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母が亡くなりました

心がどうしても苦しいので、ここで吐かせてください。 今年の1月10日に、最愛の母が亡くなりました。 脳内出血でした。 ふたりの私の娘を連れて実家に1月6から8日の2日間お泊りし、8日の朝、近くまで見送ってくれている途中の道で転んだのです。 その日は朝から雨が降っていて、1歳の子どもを抱っこして荷物を沢山持っていたため、5歳になったばかりの長女を母に任せて、前を歩いていました。 転んだことにも気付かず、母から転んだと聞き「でも頭はぶつかってない」と言うので少し安心して、「子どもを任せてごめんね」と言い、普段通りニコニコしながら「またね〜」と別れたのが最後になりました。 その1時間後に救急車で運ばれ、脳内にはかなりの出血があったそうです。 そこから2日間、まるで私達が何となく覚悟が出来る時間を与えてくれたかのように、母と特に仲良かった人達、私の子ども2人と面会した後、息を引き取りました。 本当に愛に溢れた母で、転んだときも 「孫は大丈夫よ!転んでないからね!」と、自分のことより孫のことを心配してくれました。 家に帰ってからも 「血も出てないし、転んで孫もビックリしたでしょ?大丈夫よと伝えてね!」と連絡もくれて。 あのとき私が娘の手をひいていたら、母は転ばなかったのに。 あのとき、母に見送りはしなくていい!と伝えていれば、転ばなかったのに。 そもそも、お泊まりしなければこんな事にはならなかったのに。 あのとき!あのとき!!と、後悔の念が消えません。 1月4日に 母は69歳 初孫の私の娘は5歳のお誕生日を迎えたばかりでした。 小さい子どもが2人いるので、塞ぎ込んで悲しむわけにもいかず、頼りにしたい主人は私の悲しみを全く理解してくれず、辛いと伝えても「部屋の掃除が足りない」など寄り添ってもくれません。 母が私にたくさんの、それはそれは沢山の愛情を与えてくれたように、私もこれから、ふたりの娘には愛情を与えて育てるつもりです。でも、今はとにかく辛くて。 母の死期を早めてしまったのは、私のせいなんだと自分を責めてばかり。 母が私を責めてないことも、責めている私の事を心配しているだろう事も分かっていても、それでも辛いんです。 時が過ぎるのを待つしか無いのでしょうか? 母を亡くして悲しい気持ちと それを理解してくれない主人への怒り?の様な感情です

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南無阿弥陀仏をおとなえする意味について

私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。

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