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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5031件

人の死に意味はあるのでしょうか?

私は何か辛いことがあった時、それは現在もですが、ふと死んでしまいたいと思うことがあります。 しかし、それとは反面、日々の暗い事件やニュースを見ていると死が物凄く怖くなります。死にたくないと強く思うのです。 どうしてこの人は殺されてしまったのだろう、どうしてこの人は事故にあってしまったんだろう、、、 けして皆悪いことをしていたわけじゃないのに、ちゃんと毎日を頑張って生きていた方もたくさんいるはずなのに、それでも簡単に生命が奪われてしまうことに恐怖を覚えます。 そう考え始めると、自分もどんなに頑張っていようがいつか事故に遭うかもしれないし、殺されてしまうかもしれない、、、と考えるようになり、人との関わりがとても怖くなってしまいました。 なぜ、どんなに頑張っていても寿命よりかなり早く亡くなってしまう方がいるのでしょうか?病気、事故、事件、、、様々なものがあると思いますが、それは何か意味があるのでしょうか? 若造の私にはいくら考えても答えは出ませんし、ただただこれからの人生に絶望し、怖くして仕方ありません。 拙い言葉で申し訳ありませんが、ご回答宜しくお願い致しますm(_ _)m

有り難し有り難し 12
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母の死

母が1年前に自死しました。 まだ冷静にこのことを話す自信がなくて誰にもきもちを話せていません。 でもこのままじゃ前に進めないと思い、相談することに決めました。まとまっていないのですが、読んでいただけるとうれしいです。 私は親元を離れて独り暮らししていて、実家に帰るまえに父から電話があり、お母さんがつらそうだとも聞いていたし、妹からも帰ってきたときびっくりしないでねとも連絡がありました。 帰ると母はひどく落ち込んでいました。仕事でミスが重なったのが先か、病んだのが先かわかりませんが、仕事で失敗した、自分はダメだと言うようになり、動けない状態でした。 いつもと違う母に動揺してしまい、どうしたらいいかわかりませんでした。 母は父と相談し、精神科に行き、仕事もやめました。 しかしそんな矢先母は自死しました。 後悔していることがあります。 死ぬ前の日の夜、母と車に乗っていたとき、母が、もう、お母さん、死ぬと言いました。 けど私はちゃんと聞き取れなかったのもあって、えっ?と強めに言い返してしまいました。 母はなんでもないと言い、会話はおわってしまいました。 あと、振り袖を買いに行ったときも母に強めあたってしまいました。母が辛いのはわかっていたのに、ひどいことをしてしまいました。 母は私が辛いときにそばにいて支えてくれたのに、私はなにもできず、ましてや母の死を助長してしまうことをしたり、母の気持ちによりそえなかったりしました。 朝方、母は自死したのですが、一緒に寝ていたのはわたしでした。 なんで気づいてあげられなかったんだろうと、本当に申し訳ないきもちでいっぱいです。 死ぬことを考えてるんじゃないかと思ったのに、そのときの自分でいっぱいで、思いやりがたりなくて、防ぐことができませんでした。 ごめんなさいの気持ちでいっぱいです。 こんなことを考えると涙がとまらなくなります。普段は普通に過ごしているのですが、急に悲しくなります。 ほんとはもっとありがとうを言いたいです。母なしではここまでこれませんでした。母みたいな母親になりたいと思うほど母が大好きでした。 でも、わたしのせいで亡くなってしまいました。自分のことしか考えられなかった自分が嫌になります。 母からもらった命だから精一杯生きなきゃと思いますが、この悲しみとどう付き合っていったらいいかわかりません。

有り難し有り難し 56
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死が怖いと感じてしまいます

長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 106
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母の死

先日母が心不全で急死し、後悔、罪悪感、寂しさでいっぱいです。 とても優しく献身的で尊敬すべき母でした。自らの祖母の介護、結婚後は両親を含む家族の面倒、子供達の世話、子供達が巣立ってからは母の介護と看取り、夫の半介護と、生涯にわたって温かく献身的に家族を支えて来ました。 なのに私は、自ら家庭を持つことで改めて母の偉大さを感じ取ってはいたものの、晩年、特に半要介護状態となったいわゆる昭和の亭主関白な男である父との関係など色々と悩みを抱えていたことを知りつつも親身になって支えてあげるでもなく、また長年の家族への献身で体も疲れ切っていた母の状態に気づきもせず、近々訪れるであろう父の看取りが終わったらいよいよ母にたくさん親孝行しよう、などとボーッとした考えで、同居していないとはいえ母が限界に至る前に手を打つことができませんでした。 寿命を伸ばすことが出来たかは、多分出来たはずだとの思いが強いですがはっきりとは分かりません。ただ、早めに何らか少しでも手を打っていれば、少なくとも晩年辛く寂しい思いをさせずに済んだと思うと、自分の無能さ、薄情さが悔やまれてなりません。太陽のように明るく活動的で優しかった母の息子とは思えないほどに、優しさ、状況をしっかり感じ取る能力と行動力に欠けていました。自分の生活を維持することばかりに目が向いてしまっていました。 母の無念さを思うと涙が止まりません。 私自身が今取り返しのつかない後悔を抱え悲しい思いをしていること自体は、自業自得であり、一生向き合っていこうと思っています。 せめて母は、死によって全ての苦痛から解放されたのだと、今は天国で安らかに眠っているのだと信じて、母の供養をひたすらにし続けたいと思います。 質問になっておらず恐縮です、今からでも何か母のためにできることがありましたら、ご助言いただけましたら大変幸いです。

