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「運命・見えない力」を含む問答(Q&A)一覧

障害者として生きる意味を教えてください

過去数々の質問に答えていただき、感謝しています。 私は障害者としての身になってから、他の方が出来ることができなく、障害を持つ前に出来ていたことができなくなってしまいました。 仕事に関しても自分ではこれだけ出来ると思うことが出来ず、自己嫌悪に陥ることが数多くあります。 障害を持ち、健常者と異なると言っては良くないかもしれませんが、そのような人生を生きることで私にしか成せないこと、また障害者だからこそできること、私と同じ立場の障害者に課せられた運命のようなこと、宿命、障害を持つことで発生する使命について教えてください。 世の中には障害者は汚いものとか無駄なものとかいうことが言われたりしますが、本当に私達障害者が意味を持って生きるにはどうしたら良いのでしょうか? また、叶う願いか分かりませんが、障害者として介護福祉士の資格を取りたいと思っています。 戦前戦後を支えてくれた今の入居者、その方々が楽しい人生だったと言って旅立っていけるよう、些細なことでしかありませんが力になりたく、今老人ホームで介護補助の仕事をしています。仕事ぶりは全く満足できるものではありませんが、自分も周囲の職員にも満足できる仕事がしたいです。 話は戻りますが、私は障害者となり出来ることが少なくなり、発症する前の自分とのギャップが苦しいです。 障害者として生きる使命、この社会に障害者としてなにが出来るのかを教えてください。 長くなりすみません。

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遺影の微笑みとお供え物

私が子供の頃から現在進行形で目撃する不思議な出来事です。 私が子供の頃からよく母の実家である母方祖母宅に遊びにいっていました。 母方祖母は霊感が強く、多くは語らないものの母曰くかなり色々な出来事があるようでした。 祖母は母が9歳の時に祖父が事故で先立ち、再婚もせずに母方祖父の両親である曽祖父母とまだ子供だった母と叔父達を育て上げました。 祖母は温厚で優しい性格で洞察力が鋭い人ですが、怒らせると怖いですが私は父方母方どちらの祖母も大好きです。 母方祖母は甘いものが大好きで、子供の私には親から頂くお小遣いの範囲内で帰るものはコンビニの100円シリーズのお菓子のかりん糖が精一杯でしたが、喜んでくれました。 「おや、有り難うねぇ。お祖父ちゃんやご先祖様と皆で食べたいから最初にお仏壇にお供えしてくれるかな?」 と、毎回祖母に言われました。 私が幼い頃から自然と祖母宅に着くと必ず最初はお仏壇へご挨拶が毎回恒例でした。 仏間には母方祖父と曽祖父母と曽祖父のご両親の遺影が飾られています。 お仏壇にお線香をあげて鐘を鳴らし手を合わせて持って来たお菓子を供える…ポッケに入っているお菓子から100円のお菓子から現在はお給料でゲットしたちょっと立派なお饅頭やクッキーや洋菓子とレベルはあがりました。 しかし、そのお菓子を供えて遺影を眺めるのが幼い頃からの癖ですが、その時に不思議な事が起こります。 お仏壇に手を合わせる前に遺影を見ても少し微笑みがあるくらいの表情ですが…お仏壇に手を合わせてお菓子を供えてまた遺影を見上げる私が見るのは、明らかに満面の優しい微笑みの遺影の方々でした。 そうなんです…。 明らかに遺影が笑っているんです。 気のせいとかそんなレベルではありません。 祖母と叔父も確認していました。 「お菓子をあげるのはしおりだけだもんね。」 「お仏壇はあの世とこの世を繋ぐ窓何だよ。だから、生きている人の考えなんかお見通しよ。だけど、お祖父ちゃん達はお菓子を供える小さなよく笑う賑やかな娘っ子が可愛くて仕方無いのね。お菓子を供える度に可愛い事をするって笑っているのよ。」 …と、叔父と祖母は優しく微笑み教えてくれました。 因みに、この現象は何処の親戚宅でも同じです。 気のせいかもしれませんが、遺影が笑っています。 因みに自宅の祖父も同じです。 やはり見られているんですね。

