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成功出来ない理由

世界一愛される大道芸人になるという夢を抱き、日々努力をしています。 ですが、知り合いの大道芸人さんたちのように、ブログやFacebookなどでファンの方からコメントをたくさんもらえるような人になかなかなっていきません。 単純に活動回数が少ないからかもしれませんが、良く、家族を大切に出来ないと成功しない、というような話を聞きます。 私は家族を捨てて家出してます。 家を出るまでに、大好きだった母親には精一杯出来る限りの親孝行をしたつもりで、後悔はありません。 ですが、身勝手だった父親は今でもキライです。 人から 『嫌ってもいいけど感謝はしないとね』 と言われました。 父親がとにかく大嫌いで、感謝なんて出来そうにありません。 それなら、代わりにこの世に生を受けたことに感謝してみよう、って考えたんですが、それも無理でした。 幼い頃から学生時代ずっといじめられ続けた私は、常に “私なんて消えてなくなればいい” と思いながら生きて来ました。 自殺願望みたいなものです。 だから、生を与えてくれたことやここまで育ててくれたことになんて感謝出来ないし、いっそ生んでくれなきゃ良かったとすら思います。 ずっとずっといじめられっ子で何一つ頑張れなかった私が、大道芸の夢だけは諦めずに頑張ろう、って、思えているんです。 何もかもを怖がって1歩も踏み出せなかった私が、夢のために留学も経験しました。 きっと死ぬまでやり続けるんだろうなと思えるほど、大好きな仕事です。 足かせになる全てのものを取り除きたい。 父親への確執があるうちは成功出来ないんでしょうか? また、私はどうするべきなんでしょうか?

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宗派にとらわれない仏教思想の学び方について

10年ほど前、職場やプライベートの過度なストレスから パニック障害→鬱となり、仕事ができない状況になって職を離れました。 それまでは、フルタイムでバリバリ働き帰りは終電、 帰宅後や週末も時々在宅や出先で別の仕事をかけ持つなど 無茶もしていた時期もありました。 それくらい動けていたのが突然何もできなくり、愕然としました。 投薬治療で少しずつ動けるようになってきたものの、未だに完治とならず 相変わらず波がありゆられながらギリギリで過ごしています。 それまでの様な生き方、暮らし方はもう出来ない状況です。 そんな中、自分の生き方を振り返りながら、 ふと子供の頃から生き辛さを感じ続けていた事に気づかされました。 そこで、色々と勉強(通信制で通学もある大学で)を始め、 数年前に(明治維新以降ではなくそれ以前の仏教の考え方)仏教の 教えに触れる事ができ、そこから色々と(亀の様な歩みではありますが) 物事の捉え方を修正できてきている実感ができるようになってきました。 授業だけでは物足りず、参考文献など少しずつ読みながら独学を進めております。 最近は、どこかのお寺で勉強会などがあるなら行ってみようか? と考えてみたりするようになりましたが、 宗派にとらわれずにお坊さんから学ぶ術はないのだろうか? という疑問が湧いてきております。 今後学んで行くために何か良いアドバイスがいただければ幸いに存じます。

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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

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