有り難し有り難し 22
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愛犬の死

3日前に愛犬のゆきが亡くなりました。14歳でした。認知症がかなり進んでいて、最後は自分の足を鎖と間違えて噛みちぎり病院に運ばれて、安楽死で死んでしまいました。先生が「このまま生きてても今夜が山。手術はできんこともないけど足を切断して義足にするからかなり痛いし疼いてずっと苦しむことになる」と言われ、私と祖母で話し合った結果、そうすることになりました。 ゆきが亡くなった後、本当に私たちの決断がゆきの望むことだったのか、勝手に人間のエゴで決めて私たちが殺したようなものなんじゃないかと自分を責めてしまいます。周りに「あまり悲しむと成仏できないから考えるな」「畜生は参りに行くと良くない。いいとこに行けないから」と言われるのですが、本当にそうなのでしょうか。思うことすら良くないことなのでしょうか。 前日までは元気だったのに、1日で冷たくなってしまうなんてあまりにもあっけなくていまだに信じられず、受け入れられずにいます。毎日考えてはいけないと思いながらもゆきのことを思ってしまい、一緒に撮った写真や動画を見てしまって泣いてしまいます。どうすれば受け入れて乗り越えることができるのでしょうか。 文章がぐちゃぐちゃですみません。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 8
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祖父の死と身近な人の死への恐怖

こんばんは、夜分遅くに失礼します。 27歳女、一人っ子として生まれました。 父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。 現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。   本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。 数年前に最愛の祖父を亡くしました。 遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。   ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。 亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。 なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。   この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。 いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。 両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。 仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、   27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。 どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。 どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死を選ぶべきなのでしょうか。

私は現在大学4年生です。自らの不注意、無責任な行動から春から決まっている内定先への勤務が怪しくなっております。(具体的には言いませんが警察関係の事情) 自分で言うのもおかしいかとは思いますが、そこそこ由緒のある家で、姉も私もかなりの有名大学を出ており(私はまだ在学中ですが)、両親からの信頼や期待も小さな頃から非常に厚く育ってきました。 今回の不祥事を知ることや、私が社会人になれない可能性がある、もしくはなれないということを両親が知ったらきっと深く悲しむと思います。 また、それ以上に私が本来働くところで働いていないということを周囲に知られた時に親が感じる羞恥心や、劣等感というものは息子である私が一番深く分かります。 社会的弱者(私は決して軽蔑をするような意味で使ってる言葉ではないですが、親は大いに嫌う傾向があるため使わせていただきます。)として親に恥をかかせ続けていくよりも、 有名大卒で優良企業に内定していたものの社会に出る恐怖から死を選んだ息子という形で残るために自殺をはかろうかと思っております。 私はどうしたらいいのでしょう。 起こした不祥事に関する罪の意識を抱えて生きろなどという考えはあまり受け入れられません。(ほとんど事件性がないため) 両親は私が死んだら悲しむでしょうがそれはいずれ風化します。それよりも多額の教育費用をかけ、ようやくエリートとして育てあげた息子が不祥事で内定取り消し、フリーターや中小企業に勤める可能性があるという悲しみ、それが現実となったときの周囲からの視線、息子が法に触れるようなことをする人間であったという失望を考えると、自殺の方がいいと思ってしまいます。 生きてることで自殺以上の苦しみを与えてしまうのではないかと考えています。 親が以前言っていた生きてるだけでいいなんていう言葉を信じきれません。 私は正直なところ生きたいですが、そのために今回の不祥事を親に話し、場合によっては金銭面で多額の負担を強い、息子に絶望させてしまい価値の無い人間として見られてしまうかもしれないというのが苦しいです。 生きた方がいい、死なないでほしいという回答より、どういったことを両親に話し、これから何をアクションとしておこし、どういったように生きればいいかということについてお尋ねしたいと考えております。 長くなってしまいましたがよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 179
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自死とは

自殺がいけないの分かっています。家族の心を殺してしまう程に悲しませてしまいます。仕事でも私が居なくなってしまうと物理的に経営していくことは無理な状態になってしまいます。 何も良いことはありません。 自死遺族の方のブログなどを読んでいると、何故大切な人を残し逝ってしまうのか涙が出てきます。自殺とは怖いものです。 それを分かっているのに、私は今消えてしまいたい衝動に刈られることが度々あります。 体と精神的な状態をネットで調べる限り、私は鬱病なんでしょう。 個人輸入で薬を買って色々な症状は改善してはいます。 私は父母の経営する小さな会社で働いています。数人の社員とアルバイト色々見てきましたが、その中に鬱病経験の人を数人見てきました。言葉は悪いですが使い物になりません。 私の父母もノイローゼな人は困るねという考え方で私もその様に思います。 もし私が本当に鬱病で何も出来ない状態になってしまったとしたら、最早死んでしまっていると同じなのではないでしょうか? 何も出来ない状態では家族、仕事に迷惑なだけです。 それでは死んでしまっても同じことなのではないのかと思うことがあります。 決して自分から死にたいと思っている訳ではありません。しかし、自分自身の必要性がなくなった場合は生きていく意味とは何なんでしょうか?

