純粋な信仰心をくじかれた
あるお寺で、私が感じていた「神仏のご加護」を皆「偶然」だと一蹴されました。純粋な私の信仰心を無下にされたように悲しくなりました。いくらお坊さんといっても、いろんな人がいるなとビックリしました。信仰心広める人が、逆につぶしてどうする?と意味わかりませんでした。
私がいうご加護とは、「良いことも辛いことも全て私自身が、それに感謝できた時。私がそう思えたこと自体がご加護」だと思ってます。
それもこれも神仏がつまり自分自身なのだ、と気づけたからそう思えるようになりました。まぁ、偶然だの必然だのは最初からないのでしょうけど。なんか心がモヤモヤします。もし私が、住職さんの真意をとりまちがえているにしても、もう少し言葉足して説明してもらわなければ「空」とか「無常」とかを踏まえて言ったのかそうでないのか?とにかく危うすぎるのでは?「偶然」のただ一言だけでは、と思いました。ただの素人に話してもどうせわからないからと思われたのならば仕方ないですけど。
有り難し 10
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