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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

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死んだ母に心安らかでいてほしいです

3/6、54歳の母を突然亡くしました。アルコール依存症で、それでも普通の生活を取り戻そうと頑張っていた母です。 両親が離婚していたため離れて暮らしていました。 酒を飲んだ母が嫌で、辛いことをわかろうともせず冷たい言葉も投げかけたことがあります。 母が亡くなった今となっては、なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろう、つらさをわかってあげられなかったんだろう、孤独を埋めてあげなかったんだろうと後悔ばかりです。 泣く回数は減りました。 けれど辛かったであろう母の晩年を想うと涙が出ます。 母の魂は救われるでしょうか? 生きているうちは恐らく辛いことだらけで、私がそれを除くこともできず、沢山寂しい悲しい思いをしたであろう母。 せめてあの世、浄土、言い方はわかりませんがその先では安らかでいてほしいと、毎日母に語りかけ仏様にお願いしています。 棺の中には「優しくできなくて、わかってあげられなくてごめん、大好きだよ」いうことを綴った手紙を入れました。私の気持ちは母に届けられるでしょうか? 手を合わせれば、気持ちは届くでしょうか? 49日が過ぎても、母に出来事を話したい、伝えられずにいた気持ちを伝えたいです。

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彼の自殺が受け入れられなく、悲しみから抜け出せません

年下の彼から、「一緒にいても、俺は幸せになれない。」と、一方的に別れを告げられたのが、7月半ばでした。 私が勤めている会社のお客様でもあった彼が、会社に来たのが8月あたま。 彼との別れは本当に辛かったのですが、年上の女を演じて、笑顔で話すようにつとめました。 その時、少し寂しそうに見えたのですが、私に対して気まずい思いをしているのだろうと考えていました。 その後、お盆に車ですれ違った時、お互いに手を振り合いました。 ラインで、「実家の近くのお祭りで、太鼓たたくんよ。」と連絡がきましたが、その文言ですら、妙に寂しそうに思えました。 8月末。 彼が死んだと知らされました。 「一応は病死になってるけど、あまりよろしくない最期だったから。」 と関係者から聞かされました。 自殺未遂2回。 鬱の治療を受けていました。 たぶん自殺だと思います。 何を見ても、どこに行っても、彼との思い出で胸が詰まります。 会社ですら、彼との思い出がいっぱいで、彼を思い出さない空間がありません。 私は振られたのだから、どの道、彼を助けることも、そばにいることもできなかったんだと言い聞かせても、楽しかった時の事が頭を占めて離れません。 ご実家にお焼香に行かせて頂きたいけれど、その勇気も出ず、食事ものどを通らず、夜も眠れず、何を見ても涙がでる日を過ごしています。 「死」というものを、どのように理解し、どのように考えていけば、 幸せだった思い出を、幸せに感じることができるようになるのでしょうか。

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死んでしまいたいと思います。

大好きな彼と会えなくなって7ヶ月がたとうとしています。毎日自分なりに手を合わせて話しかけたりはしているのですが、やっぱり寂しくて悲しくて仕方がありません。 彼に対してありがとうと思う気持ちと、わがまま言ったり困らせてばかりでごめんなさい、何も気づけなくてごめんなさいと思う気持ちで胸がいっぱいです。 彼と同じところに行きたい、会ってくれるなら会いたい。とそればかり考えてしまいます。 でも、両親が悲しんだり世間から変な目で見られるのではないかと思うと、自分で死ぬことに躊躇してしまいます。 それでも、気持ちが落ち着かなくてどうしようもない時は自傷行為をしてしまいます。 自傷のことを少しだけ母に話してみたところ、とても悲しい顔をさせてしまいました。 ただでさえ進学の為に離れて暮らしていたり、精神科にかかっていたりで心配をかけているのに、これ以上心配させたり、悲しい顔をさせたくはないのに…… 母に最初に話した時よりも自傷の頻度は増えていて、気持ちも不安定になっている気がするのですが、母を泣かせてしまうのではないかと思うと相談ができません。 それでも、誰かに慰めてほしい、自傷してしまう自分のことを分かって欲しい、できれば支えてほしいと思ってしまう自分もいます。 これ以上心配かけ続けるくらいなら死んでしまった方が迷惑がかからないのではないかと考えるのですが、どうしても両親がどんな思いをするだろうと想像するとまだ実行ができません。 長々と内容もまとまっておらず申し訳ありません。私はこれからどうすればいいのでしょうか。悲しませると分かっていても自分が楽になる可能性のために母に話したほうがいいと思いますか。どうすれば、両親に迷惑をかけないですむでしょうか。