有り難し有り難し 36
回答数回答 2
2024/01/26

死しか考えられない

最近、私は死を考えてばかりいます。伯母が亡くなったのも一因かもれませんが。 心療内科に通院していても症状は薬で抑えていますがキレる事が多いです。些細な事も許せずに大きな声で叱責をしています。職場では我慢している分、家に帰ってくると我慢の塊が爆発してしまいます。親に対しても聞かれたことに返事をしなかった事も多々あります。逆なことをされると「聞いてんのかよ」と逆切れしています。こんな自分は生きている価値なんてないです。どうしたらこの世から消えることが出来るのか考えています。欲しい物も買ってもらえる、私の思うように動いてくれる母親たちにとって私がいなくなれば節約も出来るし医療費も年々、値上がりするのでその支払いもなくなる。無駄遣いばかりをさせてしまっている自分が許せません。死を持って謝りたいです。 心疾患を抱えてまで生きている意味はあるのでしょうか。今の病気は落ち着いているので主治医にとってどうでも良い患者と思えるのです。命を助けてくれた医師に向かって言える言葉じゃないとお叱りを受けそうですが。手術も望んでしたわけではないのです。気づいたら日程も決まっていたり迷っているうちに手術とどんどん話しが進んでいました。今回の地震でお亡くなりになった方の中に志の途中でと言う方もいたと思います。そんな中で私のような思い通りにならないと癇癪を起し周りを不愉快にさせてしまう。消えるしかないと思います。 何を言いたいのか分からなくなってしまいましたがどうしたら死を迎えることが出来るのでしょうか?飛び降り・飛び込みなど考えますが多数の人を困らせるので出来ません。薬を飲もうとしますがどれだけ飲めば死ねるのか‥結局は実行出来ず今も生きています。生きたくても余命を宣告された人がいます。代わりたいです。夢も希望も何もない。嘘ばかりをついて自分を守ろうとする時もある そんな自分が本当に嫌です。現実から仕事から全ての私の行動から消えたい。 どうして私は生きなきゃならないのですか?消えたい、それが切なる願いです

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2025/03/08

家族の死

3年前弟が23歳で不慮の事故で急死しました。 母親、父親、私、弟、弟の仲の良い家族でした。特に私は周りからブラコンと言われるほど弟2人が大好きで自慢でした。 でも亡くなった真ん中の弟とはお互いに一人暮らしを始めてからは連絡もあまり取り合っていませんでした。小さい頃は仲が良かったのですが、昔から性格や考え方が真逆で大人になるにつれて合わなくなっていきました。でも大好きな気持ちは変わらないしまさかこんなに早くにこんな形で会えなくなってしまうなんて微塵も思っていなかったので、もっと大人になってお互いに子どもなどができたらまた分かり合えるしまたいつでも会えると思っていました。もっと話したかった。もっと会いたかった。たくさん後悔があります。 今は私も日常生活に戻って仕事もしているし実家に行ったり友人や彼と旅行に行ったりしていますが、ふとした時に色んな後悔や喪失感が込み上げて寂しくて悲しくてどうしようもなくなります。急にスイッチが入ったように涙が止まらなくなります。まだ受け入れられず本当はまだ生きてるんじゃないか、悪い夢を見ているだけなんじゃないかと思えて仕方ないです。 でもやっぱり1番辛いのは母でそれを側で見ていると悲しくなります。 私は一緒に悲しんで1番下の弟は一緒に笑って、なんとかこの3年2人で母を支えて生きてきたつもりです。 弟には勝手な事をして勝手に親より早くに死んで親不孝だと言って喧嘩したくなります。でもそれももうできません。 気持ちを整理するために本も書きました。 それでもやっぱりなんで弟だったんだろう、なんで私がこんな思いをしているんだろうと現実にしんどくなります。 死にたいわけじゃないし母がいる限り絶対に死ねないですが、早く私もあの世に逝きたいなあなんて思ったりもしてしまいます。 あとひとつ、たまたま死ぬ前に弟は1番直近に3人兄弟で撮った写真を見ていたみたいです。 なぜ見ていたのかはわかりませんが、私はどんな気持ちでみていたんだろうと今だに疑問に思います。 ①お母さんを頼む ②私と1番下の弟を目に焼き付けたかった どう思いますか? 大切な方を亡くされた方はどうやってこの辛さを乗り越えましたか? 家族の死を乗り越えるためにはどうしたら良いですか?

有り難し有り難し 25
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祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

有り難し有り難し 47
回答数回答 2