生きにくさとは昨今よく言われる言葉ですが、今時分はその病にかかっているようです。 朝起きて、仕事に行って、帰宅して食事して、入浴して、眠る。 間にはインターネットがあり隙間はそれに費やされる。 実は私精神的な病をもう5年以上も患っておりまして、投薬はだいぶ減りましたがこの虚無感が急に襲ってきて規定量以上の薬を摂取してどうにか仮初めの安寧を得る生活を続けています。 父が亡くなってそれが加速したようにも感じています。 とにかく日々に感情が湧かない。 機械になったような無為な日々が時々心底恐ろしくなるのです。 暮らし方を変えようと地方の1次産業に従事を志しましたが、大きなハードルを越える力はスポイルされてしまっていてそれすらままなりません。 このままクラゲのような生活が続くのかと思うとますます精神にダメージが蓄積し虚脱状態が続いています。 大きなブレイクスルー(父の死さえも凌駕する)がないと打ち壊せない自分の殻なのでしょうか? それとも指で押しただけで壊れるシャボン玉のような簡単なことなのでしょうか? 今もこのことが頭を支配して仕事に対する情熱すら奪われつつあります。 ご助言頂けたら幸いです。
前回、好きで離婚した元旦那さんのことで相談させて頂きました。その元旦那さんにいつか本当の愛とはどういうことなのかということを話し合えたらなと思っており、真の愛について深く考えていました。 愛は憎しみに変わるとはよく耳にしていましたが、本当の愛は憎しみにはならないと最近知りました。変わるとしたら無関心。憎しみは執着からくるもので愛ではない、本当に愛していたのなら憎しみにはならないと。愛していると思ってても自己愛に過ぎないこともたくさんあるなと感じています。 人を本当に愛するとはどういうことだと思いますか?
私の家はとあるお寺の檀家なのですが、そこのお寺は毎年寺費と言う言わば年会費のようなものを取っています。年会費はもちろん必要だと思いますがその内容が少し疑問です。その費用の中にはお坊さんの息子の学費も寺費に含まれています。普通なことなのでしょうか? それに三回忌など拝む時のお金は別で、少なく包むとお坊さんに少ないですねと言われました。仏の道に行く人がお金の額の高い低いを言って良いものなのですか?しかもその人の前で。 正直檀家を抜けたいと思っています。どうしたらいいか教えてください。