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2024/01/06

彼の自殺と苦悩

先日、こちらで彼が、わたしと何か言えない事情で別れようとしている、という件についてご相談しました。 その彼から、 わたしとは無関係の、わたしに言えない、彼の抱える問題のために別れよう。他の人と幸せになって。自分問題には巻き込めない。という言い方で別れを告げられました。泣きながらでした。 今住んでいるアパートからはいなくなる、とも言っていました。行き先は言えないと。最近部屋の掃除をしていたので、引っ越し準備だと理解しました。 私のことは大好きだから、俺の問題に巻き込めない、と苦しみながら頑なに言うので。なぜ、どうして、と何度も食い下がるのはやめました。お互いそれなりの年齢なので、背負うものもある、こういうのも人生なのだ、と、思いました。 でも、別れを受け入れるかわりに、 別れるならお互いの気持ちが落ち着いたら友達になろう。 どんなにつらい事があっても生きよう、お互い何かあれば声をかけあい、孤独にはならないようにしよう、 とわたしは言い、彼は頷いてくれました。 その日は別れることに納得したつもりで帰りました。 それでも、翌日に未練が湧いてきました。あまりに未練がましく言うのはいけないが、もう一度だけ食い下がってみよう、と。電話をかけたら、電話が繋がらなくなっていました。 そして、そのあと、彼が自死したことがわかりました。 なぜなぜなぜ、と。片付けしていたのは死ぬためだったのか、と。やむを得ない事情って何?!と。絶対別れないと言えば良かったのか、と。わたしに幸せになれ、と言ってもこんな最後では無理だ、とか。 過去の彼の発言一つ一つを思い出し、脳内が暴走します。 ぐちゃぐちゃと脳内が混乱して、受け止めれないし、彼の旅だったところへ、同じ場所、同じ方法で追えば会えるのだろうか、後を追いたい、とか。 しっかりしろ、と自分に言い聞かすのだけど、疑問、喪失感、自責の念、やり場のない怒り、色んなものが渦巻いて。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて。 辛いです。辛くてたまりません… 助けてください。。。どうすれば良いのでしょうか。

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2023/12/10

老病死に対する自暴自棄

祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。

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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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2023/02/20

死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

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2021/12/02

祖父の死と身近な人の死への恐怖

こんばんは、夜分遅くに失礼します。 27歳女、一人っ子として生まれました。 父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。 現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。   本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。 数年前に最愛の祖父を亡くしました。 遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。   ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。 亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。 なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。   この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。 いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。 両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。 仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、   27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。 どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。 どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。

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2021/08/31

コロナで死にたい

まず、タイトルが世情に鑑み、著しく不謹慎かつ忌むべきものであることをお詫びいたします。 もう疲れました。 家族がどんどん醜い存在になってしまいつつあるように思えてならない。 妻からのモラハラ。実家破産により、親族バラバラ。 バラバラになった親族は、夜叉のように罵る。 私の家を新築してから、皆おかしい気がする。 せめて私は言葉による業をつくりたくない、不悪口だからと言いたいことも口を閉ざす…というのは口実で、実は怖いだけ。 疲れたので、旅立ちたいです。 でも、自殺者は地獄行きだとか、地縛霊になって苦しむとかいう話も聞きます。 自称密教僧が、自殺防止のためか、ブログで散々そのように説いています。 それは、怖い。 真実はどうあれ、薫習といって、生前のクセに引きずられるという話もあり、一度、自殺者の予後について聞けば、それは呪いのように私の中に刷り込まれる。 なら、大義名分のある死ではどうだろうか。 トラックにひかれそうな幼児を助けて死ねば、英雄だ。 遺族も納得できよう。 しかし、そんなシチュエーションもそうないうえに、不悪口を口実に口をつぐむビビリな私では、実行もできまい。 なら、コロナで死ねば、どうだろうか。 幸いにも基礎疾患がある。死ねるかどうかは分らぬが、死ねば今の苦しみから解放される。よしんば死なずとも、今の家族の現状に一石が投じられるかもしれない。 どうやったら、後生よく、苦しまず、遺族の悲しみも比較的少なく死ぬことができるでしょうか?

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死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

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大切な家族(ペット)の死と生まれ変わり

先日、1年9ヶ月を一緒に過ごしてくれた家族のシマリスが亡くなりました。 彼は私の大切な息子でした。 年齢は1歳10ヶ月でした。 寿命の半分も生きていさせてあげられませんでした。 お迎えした時から、嘔吐したり、薄毛になったり、病院に通うことが多い子だったので、いろいろと情報を集め、いつか大きな病気をしないようにと予防を考えながら暮らしていました。 彼の1日は私たち人間の10日分。彼の1日1回の食事は私たちの30食分。比較すること自体が意味のないことかもしれませんが、大切に、大切に育てていました。 急に元気がなくなって1週間。突然旅立ってしまいました。家族で交代で24時間見守って、私が仮眠する順番の時に亡くなってしまいました。 もっと一緒に居たかった。もっと一緒に遊びたかった。生きていてくれるだけで幸せだったのに。 私がどれだけ大切にしていたかを知っている家族が、私の事を心配して、新しい家族を迎える事になりました。早すぎるのは理解しています。心配してくれる家族に申し訳ないのと、何より私自身が弱いせいで苦しいから、そうする事にしたのだと思います。 亡くなった子の代わりではありません。新しい家族も、ひとつの命として、大切にします。 ただ、別な動物だけど、亡くなった子が許してくれるかな。怒らないかな。私だけ楽しそうにしてたら嫌だよね。と不安で仕方ありません。 私は亡くなった子に、生まれ変わってまた私のところに帰って来てねと伝えていますが、もう来てくれなくなるのではないかと不安です。 他の子をお迎えしておいて、自分は愚かで自分勝手なのはわかります。でも、亡くなった子が生まれ変わったらもう一度、私のところへ来てほしいのです。いつでも迎える準備はできています。私はどうすればいいのでしょうか。

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