃から体調不良が続いています。一つの病気がようやく治ったと思ったら、また別の病気が発覚します。 どれも日常生活に支障がある病気ですが見た目には健康なので周りの人達との関わりに悩む事もあるし、どうしても、そんなに悪い事をしてきた覚えはないのに何で次々に病気になってしまうのかなぁと落ち込みます。悪気のない励ましのつもりでしょうが、病は気から等の言葉をかけていただく事にも疲れました。 心が疲れた時に気持ちを切り替えられる良い方法はないかと相談しました。
4回目の質問になります。 原因不明の病で入退院を繰り返していましたが、確定診断がつきました。症例の少ない難病で治る事はないそうです。 頼れる身内はいません。市役所では生活保護を強く勧められました。 働く事も出来ず、生活保護を受け、社会参加も困難。 薬を飲んで、ただ息をしているだけ。 まだ40代です。 先は長いでしょう。 治らないけれど死ぬ事もない。 この生活を続ける事に何の意味があるのでしょう。 食事して寝て過ごす生活。 外出も困難。 生きる意味は何ですか? 「頑張って生きて下さい」と言われますが、生きていて何の意味があるのか分かりません。
知識のない一般人としての質問で大変申し訳無いのですが・・・ ブッダがいた時代は、大乗仏教や宗派ができる前ですが、ブッダが一番言いたかった、伝えたかったこと(メッセージ)というのは、大乗仏教の中にどう生きていると思われますか(大乗仏教の様々な宗派の中でどの部分に一番それが象徴されていますか)? 大乗仏教において、ブッダの教えとその宗教としての儀式などがどこか矛盾していると感じてしまうことがありますがそれはどう捉えればよいでしょうか。(ブッダのいう悟りから得たもの(教え)と大乗仏教の在り方が矛盾してみえることがある) 菩薩という存在は、大乗仏教のなかでどう捉えたら良いのでしょうか。