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ご先祖様の優しい掌

今回は私が丁度7年前に体験した出来事のお話です。 あの日は、電車の中で倒れたお婆さんを介抱してバスを乗り逃がしてしまい、父や兄も迎えに来れず…タクシーも捕まらずで自宅まで歩くしかありませんでした。 そんな時に私は性犯罪に遭ってしまいました。 後ろから羽交い締めにされ、抱き着かれ、刃物で脅され…脅しに鋭い刃先の鋏で前髪を切られました。 「騒いだら命はない」 …黙って言うことを聞くしかなかった。 そんな時でした。 恐怖でガチガチの私に語りかけるような優しい口調で頭に響く声が耳に聴こえてきました。 「こうなっては仕方無い…悔しいだろうし気持ちが悪いけど、言うことを聞きなさい。ばあちゃん達が側にいるから命は守るわよ。犯人の特徴を集めなさい。」 その声は祖母とそっくりな優しい声でしたが、不思議と曾祖母だと判りました。 被害を受けた現場は真っ暗な資材置き場でしたが、遠くからオレンジ色の炎のような感じで優しい雰囲気の淡い光があり、犯人の顔が見えました。 …しかし、実はこのひかりは物理的に存在する光ではないんです。 この光に関しても警察の方も首をかしげていました。 この光は犯人が満足して逃走するときには明るいモヤモヤになっていました。 命は助かったし気性は逞しいので別に気にはなりませんでしたが…両親や祖母と弟達と二人の兄の怒りを含んだ悲しい表情をみた時に私は犯人に対して初めて怒りを感じました。 家族を悲しい表情にした犯人を恨みました。 馬鹿な自分自身も…。 しかし、朝方眠りについた私に不思議な事がありました。 朝方眠りについた私の周りが急に眩しい光に包まれたんです。 「ごめんね…。どうする事も出来なかった。」 姉と私にそっくりな女性に泣きながら抱き着かれました。 「具合悪くなった人を助ける優しい子だから命を救えたんだよ。だから、優しい子のままでいなさい。辛かったら泣きなさい。ずっと見守っているからね。」 曾祖母は優しく微笑みながらも頭を撫でてくれました。 亡き祖父も優しく微笑みながら励ましてくれました。 父方母方のご先祖様達全員が頭を撫でてくれ、一言ずつ言葉をかけてくれました。 …あの時の温もりがなければ、私はこの世にはいなかった事でしょう。

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因果応報に囚われてしまい辛い

お世話になります。 私は中学生の時、ある女子グループからいじめにあっていました。 私はひたすら耐え続けていたのですが、ある日その女子グループのリーダー格の子が孤立し始めました。 するとその子は態度を変えて私に近寄ってきました。 いつもの私だったら拒否すると思うのですが、その当時は色々ありドン底だったため、受け入れたらちょっと幸せがやってくるかもと思い(その当時から因果応報については知っていました)、受け入れました。 それ以降も因果応報を裏付けるような出来事に遭遇したため、 私は因果応報を信じているのですが 因果応報に囚われすぎてしまい辛いのです。 人間誰しもいつでも正しく優しいというわけではないと思います。 なので時にはつい悪い感情を持ったり意地悪な事をしてしまうと思います。 そんな意地悪な事をついしてしまった時に、 今度からああいう事は言わないようにしようなどという反省よりも 悪い事をしてしまったからこの先何かしらの不幸が来るなあ、嫌だなあという考えが先に来てしまうのです。(毎回ではありませんが) いつ不幸が来るんだろうかとビクビクしながら過ごすのも、こんな腐った考えに縛られてしまっているのも、きちんと反省に至る事が少ない自分の存在もどうしようもなく辛いのです。 こんな考えを捨てて、楽に生きたいです。 どうすればいいでしょうか? 宜しくお願い致します。

