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「生き方・心構え」を含む問答(Q&A)一覧

セックスフレンドは損だと思う。

以下、上品な話ではありません。 性行為を目的とした「セックスフレンド」や不倫(愛人関係)。私や私の友達の数人は、そういう関係を経験しています。 私は、愛人からは貰う物は少しは貰ったから、「玩具になってあげた」過去にも割り切れます。 けれど、世の中には「ケチな男」がいて、彼らは甘美な言葉で女性を騙すのです。(結婚相談所で独身と偽ったり免許証を偽装するなど、あらゆる手段をとって何とかセックスに持ち込もうとする)そして、何の対価も支払わずにSEXをしようとする。 私にはセフレがいましたが、たまに後悔するんです。「無料の風俗嬢みたいな事をやるより、もっと上手く搾取すれば良かった」と。不倫をしていた友達も「既婚者に無料で相手になるより、お金を貰えばよかった」と話しています。 男は高価な風俗店に行かず、何の責任も負わずに射精をすれば「ラッキー」で済みますが、女性は妊娠のリスクがあります。そして大多数の女は抱かれると男に情が湧くという面倒事も抱えているのです。 そこに愛などはない刹那的な関係において、貰える物は貰う事こそが、くだらない過去を「割り切る」事に必要なのではないかと思うのです。 かつて私に愛人がいた時、ある人に「そいつが金を払うだけマシだ」と言われた理由が最近やっと分かりました。愛人と同じく刹那的な関係にあるセックスフレンドは、女性からすれば「損」だと思うのです。 日本には「売春防止法」がありますが、善良な大人がどう騒いだって、現実には売春も不倫もあるのが世ですし、これからもそれは消えないと私は思います。 また、売春防止法は「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」ことが基本的視点らしいですが、私からすれば、「何言ってるの?売春だから人としての尊厳を害すんじゃなくて、お金も含めて得るものがなかった時に尊厳が失われるんじゃない」と思います。 刹那的な男女関係を割り切るために、対価(金銭など)を得ることが、なぜ駄目なのですか?

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私のことを本当に尊重してくれているなら、こうしてくれるはず

 「本当に私のことを思ってくれているのなら、○○してくれるはず」 という思い(以下、「相手への期待」と呼びます)が消えません。そう思ったら最後、「○○してくれないということは、私のことを嫌っているんだ、なんとも思ってないんだ」という思い(以下、「思い込み」と呼びます)が生じ、相手へ疑いの目や憎しみを向けてしまいます。  こうした「相手への期待」や「思い込み」が無くならない限り、人に疑いや憎悪をむけ続けることになると思います。親切心で接してくれた人に、悪意を向けることをやめたいです。 「思い込み」をなくすために、「思い込み」の発端となる「相手への期待」をやめるべく、以下のような努力をしています。  まず、相手へ期待することをやめるために、多くの人と関わり、色んな人の考え方を聞き、十人十色の価値観を受け入れようとしています。その結果、私と全く違う考え方や価値観をもっている人がたくさんいる、だから、相手が自分の思い通りになることはめったにない、ということは分かりました。しかし、それでも、人と会話をしているときに、「私のことを配慮していたら、そんなことはふつう言わないよな。」といったような気持ちが生まれ、最悪、相手と会うのをやめたくなる時があります。   また、相手へ期待することをやめるために、自分磨きも注力しています。自分に自信がつけば、自分に期待して、相手へ期待しなくなるだろうと考えたからです。そこで、内面磨き(勉強、趣味、家事等を頑張る)から、容姿の外見磨きまで、出来る限りやっているつもりです。そのかいあって、以前よりもできることが多くなって、自分は少し頼もしくなったかなと思えてきました。それでも、相手への期待をやめることができません。 長くなりましたが、お尋ねしたいことは以下の点です。  「私のことを大切に思ってくれるのならば、○○するはず」と相手へ期待しなくなるためには、上述のような努力は無駄なのでしょうか。もし無駄であるならば、何を行うべきなのでしょうか? 相手へ期待することは無駄なことだと、どうすれば心から納得できますでしょうか。

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自因自果の話を知り、怖くてしかたありません。

なぜ自分がこんな目に会わないといけないのかと、ひどく悩んだ時期があり、自因自果の話を本で読んだ時にものすごく府に落ちました。 今まで自分の我欲を一番に生きてきた因に、それそうなりの縁が来て結果が出たのだと、自分の生き方を深く反省しました。 それでも私は、その時は「自分が正しい」とがむしゃらに頑張って生きてきたのだと、その当時の浅はか自分も許しました。 しかし、すべての過去の行い(自分が浅はかだったと思う行為)がこれからの私の人生に結果として何かを出すのであるならば、怖くてしかたありません。 たとえば、好きな人に嫌われたくない一心で、言われるがままに猥褻な画像や動画を撮らせてしまったこと。 恋人との別れが辛すぎて、好きでもない人に色目を使い何人かと情事をしながら、何をしているのだろうと我にかえり、良くしてくれたのに連絡を一切絶ってしまったこと。 など、主に自分の性へのふしだらだった時期に行ったことへの因果です。 今、私は非常に愛にたいして真面目に考え、将来はちゃんと結婚して家庭を持ちたいと考えています。 しかし、もしか私の画像などが誰かがインターネット上に上げていて、それを大切な旦那さんに見られてしまったら、とか、家族で幸せに歩いているときに過去に情事を交わし連絡を絶った相手にいいよられたら、など考えると、怖くて、なぜあんなことをしてしまったのかと後悔の日々です。 因果とは、どのような結果として現れるのでしょうか。 教えお叱りいただけたらありがたいです。

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