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hasunoha 問答検索結果 : 「 供養 」
検索結果: 4584件

物に執着する心

物が捨てられず、困っています。 すっきりした部屋に憧れ、数ヵ月前から、少しずつ家の片付けをしています。 ペットボトルや生ゴミ等の生活ゴミは難なく捨てられるのですが、昔から取っておいた思い出の物(ぬいぐるみや雑貨など)が捨てられず、数も多く、家の収納を占領している状態です。 私の困ったことは、一つ一つの物の思い出を忘れられないことです。自分が小学生の時に作った工作や、初めての海外旅行で買ったもの、プレゼントされた物 等、細かく記憶しています。親にも、良く覚えているねと感心されます。処分できない理由も、そのせいだと思います。 小さなキーホルダーから子供が作った工作に至るまで、物自体の価値はそれほど無く、明らかに必要の無い物です。が、色々な想いが頭から離れず、捨てられないのです。 たとえゴミ袋に入れる事ができたとしても、問題は捨てる瞬間で、ゴミ捨て場に持って行くまでが苦痛で、ドキドキしてきて悲しい気持ちになり、耐えられません。 このゴミ達が収集車に乗せられて処分場に行き、燃やされてしまうのか…と思うと、その映像が頭に浮かび、捨てることをためらわせます。 そのせいで物が減らせず、収納を見るたび物の多さに疲れてしまうのですが、手放す事ができません。 その反面、何もない部屋に憧れていたりして、自分は何をしたいのかな と思います。 片付け本も何冊も読み自分に言い聞かせましたが、やはり物に対する想いが邪魔します。 物への想いや執着を断ち、気持ち良く手放すためには、どのような考え方をすればいいでしょうか。

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ペットに対する家族の対応に納得いかない

はじめまして。 ポムと申します。よろしくお願い致します。 私の実家では以前犬を飼っておりました。(仮名:林檎)母親が欲しいと言って買ってきて飼っていましたが、1〜2年ほどで対応がおざなりになり、同居する祖父母が散歩や餌やりをしていました。 数年後、もとから飼っていた先代の犬が亡くなると同時に祖父母も林檎に餌やりしかせず、繋いだままにするようになりました。何年かで亡くなってしまいましたが、10年ほどの寿命と、犬にしては短い命だったと思います。 なぜ、私が上京したタイミングでペット可のマンションを選び、林檎も連れて行かなかったのか、数年経った今でも毎日後悔しており、考えると悲しい気持ちになります。林檎を考えたときに出てくるのは、不安そうな顔をしているシーンばかりです。 しばらくしてから実家でまた犬を迎えることになりました。 皆、後期の林檎とはまるで違った対応で日々可愛がっております。 毎日二回散歩にも連れて行ったり、服を着せたり、「犬の散歩は疲れるから…」と林檎を放置していた祖父母も散歩に出かけたりしております。 私は家族のことが大好きですが、どうしてもこの犬への対応に納得がいきません。 実家に帰り、家族ぐるみで 犬を溺愛している姿を見ると、なんとも言えない悲しさと怒りが湧いてきます。 今更家族へ不満を述べたところで、林檎が帰ってくるわけではありません。満足いく回答も得られないでしょう。 なので家族には何も言っていないのです。 この感情をどう処理したらいいのか分からず、こちらへ相談した次第です。 私の考え方では、 「今更、家族達が林檎のためにできることはないので、不満は直接は述べないでおく」 「自宅でたまに線香を焚く(林檎のお墓はありませんが、自宅に線香を備える場所を作りました)」 「お墓まいりの時に、先祖へ林檎のことをお願いする」 できることはこれくらいかと思いました。 このほかにも、何かありましたらぜひご教示頂きたく思います。 乱筆失礼いたしました。 どうぞ、考えかたや捉え方についてアドバイスがありましたらよろしくお願い致します。

