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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6193件

遺伝性疾患との付き合い方

こんにちは。遺伝子診断や尊厳死について、考えたいです。  先日父が神経変性疾患の一種で入院しました。体が不自由になり、精神も壊れ暴言、暴力を振るうようになり、10年くらいで餓死、窒息、肺炎等で亡くなる病気です。  父は病状が進み暴力問題もあり入院となりました。父は車椅子に縛り付けられ(病気の性質上、ずっと付きっきりで見てあげられない病院では仕方のない処置です)罵声をあげていました。  この病気は何割かの確率で遺伝し、遺伝していた場合には100%発症します。この病気について、母は発症するまで伝える気がなかったのですが、1年ほど前に実家に遊びに行った時に父から告げられました。  その時私は結婚したばかりで、混乱しました。金銭的不安、パートナーにかける迷惑、人格がゆっくり変わっていって父のように暴言、罵声を毎日のように言うようになるかもしれない、それが病気との線引きが難しく治療法もないこと、子供を持てるかどうか、遺伝子診断をするかどうか。沢山の悩みが湧いて出てきました。  そして父の入院を目の当たりにして、ますます怖くなりました。  遺伝子診断をしたいのですが、母からは反対され、医療関係者も自殺の恐れなどあるので消極的です。  尊厳死についても考えますが、心配させるのでとても口にはできません。父も意識のはっきりしている時は寿命が長くたってなにもいいことはない、体も辛い、早く死にたいと言っていました。しかし当たり前ですがそんなことを言っても聞き入れられず、病人の危ない考えだと黙殺され、今父は病院で椅子かベッドで縛り付けられて苦しんでいると思います。退院できるかも分かりません。  遺伝子診断はして欲しくない、出生前診断は法的に認められてない、尊厳死もありえない。 病気の人の存在理由とかを考えすぎて、死はいけない、命の選別はいけない、そこから話が進んでいかないように思います。やさしい母ですが病気の話をすると目をそらして見ないフリをして生きろと言われている気がして憎いです。ついつい、この家に来ると落ち込む、とか嫌味な言葉を掛けてしまいます。それに怖くて目を晒せません。治療法がどんどん研究されている病気でもあり、積極的に関わっていくことで恐怖と付き合いたいです。  とりとめのない文章になってしまいすみません。尊厳死や遺伝子診断はなぜいけないのでしょうか。とても苦しいです。

有り難し有り難し 25
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住職の娘さんの守秘義務

私の親しい友達Aが亡くなりました。 死因は事故死らしいと伝えられています。 本当は精神的な病に苦しんでおり自死だったみたいですが… Aが亡くなったと伝えてくれた友達が住職の娘で、彼女の父親が葬儀に住職として参加していました。 もちろん彼女も葬儀に参加してました。 私とAと住職の娘は同級生で昔からの親しい友達です。 Aが亡くなったと聞いた時に、どうして? なんで?と聞いても事故死みたいだよ、詳しいことはわからないと言ってました。 ただ、普段からポーカーフェイスな彼女が青白い顔をして大量の涙を流しながら話をしているのを見て、ただ事じゃないことが起きていたんだな思ってました。 Aが亡くなったとお寺に連絡があってそれを同級生に伝える役目はとても辛いものだと思います。質問攻めにもあっていましたし、 「お寺に連絡があったんでしょ?本当のこと教えてよ」とか「自宅で自殺したんでしょ? 運ばれていくところ親が見ちゃったよ」とか 「友達Aは檀家なんだろ? お墓はお寺にあることになるんだ〜気まずいね〜」なんて言葉をかけられたりもしていました。何を聞かれても耐えているその姿はとても見てられなかったのです。 ご遺族の意向で事故死と伝えるように頼まれてるのかもしれませんし、きっと彼女にしかわからないような苦しみを抱えていると思います。私はお寺の人間じゃないので彼女と同じ立場にはなれませんし… 苦しかったら、いつでも相談のるよと言ったら、「その気持ちだけで充分だよありがとう」と言われました。 友達Aの死の詳しいことをもしかして知っていたとして、彼女は誰にも相談せずにずっと心に秘めて苦しんでしまうのでしょうか? 正直、彼女は家族には心を開いていません。家族に相談とかは考えられないです。寺に住んでいて住職じゃなくても立場上何も話せないのは檀家さんの個人情報を守るため?守秘義務があるから仕方ないことなのですか? 友達Aのお墓の場所は彼女のお寺にあります。 それがまた辛いと思います。 彼女は抱え込んでしまうタイプの人間で精神的に不安定なところがあるのでとても心配です。友達Aのようにもしも万が一亡くなってしまったらと思うと怖くて怖くてたまりません。 私は彼女のために何が出来ますか? 何もしないことが優しさなんでしょうか?

