読経が何故供養になるのか教えてください。
お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか?
大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。
仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。
法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、
数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。
その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。
自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。
しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。
現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。
とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。
子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。
物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか?
先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。
どうか教えてください。
有り難し 101
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