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「老い・介護・看病・病気」を含む問答(Q&A)一覧

主人が植物状態になりました。

2019年12月主人が会社で脳卒中で倒れ、そのまま家から居なくなりました。 現在、植物状態で入院中。コロナの為一年以上直接会えていません。何度か危篤になりましたが、それでも中に入れてもらえません。 倒れる前日、家事は一切やらない主人が色々な家事をしてくれてありました。 翌朝は早い出勤でしたので私は寝ていて、最後に何を話したか記憶がありません。 物静かな人でしたが、夜中に地震が起こると私と娘の上に咄嗟に四つん這いになり護ってくれる包容力のある人でした。 娘はアスペルガーの気があり、ベクトルが自分に向いているので、自分は変わり果てたパパの姿を見たくない、出来れば避けたい一心でお見舞いには行きません。二十歳にもなるのに、会いに行けばパパが喜ぶという考えには及ばない様子。言う事もキツくて優しかった主人が突然いなくなった寂しさに襲われます。 月2回5分のダブレット面会で、感謝の気持を沢山話し、反応がなくても話を聞いてくれてる事は分かってるから大丈夫、居てくれるだけで私は癒やされて幸せだよ、などと話しかけて帰ってきます。動けなくても、苦しくても、少しでも幸せを感じてもらいたい。そう思っています。 でも、本心本当に伝わっているのか… 搬送時、心肺停止になった夫の手術承諾書に印を押して良かったのだろうか… 私は、誠実で真摯に生きてきた夫に長い試練を与えてしまったのではないかと罪悪感を感じます。 衰弱していく夫に幸せを感じてもらいたくてタブレット面会に行くのは私一人、夫にまつわる様々な手続きに追われ、誰にも理解されない心の疲弊、先の見えない不安から解放されたい。アスペルガーの心無い言葉を浴びせられる日常からも離れたい。 友達に打ち明けたところで、同じ体験をしていない人に共感はありません。余計に寂しくなるだけ。 誰かに温かい言葉で癒やされたい。共感を得たい。疲れました。優しい人と暮らしたい。孫贔屓の実家での居候生活は娘のワガママを助長します。鬱から解放されたい。全てが嫌です。この状況の中、どんなふうに考えたら飄々と軽やかに生きることができるというのでしょうか?

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親の介護

こちらでも相談させていただいておりましたが、昨年、闘病していた夫が他界いたしました。最後は在宅医療、看護で、娘と二人で手を握りながら、最後の一息まで看取ることができました。これ以上望めないほど、自然に安らかに夫が逝けたことを感謝いたします。 まだまだ悲しみも癒えず、膨大な手続きに翻弄されていますが、同居の父母の面倒が限界を超えています。 超高齢の父はもう何もできず、やはり超高齢の母は認知症の進みが酷くて、せん妄、幻覚が進み、手に負えない日が多くなってきました。 二人とも、身体は自立していますが、精神的にだめです。 在宅医療の先生には、早急に施設を進められていますが、二人分の入居費の事もあり、施設の空き具合やコロナ下での問題で、なかなか進みません。 ケアマネさんにも相談しながら、デイサービスなど、なんとかできることを進めています。 しかし私自身、夫の介護と看取りで体力気力を使い果たし、もう頑張れません。手伝ってくれている社会人の娘にも申し訳ないです。 親しい友人たちも、本当に支えてくれていて感謝しかありません。 年老いた親を可哀想に思い、大事にしたい気持ちがどんどん削がれて行くのが辛いです。自分がここまで辛い時に苦しめる親を嫌になる、自分の気持ちが辛いです。今までずっと、いくら進めても介護保険を受けてくれなかったことも恨んでいます。 どのように気持ちを保ってやっていけばいいのか、どうかアドバイスをお願いいたします。 いつも本当にありがとうございます。

