2023/09/08私も大切な人も儚い存在
先ごろ、東日本大震災で甚大な被害に見舞われたラグビーの町、釜石がわずか8年後のラグビーワールドカップ招致を成功させ多くの人が町を、共に暮らす人々、未来の世代を思い、活動してこられたドキュメンタリーを観て、涙が止まりませんでした。
しばしば人と人の思いのバトンをつなぐ様子に、私は涙しております。
しかし、私の祖父母からは関東大震災や空襲の話を聞き、やはり関東、南海トラフ地震など恐ろしく、こんな大災害でなくとも私たちは思いがけず大切な人を失い、また自らも例外ではなくいつだって命を失う可能性を生きています。
怖くもあり、そもそも自分の死以上に大切な人もいつか死ぬ、それもことによると無念で苦痛に満ちたものとなるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうです。
時に、浄土に召され仏となったとしたらどのように我々の営み、人の思いをつなぐバトン、慈悲というにはあまりに未熟な、それも煩悩に満ちた愛は、映って見えるのでしょう。
広大無辺の宇宙の幾星霜の過去、未来を思うとこの今の生活や愛などが、あれほど涙を流していた美しい営みさえもが虚しいというとちょっと違うのですが寂しい気持ちになります。
有り難し 5
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