有り難し有り難し 50
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2023/09/22

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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死因による魂の行先

大好きな父を病気で亡くしました。 若いうちに私を産んだのに、きちんと育ててくれて成人させてもらえました。 私はパパが大好きで、ファザコンと言われる程仲良しです。父に限らず家族が大好きでしたが、父が1番の味方でした。私はインドアで1人が好きで、友達ですらも人と過ごすのが苦手で。 なので休みの日はいつも父と一緒でした。いつも私のワガママに付き合ってくれました。 急性と名のつく病気だったためありがとうもごめんねも言えず、どのくらい痛いのかどのくらい苦しいのか、何か伝えたいことがあったのかどうか、父の言葉も何も聞けず。 私はいつか絶対に父に会いたいのです。父と母からもらったこの身体と命を自分の手で無駄にしない為には、死後の世界に縋るしか生きる希望がないのです。 本題ですが、 自死をした場合は、天寿を全うした人達と同じ世界には行けない、即地獄行き、自死は罪なのでカルマがどうのこうの、沢山調べました。 これらは本当なのか、少しでも自死をする人を躊躇させるため減らすために適当に作られたものなのか。 そもそも死因によって魂の行先は変わるのか。 仮に私が自死をしたら、病死した父には会えないのか会えるのか。 知りたいです。 もちろん死後の世界のことは誰にも分かりませんから、私が見漁ったWebサイトよりも信用出来るお坊さんの考え方が知りたいだけです。 別に死ぬつもりも度胸もないので私を止めるための綺麗事は必要ありません。死について調べてる間に見飽きました。 自死でもお父さんに会えるよ!という返答が来たからと言ってじゃあ自死します!ともなりませんので、変に気遣わずそのまま元々のお考えを教えていただければ嬉しいです。 お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。

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2023/07/01

死ぬだけなのに生きる意味ってあるのですか

私のプロフィールのとおり。 私は自分のことが嫌で嫌でどうしようもなく…長年、自分自身を憎々しく思ってきました。 自身の性格ゆえに、自分で自分自身を『生きづらく』させてきました。 日頃から悩み、私なりに自分の感情をコントロールする努力したり、素敵な誰かの表情や思考を参考にしたり。 『普通の人』にならなければと焦るのですが…うまくいかず、周囲に疎ましく思われてきた人生でした。 最近は『(勝手に)産まれさせられた』こと自体にも憤りを感じ。 自分が生きている事が嫌で恐ろしくてとにかく消えてなくなりたいという思いです。 よく『あなた自身を許してあげて』『あなた自身を大切にしてあげて』『あなた自身を認めて愛してあげて』と、人はよく言います。 これは具体的に、どうすれば許せるのですか? 何をすれば愛せるのですか? それが本当にできるのですか? 逆に、ずっと、色々な人を傷つけてきた自分を、そう簡単に許していいのですか? 自分のことを愛する・認めるとはどういうことなのでしょうか。 仮に、私のような性格の自分を認めて、愛せるようになったとして…その先には、何がありますか? あとは死ぬだけなのに。

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死にたいと親に言ってしまった

はじめまして、こんばんは。 私は20代大学生です。中学生くらいの頃から、容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたいなーと考えていました。 確かに、今も自分として生きるのは辛いです。何かの拍子に死んで、別の人間になりたいと思います。 不謹慎ではありますが、自殺した人のニュースを見ると、同情やショックでなく、生きなくていいことへの羨望しか感じません。 それはそれで問題だとは思うのですが、今一番の問題は、母に、つい死にたいと言ってしまったことです。 最近は、もともと自分が嫌いなところに持ってきて、コロナ禍で外出できないことや先行きが不透明すぎること、そのくせ国家試験や受験などのために勉強しなければいけないことなどのストレスが重なり、それにうまく対処できなかったことが原因かと思います。 自殺する勇気もないのに死にたいだなんて言っても、周りに迷惑だし、引かれるし、メリットなんてありません。 どうせ寿命が来たら人間は死にますよね。 「身体と心、どちらかが限界に達すればその時に死ねる、どっちが先に壊れるかはさほど問題じゃない。」 このような考え方から、死にたいと思っても口に出さずにやってきました。 しかし、前述の通り、去年の10月ごろから母に「死にたい」「屋上に行ってみたけど飛べなかった」などと話してしまうようになりました。 親じゃない人に表出したのなら、「構ってもらいたいだけだ」と一蹴されるくらいで終われていたのでしょうが、人に弱みを見せるのが苦手なので、できません。前向きで天真爛漫な人物だと周りからは誤解されているようです。そう誤解されればされるほど自分を繕って、疲れてしまうので、昔から悩みを話せるのは母くらいでした。 こんな歳になっても、親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて、私も年甲斐もなく甘えていましたが、 「死にたい」だけは違うと自分でも思います。母は深く傷ついているでしょう。 母の相談相手といえば、母の姉(伯母)なのですが、伯母も旦那さんが病気療養中なので、私が死にたがっていることなど相談できないと思います。 こんな歳になってこんな形で親を苦しめたことは反省していますが、死にたいのは事実だし、どう謝ればいいか、どうしたら心配をかけずに済むか分かりません。 私はどうすればいいのでしょうか。

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自死者は、本当に成仏するのか?