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悲しい予感を初めて当てた日のお話をさせてください。

初めまして。 私は生まれつき霊感があるので幼い頃から不思議な体験談には事欠きません。 そんな私が毎年、今の季節になると思い出す出来事がおります。 当時、まだ小学2年生の私が人生で初めて経験した「悲しい予知」のお話です。 私の自宅の隣には祖母の従弟にあたる伯父一家が住んでいます。 そのお家のお兄さんやお姉さんも優しくて、私達やんちゃ盛りの兄妹とも遊んでくれました。 「和兄ちゃん」と呼びなついていたお兄さんは毎日遊んでいました。 宿題を孟スピードで終わらせ、おやつを握りしめて和兄ちゃんと遊びに兄妹仲良く外へ飛び出し、看護師の母が仕事を終えて帰宅する18時まで遊んでいました。 私に自転車の乗り方を教えてくれたのも和兄ちゃんでした。 花火や缶けりや鬼ごっこやサッカー…自宅下の小川で魚釣りやメダカ取りやバーベキューに焼き芋…。 幸せな楽しい記憶は今でも大切な御守りです。 私達兄妹は和兄ちゃんが大好きでした。 しかし、悲しいお別れは突然でした。 その日は何時も通り兄妹と和兄ちゃんと遊び、母が帰宅して家に帰る…そんな何時もの光景でした。 けれど、その日は綺麗な夕陽に照らされた和兄ちゃんを見ると、突然悲しくなり和兄ちゃんは2度と会えない遠い世界に行ってしまう…と、無意識に感じてしまい、和兄ちゃんから離れませんでした。 「お兄ちゃんはどこも行かないよ?しおりは明日はお母さんと病院に行くんだよね?帰って来たら遊ぼうね。」 …そう、優しく笑い遊ぶ約束をした和兄ちゃんはその日の夜中から朝方に自ら命を断ちました。 あの日は私はてんかんの治療の為に脳波の検査を受けている最中に夢をみたのです。 真っ暗闇の空間に居ると、和兄ちゃんがいました。 悲しそうにニッコリ微笑み、手を振ると光の中に消えていきます。 家を出るときに和兄ちゃんを見掛けましたが、普段は優しい母が強い口調で私をバス停へ促すんです。 後から聞くと、あの時に会った和兄ちゃんはこの世の人間ではないと気が付いたそうです。 亡くなった時間を考えると…あれは…。 検査が終ると、祖母から連絡が有り折り返した母は和兄ちゃんの命が終わった事を告げました。 今でも誰かが亡くなると知らせは有りますし、予知夢を見ます。 人の寿命は、どれだけ大好きな人でも変えることは出来ない。 そんな事を今の時期に思い出します。 3日後に和兄ちゃんの命日です

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遺伝子決定論

私はあまり科学的な事以外を信じていませんが、輪廻転生により前の前世で何かをしたのかもしれません。そのくらい自分ばかり不幸です。周りの家族や過去の友人をみてもみんな不幸になっていません。 他人は他人とか、君がネガティブだからというのを何度も言われた事がありますがそんなんじゃ納得できません。 物理学にある仮説のホログラム理論というのを聞いたことがあります。高名な物理学者によるとこの宇宙は量子コンピュータのシミュレーションにすぎないと。 私の人生も実はすでにゲノムの配列により決定されていてそれがシミュレートされてるにすぎないと考えます。 遺伝子の働きは実際ダウン症などの遺伝子疾患などに影響を与えたりするなどの事実があり、その他未来の疾患や性格に影響しています。配偶者獲得でもそう。 ※遺伝子の影響を信じれない人は暗黒バエを参照 そこで思うのが何故私はここまで不幸なのか。 そこに何かしら観察者による介入を感じます。 例えば私のIQは言語性知能が優位であり高いです。群指数ではバラツキが大きくそれが私の行動に何かしらの問題を与えています。 つまり私は生まれつき遺伝的に他人よりも支障ができるようにプログラムされています。 私の人生が不幸続きです。 何故自分だけが?というほどに。 今は友人がいませんが、過去には友人が多くいました、その友人達は今の私をみてバカにして見下しています。その友人達は幸福な人生を歩んでます。 周りの人はおそらく大いなる運命に守られていると思います。 この世界や人生というゲームに適合していた。 私は何をするにせよ不幸がつきまといます。みんなと同じ人間に思えません、みんなは何かしら行えばフィードバックが返ってきますが私は失敗やらのフィードバックしかありません。 この世界に適合ができてないと思います、失敗しかありません。 こんな適合していない人でも偉人になる人がいます、ゴッホやニーチェ。 この人達は才能がありました、わたしにはありませんでした。 この目に見えない運命を信じると、何の希望も持てなくなります。 将来今よりも辛い事しかないのに何で今"何か"をやってるんだろ、早く死にたい辛いと。 希望がない。絶望しかない。惨め。そう決定付けてる何か運命があるんだと思います。科学的にいうと遺伝子。 生きてるのが辛いです。

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産後からの喧嘩続き、自殺の霊は関係ありますか?

