つい最近のことです。呪いのメールが来ました。 内容は、最初に悪霊関係の怖い話が載っていて、最後に「このメールを読んだ、あなたにも同じことが起こるので気を付けてください。」 と、ありました。私は、怖いのですが母は、「呪いや霊なんてない」と、いいます。 しかし、それではあの世も存在しないのではないのか?と疑問に思っています。 呪いや霊は存在するのでしょうか?
私なんか、生まれて来なければよかった。辛い。 こんな年になったのに、仕事も続かず結婚も出来ず借金は増えるばかりで、バカみたいな人生です。 仕事をすぐ辞めてしまうのが、多分原因なのだとは思います。 いい会社に入っても、すぐに逃げ出したくなるのです。責任感はなくはないのに、責任を取らされたらと思うと怖くなるのです。 後輩に売り上げを越されたのに耐え切れず辞めたこともありました。 我慢ができないのです。 今、我慢の練習を派遣先でしています。辛いです。しんどいです。 生きてる価値がありません。生きてても意味がないです。でも死ねない。 死にたいのに死ねません。死にたいです。 こんな質問で申し訳ありませんが、もしよろしければお願い致します。
私はちょっとした否定ですぐ自分を見失ってしまいます。 優しく指摘してくれる人とか、相手にそういうつもりがなくても、自分はダメだと烙印を押された気持ちになってしまいます。打たれ弱いです。 このままだと辛いなと、変わりたいと思っています。 ハスノハで色々ヒントを頂けて、楽になった部分もありますが、体験談なども聞いてみたいです。 もう少し甘えさせてください。
僕は「生きる意味」を自問自答し、それを見出せませんでした。僕は僕の意志に主体性が介在しないという結論に至り、もうすぐで寿命が尽きてしまいます。どうすればいいでしょうか。 「知」の欲求が、「生」の欲求を上回り、生活を営めないがために健康を害し、身体が悲鳴を上げている。 これを自覚してなお、僕は自らの意志に主体性を見出せず、仏様から授かった寿命が尽きてしまうことを悲しいと思うことしかできません。しかもこれに対して僕はどうすることもできません。 取り急ぎ回答をお願いしたいと存じます。
来年度から社会人になる大学生です。 ありがたいことに内定を頂きましたが、入社予定の会社はいわゆる"ブラック企業"です。 朝は8時から終電まで働かされ、体調を崩して退職する人が後を絶たないそうです。 いまさらもう一度就職活動をしても内定をとれる気がせず、この会社に入社すると決めてはいますが将来が不安です。 死ぬほど働いても何になるのでしょうか。 守るべき家族も持たず、自分の余暇を楽しむことができない人生に意味があるのでしょうか。 かといってフリーターになる度胸もありません。 自分でも何をどうすれば分からない状況です。 住職様、何かお知恵をお借りできませんか?
僕は日々陰鬱に生きていて、変わらなければならい節目を迎えた時、生きる意味について考えるキッカケを授かりました。生きる意味というか、今、生きているということに納得する理由がほしくて。僕はその理由をなんとなく自分の中に見出しました。 それは「人は善を為そうとし、真に為し得ない。優しくあろうとし、真に優しくあれない。愛そうとし、真に愛せない。」その善を為そうと、優しくあろうと、愛そうと努力することこそが生きる悦びだと、僕はそう納得していました。そしてその「生きる意味」を職業(カウンセラー、精神科医、臨床心理士、お坊さんなど)にしようと、大学を入り直すことさえ考えました。 しかし、その友達は、僕の生きる理由を「現実を決済する」こと、僕が信じる「美しいものを美しいものだと感じる心そのもの」を妄想と否定し、浄土、成仏の存在を真っ向から否定しました。 僕は、その友達の考えを否定することはできませんでした。かといって僕の本来持っていた考えを否定する気を起こそうとも思いませんでした。 またある人は「誰かがあなたに、本音や弱音を告白しているときに絶対に言ってはいけないことがある。正論です。」と言いました。 浄土、仏性、成仏は、そして仏教は、自己満足させるためだけの嘘なのでしょうか?美しいものを美しいものだと感じる僕のこの心は妄想でしかないのでしょうか? それは僕が在る、と考えれば在る、のだと信じておりますが、僕はこの途方もないやるせない気持ちをどうにかしたいのです。 僕は恐らくこの(実存哲学?という)正論を信じると一生不幸だと思い、しかも僕はそれに対してどうしようとすることもできないのです。 僕は、仏様から授かった自分の寿命を全うするために死ぬまで生きようと思っておりましたが、その考えが不安定にならざるを得ないのです。 僕はこの儚い気持ちにどう向き合えば良いのでしょうか?お智慧をお貸しください。 長く稚拙な文章となってしまい申し訳ありません。また仏教思想を自分勝手な解釈で捉えております。それは違うというところ、誤解があれば、感謝と敬意をもってお説教を受け賜わります。 便宜的に、思想的に、僕はその人を友達だと書きましたが、本当はツイッター内において、フォローフォロワーの関係にすらなっていない、赤の他人です。 (´・ω・`)...
こんにちは。いつもお世話になっております。 ゆうりです。 教員採用試験の面接対策も始まり、日々あれこれと追われて、てんてこ舞いな毎日を送っております。 その面接対策で、「いじめ」について考える機会がありました。 私は、そういうのを引きつけやすい体質なのか分かりませんが、以前スケープゴートTの話を相談させて頂いた通り、それに関することについてよく遭遇してしまいます。 いじめの原因はそれぞれです。 ・むかついたから。ストレス発散のために、弱者をしばいた。 →喧嘩っ早いのは、困りものです。 ・自分を高めるより、人を蹴落とす方が楽だと気付いたとき、「お前勉強しても(努力)無駄だよ(笑)」 →成績の良くない私の、実体験です。進学校に多く見られる気がします。また、これを皮切りにスケープゴートが発生することも少なくないような気がします。学習障害がある生徒については、これに一番気を付けるべきでしょう。 いじめを無くすのは不可能。 これは、学校は社会の縮図であるからでしょうか? 誰が、作った言葉でありましょうか? 難しいこととは、確かに思いますが、それに白旗を揚げる大人(先生)が世の中に多過ぎるのではないかと思います。 先生としていじめの場に遭遇した時、その場に応じた(正攻法みたいな)対応は確かにございます。ですが、いじめは増える一方です。 いじめを無くす為の正攻法でいじめがなくならないのは、これには、なにかが足りないからだと思います。 いじめを無くすのは難しいのは言うまでもありません。それは、私たちが人間だからです。 いじめを撲滅する。 その為に心はどうあるべきか。単に教育上の単純作業の正攻法ではなく、人の上に立つ、人をつくる職に就く者としてその心はどうあるべきか?身の振り方はどうあるべきか? 質問させてください。 お手数をおかけしますが、宜しくお願いします。