最近、ネットが普及し、自死者に関することで色々と閲覧することができる。こちらのサイトのお坊さんは、自死遺族の気持ちを察して頂き自死者も必ず成仏するとご回答を頂きます。 しかし、他のサイトで真言宗の修行僧と称する者が、自死者は永遠に苦しむと書き込んでいます。同じ仏教徒でこんなに違うのでしょうか?本当に可笑しく思います。あるスピリチュアルでは、自死者は反省の部屋に入り、自分で納得すればガイドに従って成仏できると言っています。テレビで出ていた江原は違いますが  私は、なんとなくこのスピチュアルが主張する自死者の死後のあり様が自然に受け入れることができます。 要は、誰もが死んだ経験がありません。死後の世界なんかわかる訳がないと思います。昔は自死者は、地獄で永遠に苦しむと言われていましたが、ここ最近は自死遺族の苦悩を和らげるためか、成仏できるとお答えを頂きます。僧侶によっては、地縛霊のことは教えられていないと言っている者もいます。 キリスト教なんかは最悪です。よくもここまで豹変できるのかと思います。  こちらの僧侶の方は、本当に心の優しい方だと思います。カルトの様な馬鹿な話は信じません。しかし、本当のところはどうなのでしょうか?自死した者の霊は、安らかに成仏できるのか?  本当は、人間世界で何十年、何百年と苦しむのか?噓を言われて心を和ませたくありません。本当は、自死者が、一人で永遠に苦しむのであれば私が自死をして、妻を救いに行きます。私の魂は、あくまでも妻を救出のため。自身の我儘で自死するのとは違います。  イスラム教で言えば聖戦です。自死者の魂の行先は、僧侶や所謂霊能者と言われる人によっては行き先が二分されていると思います。地獄か極楽浄土へ行くか・・・  言われていることがおかしいです?お釈迦様は、自死について良いとも悪いとも言っていないと今は言われているというか無理にその様に解釈をしているのでしょうが、本当はどうなんですか?  慰めで極楽浄土へ行くと言われると心が少し和みますが、自死遺族のために止むを得ず真実と違うことを言われるのは、返って罪なことだと思います。実際に真言宗の僧侶が永遠の地獄に行くとネットに平然と書いている。本当のことが私は知りたいのです。永遠の地獄に行くというのであれば私は、自死(救出のため)して地獄から妻を救い出す覚悟です。お答えをお願い致します。

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生きなければならないことに疑問を感じる

初めて希死念慮やここではないどこかに行きたいと感じたのは小学3年生です。 そこから10年以上、特に気持ちが落ち込んでいる際は死に方を調べては完璧な自殺方法を探すようになりました。完璧な方法が見つかるまでは自殺はしないかもしれませんが、突発的にベランダから飛び出したくなることも多いです。 父や親類を小学6年生から何度か亡くしたり、近しい人が自殺未遂をし、現場立ち会いをしたこともあり 死んだら誰かが悲しむ、住んでいる家の処理や警察対応など自分が死んだ後に大変なことが起きる方が多いこともよく分かっています。 それでも生きていることに意味が見出せず、希死念慮が出てきた時から一貫して 事故や病気になって自殺以外のしょうがない理由をつけて早く死ぬことが目標になってしまっています。 もしガンなど体を切らなければならないような病気になった場合は一切治療を受けるつもりもありません。 正直苦しいです。みんな死にたいと思いながら生きていると思っていたので、それは普通ではないと聞いた時は本当に驚きました。 いつか全てがどうでもよくなって、突発的に希死念慮が強くなりベランダを飛び出したりODなどをしてしまうのではないかと心配もしています。 生きたいと思えるように生きたい でも勝手に産み落とされて、自分の意思とは関係なく自分という存在が始まったのに 自分の意思で安楽死などを選択できないこの世界にも疑問しかありません 他人が悲しむからという理由でしか生きられない自分にも嫌気がさしています。 すぐには安楽死や病気や事故などが起きそうにもないため、なにか生きたいと思える理由がほしいです。

有り難し有り難し 10
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