はじめまして。初めて質問させていただきます。 現在専業主婦で一歳の女の子を育てています。 夫とは5年の同棲を経て結婚しました。結婚しようと決めた数日後に妊娠が発覚しました。 幸せになりたくて結婚したはずなのに、産後から夫との言語が通じなくなり(本当にお互い言葉が通じなくなったと思うほど言ってることや思いが平行線です。) 離婚話まで持ち上がったほどです。 喧嘩の原因は小さなことですが、喧嘩の際の夫からの暴言が酷く、最初は流していられたのですが現在は軽めの鬱のような状態になってしまい、死にたいと思ったり未来に希望を持てなくなり、夫を信じられなくなりました。 その辺も平行線状態です。 先日母に言われて思い出したのですが、夫の祖父は自殺をしています。 特に気にも止めてなかったのですが、夫の姉は精神を病んでいて結婚離婚を繰り返し、父親の違う子供二人を施設に預けていて、その両方の子が暴力などの問題を既に抱えています。 義母は以前数年間、原因不明の寝たきりになってしまっていたそうです。 特に気に留めてなかったことたちが、もしかして自殺された祖父の霊が成仏できなくて何か訴えかけてるのかなと思うようになってしまいました。 しかしお墓もどこにあるかわかりませんし、夫は墓参りなんて全然しないタイプです。 今夫の実家に留守を預かる形で住んでいるのですが(義両親とは別居)その祖父の仏壇があります。 悪さをしている、というよりは、何かご供養したら自体は改善されるのかな、という思いで質問させていただいています。 祖父の自殺は関係あるのでしょうか。また、墓参りができない状態で何かできることはありますか? アドバイスいただけると幸いです。 長文失礼いたしました。

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亡き祖母の夢

長文乱文乱筆失礼いたします。 曹洞宗の家です。去年8月に91歳の同居の父方祖母を亡くしました。それから約半年経ちますが、私たち家族が見る祖母の夢に共通点があることがとても気になっています。とにかく食べることに関する夢です。結婚して東京に住む私の妹は、3ヶ月くらい前に、祖母がバタートーストを妹から奪って一心不乱に食べている夢をみたそうです。県内の別市に住む兄も2ヶ月くらい前祖母の食べ物に関する夢を見たそうです。さらに私の母は先日夢の中で祖母が勝手に茶飴を食べているのを見て「おばあちゃん、それだめだよ、ご近所さんに持っていく飴なんだから」と注意する夢を見ています。私は祖母に関するそういう夢は見てません。 うちでは、毎朝起きたらまっさきにお仏壇のお水とお花を新しくして、ご飯とお茶とお味噌汁をあげてお経(般若心経と修証義の1、2章)あげます。毎日ご飯を炊くたびにまず一番にご仏壇にあげます。今年初めて畑で採れる野菜やご近所さんや親戚などからの頂き物もまず仏壇にあげてから下げていただいています。法事もきちんと行い、父は檀家の役員でお寺の行事にも仕事が忙しい中、「お寺さんの行事だから」と仕事の予定を調整して参加しています。お寺が家から歩いて5分なのでお墓の掃除も1ヶ月に一回くらいは母か私が行っています。母はお寺に写経に行ったり法話を伺ったり家の畑の野菜がたくさんとれるとお寺の方丈様にお裾わけさせて頂いています。心身を投げ打って信仰に捧げている訳ではないですが、お寺さんを通じて先祖を敬う心はわりとある家庭環境だと思います。 なのになぜ祖母は家族の夢の中で何かを食べたがっているのでしょうか。亡き祖母は何か物足りないのでしょうか。この夢は何か意味があるのか、これ以上どうしたら祖母が満足するのか気になっています。それともこれは生きている人たちの側の問題なのでしょうか。ちなみに生前の祖母は別段食べることに特別なこだわりや執着を持っていませんでした。静岡人らしく美味しいマグロと濃い緑茶が大好きでその2つがあれば満足していました。祖母も少なくとも40年近く毎日ご仏壇にお経をあげていて、私も小さい頃から聞かされて、幼稚園の年長で般若心経と修証義1、2章はそらでお唱えできるようになり、今でもお唱えできます。 生きている側の人間が亡き祖母に満足してもらえるように何かできることがあるのでしょうか。

