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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

祖母の寿命について

数日前に祖母が搬送されました。 おととい、もう点滴のみの対応になるので、1週間~10日の余命と言われたそうです。 母からの話で、私はまだ会っておらず、明日、様子を見に行きますが、本当に死んでしまうのだろうかと思う位、頭はしっかりしていて、元気なようです。 心不全と肺が機能しておらず、食べられないから、点滴のみとなり、今は元気なのに、だんだんと衰弱して、精神も朦朧となり、終わりを迎えるしかないなんて。 あと、数年で100歳になる年齢なので、寝たきりにもならず、ボケもせず、私の息子、曾孫とも仲良く過ごし、客観的には、長生きで、楽しい人生で、迷惑もかけず、良かったじゃないとなるかもしれません。 離れて暮らしているので、結婚してからは年に多くて4度くらい、ここ数年は、年に2度帰省するくらいでした。 なので、亡くなり会えなくなっても毎日会っていたわけではないし。 でも、やはり考えたら涙が止まりません。まだ、元気なのに、生きているのに。 来月には居なくなってしまうかもしれない。もう会って話すことができない。 私は、おばあちゃん子でしたし、高校生の息子が小さいときに、おばあちゃんと過ごした日々を思い出しても、また涙が。 仕事でも、いろいろあり、体調もいまいちな時でしたが、更なるショックで、どう考えて、向き合って過ごしていったらいいか。 奇跡がおこらないか、祈ってしまいますが、この状態に対してアドバイスをお願いします。

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ひき殺しても尚

私の父親は、今71歳。最近、運転免許証の更新に行きました。 ゴールド免許です。 でも、父は64歳の時、仕事中に50代の女性をひき殺した過去があります。 法律上、父のせいではない、その女性が飛び出したのが事故死の原因である、ということに。 しかし、私にはどうしても父の心が分かりません。 父は悪くなかったのかも知れません、でも、1人の尊い命が失われたのは事実なのです。 それでも、今回は70歳を越えていましたので、高齢者の講習を受け、見事合格し、新しい免許証も手に出来ました。 それからです。父がやたらと赤信号で突っ走るようになりました。 私が「赤!赤!危ないでしょ!」と言っても、「ワシは国が認めた優良ドライバーなんや!ゴールドなんや!」と危ない運転を繰り返します。 父は、自分が人間を跳ね、ひき殺したときの「感覚」「感触」を忘れてしまったのでしょうか。恐怖に苛まれることはないのでしょうか。 ゴールド免許証になってから、スゴい自信過剰になっているように感じます。 はねて、ボンネットに乗り上げ、窓ガラスがバリバリに壊れる程のひき方をした、その時の「ドンときた生々しい音」「目の前で人が潰れた光景」…私なら怖くて、二度と運転出来なくなりそうですが…どうも父は違うようです。 いつかまた、人をひき殺すのではないか、という不安が頭をよぎります。 最近の荒々しい運転は、酷い。横暴過ぎます。 確かにゴールドです、運転するな!とは言いません。 でも、人の尊い命が1つ失われた(奪った)事実を認め、決して忘れないでいて欲しい。 お坊さま、どういう言葉をかけたら、父が「安全運転」をするようになると思われますか? 時には過去と向き合う必要があると、私は思うのですが… 何を言っても「ゴールド」を主張する父に、私から、あと何を言ってあげることが出来るのでしょうか?

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以前より「死」に向きあうことはできたものの…

難病を患い、あまり生きられないかもと一年前に相談した者です。 あれから多少悪化し、実は今、入院中ですが、まあ穏やかに過ごしています。 あれから僧侶の方が書かれた本を何冊か読みました。 解釈の仕方を間違っているかもしれませんが、 この世は全て「諸行無常」で常に変化するから、私が亡くなるのも仕方ないと。 8割納得しました。 でも私を看取るであろう主人に言ったとて納得しません。 主人は今、日々の大半を私の為に過ごしています。 どうしても言うこと聞かないので「毎日同じ顔見たくないから遊びに行って」 とも言いました。 自宅の仕事もあるので、本当に世間との交流を断ってしまってます。 私が死んだら、主人は孤独です。 自分の死より怖いです。 一昨日、小林麻央さんがお亡くなりになられました。 勿論、麻央さんが一番おつらいと思いますが、看病したり 悪化していく様子を見ていた海老蔵さんもつらかったと思うのです。 なのに海老蔵さんのあれだけ号泣する姿を見て、 「私はまだ死ねない」「旦那を泣かせられない」と思いました。 けどそれは現実に逆らうことですけどね。 まずは私は体調に気をつけることだと思います。 そこでお伺いしたいのは、 それでも私が今から迎える「病状の悪化」「死」について 主人の心身のダメージを最小限にできる方法ってありますか? お忙しいところ申しわけありませんが教えて下さい。

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2024/05/09回答受付中

終活を始める

現在48歳です。以前はこちらでたくさん自身の結婚できなかった後悔を随分と聞いていただきましたありがとうございました。 恋愛や結婚をあきらめるに当たり、かなりエネルギーを使いましたが以前に比べると少し気持ちは穏やかになりました。もちろん、一生気持ちを受け入れることは出来なさそうです。 40代は仕事で様々に経験をさせてもらい、部下持ちの管理職もさせてもらっています。また、英会話も身につけつつあり(スクールに通って9年目です)、仕事でも活用でき、ひとりで海外旅行しては英語修行を時々しています。 まだまだ、人生長いかもしれませんが、人生いつ終わるかもわかりません。50歳も控え、そろそろ自分の人生の最期を考えながら生きたいと思っています。ライフイベントも親を見送り(ありがたいことに今は二人ともピンピンしています)、あとは自分自身の死だけだと思い、終活を考えています。 そんななか、やはり、自分がつらいのは自分の人生に恋愛なかったということです。今のままでは死ぬ瞬間まで「恋愛してみたかった」と言いながら死にそうです。 女性が好きになってくれる容姿や性格が無かったのがとても恥ずかしいです。人に恥じることなく、ひとりで人生を閉じるに今から始められる就活はなんでしょうか?