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病気が怖くて怖くてたまりません

父のことでこのhasunohaのサイトに出会いお坊さんにいろいろとアドバイスをいただきました。 さて本日は自分のことでお話を聞いていただきたく書き込みをさせていただきます。 以前からなのですが、病気が怖くて怖くてたまりません。 何か体の不調があると、それを癌と結びつけ、夜も眠れないほどの恐怖に襲われるのです。 昨日も胸の辺りの肌が変色していたため皮膚科を受診しました。 先生ははじめは、よく分からない様子だったのですがルーペで観察をしたところタムシであるとの診断を下しお薬を処方していただきました。 しかし、帰宅後皮膚片を顕微鏡で観察しなかったことや皮膚科で使用する特殊な拡大鏡で皮膚を観察しなかったことなどから、本当はタムシでは無く皮膚癌では無いのかという思考に陥り、一晩中その事が頭の中を巡り、眠れない一夜を過ごしたのです。 このhasunohaでも父の死からも人間の命は永遠では無いことや人間には病の苦しみが付きものだと言うことは理解しているのですが、癌が怖くて怖くて仕方が無いのです。 心療内科も受診し、薬物療法とともに先生からは気分転換をしなさいと言われるのですが、時には恐怖から呼吸が苦しくなるなどの症状になることもあります。 本当に本当に弱い人間で情けない限りですが、今後どの様な対応をすれば良いのか?、アドバイスをいただければと思い書き込んだ次第です。 よろしくお願いします。

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母に痩せてもらうべきでしょうか

実は父と母を殺そうとしたことがあります 母は私を妊娠しているときにぽてちやケーキなどを食べて 急激に体重が増え、椎間板ヘルニアになりました。 そのことが原因で今では95キロになって車いすです。 ふとったことが原因で脊髄の2か所目がつぶれてしまいました なぜ殺そうとしたのかと言うと、父親が自分で立てなくなった母を 「太りすぎだよ!!」と毎日怒鳴っていたからなんです 父が怒鳴るのがいや、家が汚いのもいや、風呂場のカビとかがとても 嫌になって、毎日温泉にいっていました。 今は包丁持って警察に保護されて、措置入院を半年して、退院しました。 私も10キロ太ったのでダイエットを一緒にしていますが、 私のダイエットが終わったら母のことはあきらめてしまいそうです。 母のことを今でも父は怒鳴っています。 やっぱり痩せさせたほうがいいのでしょうか? 本人に痩せる意志はないようです。 父が怒鳴ってても幸せに自発的になる気持ちをもてばいいのでしょうか?それとも痩せさせるのも介護の内? 父親が怒鳴るのがいやなら、痩せさせて、あとは天命に任せる方が気楽にいられるかもしれません。 でも、痩せても歩けないかも

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2023/10/03

立派でなくなってしまった

いつもありがとうございます。 母が亡くなってから3ヶ月近く経ちましたが、私はどんどん体調がズタボロになってしまいました。 飲む薬がどんどん増え、心情的にマシな日があっても、体がついていかないという日が多く、結局体調優先で退職することになりました。 しかし、父には私が体調不良であること自体を隠してきたので、今更何と言えばいいのかわかりません。 私は父や母が思う「立派に働いている人間」ではなくなってしまったのです。体をぶっ壊しながらでも働けていたら良かったのでしょうが、それもできないのです。 打ち明ける時に姉も一緒に来てくれるそうですが、父が納得してくれるか分かりません。家を追い出されたり、産まなければ良かったと言われたりしたらどうしようと不安に思っています。姉には考え過ぎだと言われるのですが、本当に怖くて怖くてしょうがないのです。 立派でなくなった私は、今を生きている価値があるのでしょうか? … …… ……本当は、父も優しいのは分かってるんです。「じゃあたっぷり休め!」と言ってくれる人なのは分かってるんです。なのに私は疑っているんです。私はどうしてしまったのでしょうか?皆が優しいのに、私はどうして疑ってしまうんでしょうか?私はとんでもない悪人です。こんな私でも生きていて良いんでしょうか?