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親の離婚に関連する2つの悩みを無くしたい

 初めて相談をします。  今年で二十歳になるのでこれを機に直したいと思い相談させていただきます。  私の両親は私が物心がつく前に離婚しました。  両親の離婚の原因はあまり覚えていませんが親の家同士で(ここであまり言うべきではないのかもしれませんが)宗教的に対立があったらしくそれが原因で結果として離婚になったそうです。 なので両親と過ごして記憶はなくアルバムで見たことしかありません。  親が悪くて離婚したわけではないので親に対して何か怒りとかはないです。むしろこんな私をこの年まで育ててくれて感謝しています。母親には特に好きなことばかりやって迷惑をかけてきたのに世の中の生き方を教えてくれたり、自分が落ち込んでいるときにいろいろ相談に乗ってくれてとても感謝しています。父親に対しても今現在進学で、東京に引っ越してきたのですが、母親とは違う価値観でいろいろ相談に乗ってくれたり体験談を話してくれたり親権もないのに家に住まわせてもらったりとても感謝しています。いつかは親孝行したいですし、この2人が両親でとてもよかったとおもっております。  ですがこの年になって、急に私に両親そろっての家族の思い出がないことがとても辛くなってきました。きっかけがなんだったのかはわかりませんが、友達の話を聞いてるときに出てくる家族の話や、商店街を親子連れで歩いているのも見るだけでとても羨ましく感じ、同時に泣きたくなります。どうして私の家はああいう風にならなかったのだろうと考えてしまいます。  それで1つ目なのですが、考えてもどうしようもなくもう二十歳の大人になるんだからいい加減このことを考えないようにしたいです。  2つ目なのですが、私母方の家の祖母の話です。 私の祖母はとても宗教熱心で私の両親を信仰があーだーこーだで離婚させるほどです。私に対して親をどうやって離婚させたかや、父方の悪口などを言ってきたり殺したいほど嫌いでした。  それでつい3か月ほど前祖母が他界しました。聞いたときはとても嬉しかったのですが流石に他界した人間のことを笑うのはよくないなと思い、いい思い出ないしさっさと忘れてしまおうと思ったのですが、定期的に祖母のことを思いだし死んでよかったと思ってしまいます。  とても悪い癖なので治したいです。どうしたらよいのでしょうか。 文章も長く申し訳ありませんでした

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また母の子として産まれたい

今、母は緩和ケアを受けておりそろそろお迎えが近い状況です。 母は80歳、私はまもなく40歳。 母の人生の半分、一緒の時間を過ごすことが出来ました。 母は3歳頃両親を亡くし、その後もとても苦労をした人だったので、最期には自分の人生が幸せだったと感じてもらいたいと思い、自分なりにやってきたつもりで、今もその心で母には接するようにしています。 でも、本当はもっともっと一緒に居て親孝行をしたかった。 どんどん弱っていき、受け答えもままならなく、せん妄が出てますます意思の疎通が出来なくなる事もある今の状況が辛くてたまりません。 いつもほんわかしていて、でも気丈で弱音を吐かないお母さんが、ガリガリに痩せてしまい、こんな姿になってしまって。。。 いつも家族の事を思ってくれていてる優しい母でした。 何も悪い事もしていないのに、なぜこんな仕打ちを受けないといけないのか、悲しくてやりきれない気持ちです。 まだ話せる段階で冗談半分で、『私が逝く時は絶対お母さんが迎えにきてね!』といってあります。 それは、冗談の雰囲気で言いましたが本心です。 そして、また母の子として産まれてきたい。 こんな事を言うのはおかしい事なのでしょうか。 でも、また母の子として産まれて、来世も一緒に幸せな時間を過ごしたいです。 この先、どういう行いをしていけばまた逢えるのでしょうか。 それとも、それは叶わない事なのでしょうか。

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『お坊さまあるある』

職種によって違うと思いますが 大変な状況にも関わらず 冷静な判断や対応が出来る人を見て 「さすがプロやな!」 「これぞプロの技!」 と驚かされた経験はあると思います また自分自身においても 仕事をしているときなどに 普段なら冷静さを失いそうな場面に直面しても 何故だか不思議と平穏な心が保てる 「これが私の仕事だから」 「これぐらいなら大丈夫」 と落ち着いて対応できている自分にふと気付くこともあると思います 以前お坊さまめ足が痺れますか?と質問した時にも 「そう言えば痺れないなぁ」 というようなお答えがあり 「プロだな!」 と感心させられました 私も自分でも不思議ですが仕事柄 「そう言えば焦りがない」 「全然平気だなぁ」 と思えることがあって 「これが私の仕事だから」 という"プロ意識"というか"身に付いたスキル"のようなものがあるんだなと感じました 私の場合だと 大量出血している人を見たり開腹して内臓が見えている人がいても 怖いとか焦るとかそういう心境にはならず ひたすら淡々と対処していくことが出来る それが仕事をする上で必要な訓練でありスキルなんだろうなと感じていました すごい!とか思うようなことではありません ただ何故か冷静でいるべき時に冷静でいられる お坊さま方にもそういう"プロ意識"と呼べることがあると思います 自意識過剰とか単なる慣れとかではなく 何らかの「これが自分の仕事である」と思えるようなことがあると思います どんなことに対して 自分は不思議と冷静でいられるとか 何故だか平穏な心でいられるなという 『お坊さまあるある』 (身に付いたスキル) を教えていただきたいと思いました 修行や訓練を積むことで出来ること 不思議な体験や心境などを是非お聞かせ下さい