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兄が亡くなって

去年の12月に兄が遺書を残して自殺しました。 他の人に話したら気が狂ってると思われるかも知れない。と家族以外に言えずに、しかし兄はこの世との最後がこれで良かったのか?っと思い質問させて頂きました。 兄と私は仲が良い兄弟ではありませんでした。 兄の言動や行動に腹立って嫌っていましたが、亡くなる一年くらい前から私が知っている兄とは変わってきた事を知り、兄と話すようになりました。やっと家族としてやっていけるかも、家族のやり直しをしていけると思っていた矢先にこんな形で兄のこの世での終わりを迎えました。 私が知らない人達に兄ついてアレコレと兄と私の前で言われたくない。聞きたくないと思い密葬にし、火葬場にて、私の身体を使い兄が乗り移ったようで、母に 『お母さん、僕じゃない。僕じゃない。怖い 1人で行きたくない。行きたくないよ』 と泣き叫び、母が説得すると 『お母さん、先に行って待ってるから 絶対迎えにきてね。ちゃんと探してね。 僕を置いていかないでね。』 っと言い、兄の身体が燃え尽きる1時間半の間 母に対して、甘えたり、自分が母の1番だと言っていたりしていたそうです。 遺書には家族に対して一切書いておらず、名指しで〇〇に人生を狂わされた。勤めていた社長に何十回と裏切られた。この行動は何十回と裏切った社長への全てプレゼントです。と書いていた兄が最後は母に対して、『お母さんだけで良い。 他には何もいらない。な〜んもいらん。』っと言い、恨み辛みだけであの世へ旅だった訳ではないのが救いではありますが、兄が私の身体を使ってまで伝えたかったのは母への想いだけだったのか?と考えてしまいます。 『お母さんだけ良い。他には何もいらない。』 それが兄の答えなのでしょうか? こんな終わり方が兄の運命だったのでしょうか? 兄が自殺する事が私達家族の運命だったのでしょうか?運命ならば、これから私達家族はどう生きていけば良いのでしょうか?

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生まれてこれなかった父の兄弟(いわゆる水子)

見つけてくださってありがとうございます。 私の父には,生まれてこれなかった兄弟が5人います。 私は人に見えないものが見えてしまう性質があり,小さい頃から父の生まれてこれなかった兄弟を祖父母の家に行った時に見ていました。 私が小さな時は,彼らに不思議で話しかけもせず,見て見ぬ振りをしていました。 しかし,私が高2のとき,色々あり,彼らと話し,初めて彼らの法要を行いました。 その当時,彼らは「いただきます」も言わずにお菓子を食べ,色々な悪さもしていましたが,今ではにこっとした笑顔でお菓子を食べています。(「いただきます」はできるようになりましたが,たまに忘れてそのまま食べてます) しかし,彼らには悩みがあります。 彼らには固有の名前がないことです。 水子に名前をつけると天国で両親を思い出して悲しくなってしまうから名前をつけない,という風習?みたいなものがあり,祖父母は名前をつけていないようです。さらに,水子はこの世に生まれていないからお墓にいれていない,仏壇にも入れていないらしいです。そのため,私が高2のときまで,ずっと放置のような状態でした。 彼ら曰く「名前を呼ばれるのが羨ましい」とのことです。法要の時に紙位牌(私の家には仏壇がないことと,祖父母が彼らにあまり関心がない)を作ってもらい,「@@家水子」と一括りにされています。ですが,彼らは「〜君(ちゃん)」と呼ばれたいそうです。(最近ですが床に大の字に寝そべってバタバタ暴れ,泣きながら訴えてました) 私が名前をつけてしまったら,彼らは私に縛られてしまうような気もしますし,人に名前をつける重みから私は彼らに名前を付けられません。 また,父方の祖父母は彼らの存在(水子の有無)を認めながらも,彼らが見えないことと認知症のために,名前をつけるのは難しそうです。 どうすれば良いでしょうか。 彼ら自身,今まで無視され続けてきたため,寂しがっていて,「ぼくらを忘れてないよね!?」と目に見える形で我々に色々してほしいようにも感じます。 私自身も「彼ら」や「君」と言っているのにも違和感を感じます。 彼ら自身,悪い子ではないんです…。 私や家族を助けてくれたり(母と父が喧嘩した時には,彼らは「こいつ(父)は悪くない!」と父の加勢をしています),友達との楽しい話を聞かせてくれたりしてくれましたので…。

有り難し有り難し 29
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