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夫の癌闘病

以前、超高齢の両親の面倒と、夫の癌のことでお世話になりました。 あれから、夫は闘病を頑張っておりましたが、続けていた抗がん剤が効かなくなって癌が大きくなり、今回は、3日間4種類の抗がん剤を点滴し続けるという強い治療を受けました。 わずかでも希望があるならと、本人も家族も力を合わせて頑張ってまいりましたが、今回の治療は心身に厳しく、昨晩夫と二人で話し合って、この治療をやめることを決心いたしました。 もう骨と皮に痩せているのですが、抗がん剤が追い打ちをかけ、抗がん剤のメリットをデメリットが上回っていると判断しました。 ほとんど食べられず、歩くことさえ困難になっています。ここまで心身を苦しめる意味を見出せません。 この治療を受ける前は、一緒に散歩したりもできました。単なる延命でなく、なるべく生活の質を落とさずにやっていくことを二人とも希望しておりました。 先生にお話しして、別の道を選択し、最後まで、在宅医療と在宅介護でやりたいことも相談いたします。 これは諦めではなく、新しい選択で新しい道を精一杯歩いていくつもりです。 しかし、しっかりと死を見つめ、覚悟しながらやっていくことは、とてつもなく辛いです。涙が止まりません。 どうか、この覚悟を少しでも支えていただけるようなお言葉をお願いできますでしょうか。 いつも本当にありがとうございます。

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介護終了後の道を見つけた気がします

先月は半分くらい寝込んでおりました。よくもこれだけ眠れるな、と自分でも思いましたが、「それだけ疲れて心身が眠りを必要としているんですよ」と看護師さんに言われて、安心して(?)眠りました。 わずかずつですが、起きていられる時間も長くなりました。 実は夏以来、天涯孤独で一人暮らしである方の相談相手をさせていただいています。遠方の方なので、メールと電話が主になりますが。その方が体調を崩されて、いろいろ困っておられたので、そのこともあって、私でわかる範囲のことをお伝えしたり調べたりもしました。 伊達に長く介護や持病と付き合っているわけではなくて、公的制度や医療的なことには多少詳しくなってしまいました。 私にできることはわずかですが、それでも「死にたい=助けて」というSOSに少しは対処ができたと思います。そして他人をサポートすることに懸命になっていると、自分のしんどさや辛さを忘れるのです。 思えば両親もよく人のために行動した人たちでした。二人が積んでくれた徳は今でも私を守ってくれています。ありがたいことです。 私は高校生の頃から30年以上長くパニック障害に悩まされていて、しかしながら、両親や弟のために走り回っているうちにパニックが治ってしまった経験があります。 母の介護を覚悟して決意した途端、病室で瞬時にして五十肩が治ってしまったこともあります。見えない誰かにとても応援されている気がします。 人のために行動することは巡り巡って帰ってくるという「恩送り」は本当だな、と思います。いつかは自分や子孫のためにも現在ご縁がある人たちのためにできる限りのことをしたいと思います。きっとそれは両親の本意であって、今後の課題だと思います。 自分のためには死ぬまで絵を描きたいという目標があるので、そちらも大切にしたいと思います。自利利他のバランスが取れるように、これからも充実した人生を全うできるように過したいと願います。 こちらでいただいたご好意はとても嬉しかったので、ひとことでもお礼を申し上げたいと思って投稿させていただきました。 本当にどうもありがとうございました。

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20年間たくさんの病気をしております。

ももと言います。 乳がんをする前は7年線維筋痛症という痛みの病気とむきあって そのときだけ、先祖供養をして、高野山で得度をさせてもらい 霊感も授かりました。 2年半前に乳癌全摘と今は糖尿と心の病気は軽いうつと不安障害とパニック障害です。橋本病と緑内障をかかえながら、 波のある認知症のある祖母の世話と介護を家族で一緒にしていま今96歳で足が弱ってのでよく転倒しますけど幸いおおきな骨折もなくすごしています。デーにも楽しく行っていますが、用意ができないときは私が用意します。 ボケが強くならないようにいつも話しかけたり昔のうたをうたったりしています。今は編み物が好きなので編み物してるみたいです。 ボケが強くないときは穏やかで優しい 祖母です。私に励まして味方になってくれるのは祖母だけです。 乳がんの傷の痛みをさすってくれることもある優しい祖母です。 父がよく怒ることでパニック障害やうつや不安障害になること。他に病気を多数もっているし病気になって20年 暴言や私に嫌味いうか怒ってばかりです。死にたくなるときがよくありました。いろんなことろへ相談して心を楽にしています。 残念ながら父には心の病気は15年してもわかってもらえません。 たくさん病気をもっているのできついことはすみませんが書かないでください。病気を治して治らない病気もあるけど一生つきあっていきたいです。 病気をしたから人に役立つことをしたいと思っております。

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