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月命日 黒木さんについて感じた事

中傷なしでお願いいたします 昨日は、先月胃がんで亡くなられた 黒木奈々さんの月命日でした 亡くなられてから 黒木さんの事を知りましたが 黒木さんにインタビューした方の記事を読んで 泣けましたし、 美人で性格も良く、素直な方だったと。結婚もしたい 子供も欲しいとおっしゃっていたと書いてありました きっとやりたい事!沢山あっただろと思います 病気を告知された時の辛さや悔しさ 治療の痛さや、苦しさ!私には計り知れません。 絶対に黒木さんと変わってあげられる事は、出来ませんが。。 変わってあげられたら良かったです 私は、家族と同居していますが ずっと口を聞いてなく不仲 小さい頃は虐待 職場では同僚男性からの嫌がらせを今までずっと誰にも相談出来ずにいて 一年に一本も買わなかった、飲まなかったお酒を!ここ半年で50本以上も飲んでしまいました 今も飲んでしまう事があり 家で泣いてしまう事があります 仕事家庭 何もかも疲れている状態 何で?弱いダメ人間の私が生きていて、黒木さんの様に素敵な方が亡くなってしまうんだろう?と。 一ヶ月経った 今でも考える事があります 本当に残念に思います これから 黒木奈々さんという素敵な女性がいた事と! 命日を忘れずにしたいです 彼女が闘病中に書いた本も号泣してしまうかもしれませんが 読んで見ようと思います この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします。

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忘れ去られたお地蔵様

いつもお話を聴かせていただきありがとうございます。 毎日読ませていただいてます。 今回、2回目の質問です^^ 私が生まれ育った実家は限界集落で買い物も車で1時間程 かかる山の中です。 私が5歳くらいの頃の話なのですが、虫歯が痛くなる度に、 おばあちゃんが泣く私をオンブしては遠くのお地蔵様にお参りに 連れていってくれていました。 自分の記憶の中では通称「トンネルのお地蔵さん」です。 結構な坂道で軽く片道徒歩40分くらいはかかったと思います。 祖母は30年前に亡くなりました。 以来、「おばあちゃんはオンブして連れていってくれたんやね・・・重たかったやろね・・・」という会話を実家で毎回の様にしていて、 最近、そのお地蔵様にお礼のお参りをどうしてもしたいという 気持ちが急にズンズン湧いてきて今年の5月に行ってきました。 実は20年ほど前に新しいトンネルができ、そのお地蔵様は 新しい車道から上の部分にあり、新車道からやっとこさ 見える程度の場所にありました。 車を降りて苔だらけの今にも滑りそうな道をかけ上がって行くと お地蔵様らしき?陰を発見。 山の中なので昼間でしたが真っ暗でした。 やはり誰も足を踏み入れていない様子でお地蔵様の上には 大きな折れた木の枝等が覆い被さり、山肌も崩れ、 お地蔵様自体はやっとこさ木の根っこがあればこそ倒れないで どうにか立っておられた・・・という感じでした。 いつ崩れてもおかしくないくらいでした。 木や落ち葉や土をよけると、いつお供えされたか分からないような 缶ジュースとコップが埋もれていました。 こんなお姿になって忘れていて放りっぱなしでごめんなさいと 我を忘れて出来るだけきれいにしました。 そして子供の頃のお礼と、ずっと来なかったお詫びを言い、 ろうそくとお線香をお供えしてきました。 実家に着き、父に話すと「誰も行かないよ」と。 集落の人も誰も何十年も行っていないそうです。 父親もずっと昔からあるお地蔵様なのでどのように お祀りされていたかさえ詳しいことは全く分からない様で。 そして先日、お盆に帰った時に車で前を通ったらお地蔵様が こちらを見ていました(暗く茂った山林の中、お地蔵様だけ浮いて見えた感じとでもいうのでしょうか) お地蔵様は何を思い今、そこに居られるのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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