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過食嘔吐、食道がんの恐怖、検査までの不安な気持ちの落ち着かせ方

はじめて相談させていただきます。 2児の母親でありながら、過食嘔吐をやめることができませんでした。 14才から25年間、過食嘔吐を繰り返してきました。コンプレックス(痩せたい)や自信のなさから始まり、その後は完全に依存性、でした。 子供もいますので野菜も多目に食事を作り、きちんととり、偉そうに『健康のため』と、子供には食事の大切さも語ったりしていました。 それ以外に吐くためだけに好きなものを好きなだけ食べ吐き出していました。子供の目がない時にです。 食事をとっているのでガリガリではありません。(157cm/48kg)ただ上半身は骨の浮き出た、下半身はぶよぶよの気持ちの悪い不健康な痩せ方です。 楽に吐ける体になり苦痛なく吐けていたので過食嘔吐が体に害があるとは考えられなくなっていました。 8月の下旬から少しずつ体調に異常が現れはじめました。最初の異常はのど~食道の異物感でした。それでも過食嘔吐を完全にはやめられず、しばらく様子を見ていました。 怖くなり、いよいよ初めて通院してから内視鏡の予約日までに、背中の痛みや食道の染みる痛みなど、『食道がんでは…』という症状が次々と現れ、恐怖と不安と、25年間胃酸を食道へ逆流させ続けた自分に絶望する日々が続いています。 不眠、下痢、食欲不振、微熱など自律神経失調症の症状も出ています。 もしかしたらこれもがんの症状なのかもしれません。逆流性食道炎では…とも思いますが25年間の行為が直感的にがんを連想させるのです。 子供を愛していたつもりでした。 未だに私に抱っこを求めてくる今年10才になるになる女の子と 私がちょっと見えなくなると、覚えたての言葉で不安げに私を探す今年3才になる男の子、 ママっ子でかわいい二人の子供です。 母親になっても過食嘔吐がやめられず、 子供から母親を奪ってしまうような行為を続けていた自分の愚かさに、死の恐怖に、もし私を失った時の子供の絶望に…心が潰されそうです。 検査まであと一週間、どのような心構えで過ごせばよいでしょうか。 病院の先生には全てを告白し、早めの検査を希望しましたが予約の都合で断られてしまいました。 母親と主人にも初めて全てを告白しました。今後サポートをしてもらいながら治療していく予定ですがまだ『今後』は描けません。

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母の死を受け入れられません

私の生き甲斐であった母が、先月急に亡くなりました。 今までひと月に一度のペースで大きな病院にもう十数年もかかっておりましたし、普段の通院でも特に問題ないとの事でしたので、いつも自分の事(痛い苦しい辛い)を殆ど口にしない母が珍しく異変をうったえる事もあったのですが、年齢的なものもあるのだろうと思っておりました。後で考えてみると昨年秋頃から『しんどい』という言葉も増えてきていたように思います。でもその時も、主治医に『この数値でしんどいはずはない。大丈夫!気のせいや。』と言われ、その言葉を信じ特に検査をする事もなく日常過ごせておりましたし、4月のお誕生日には家族で旅行も行きました。 GWが明けて念の為にと受診したところ、末期の癌でもう手の施しようがなく余命二ヵ月と告げられました。 その二ヵ月を満たずして母は亡くなりました。あっという間でした。 母の病院関係や健康管理、身体の事に関しては本当に今まで心配で心配で異常なほど気を配ってきたのに…こんなに大切にしていた人の、これほどまでに最愛の人の、見る見る弱っていく姿を、病に侵されて苦しみ息絶えていく姿を、手を打つ術もなくただただ見ている事しか出来なかった日々は、この脳裏から消える事はなく日に日に罪悪感と喪失感に押しつぶされそうになり、このまま後を追えたらと思っています。 普段偉そうに『母さんの健康は私が守る!』と母の思いは二の次で自分の思うように引っ張て来た…結果がこれかと…。どうして母の信号に気付く事が出来なかったのか…。私を信じ、私に遠慮をしてなかなか自分の意見を言う事もなく身を任せてくれていた母に、最期まで事実を伝える事も出来ず頑張らせてしまった…。最低な親不孝者だと思います。昔からあまり贅沢をしてこなかった母を喜ばせたい一心で生てきました。これから親孝行が出来ると思っていました。 家族での旅行や外出をする度に『いつか罰があたる。』と言っていた母の心意も気になります。母の意思と反して私が勝手に母に色々してきた事が、その私の『欲』が『罰』となって、何かを悟っていた母が連れて行かれたのでしょうか…。そのように思えて仕方ありません。 母は今どう思っているのでしょうか…。 これほどまでの地獄はありません。母と同じくして、私自身も死んだも同然です。 『死』とは何でしょうか…。どうかご教示ください。

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