地獄とはいったいどんな事をされるところなのでしょうか? 八大地獄というのを聞き、この八大地獄とはどんなところなのか気になります 悪行はどんなちいさなことでも悪になって地獄なのでしょうか?
なぜ在家得度はこんなに難しいんですか?たらい回しです
私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?
(編集部より。こちらの質問は利用規約の禁止事項に抵触する部分があるため一部編集しています) 前回と前々回に厳しい意見を沢山もらいました。 あれから妻は精神的な病を患い現在入院中です。 子どもは私の実家に預けてあるので安心ですが退院したら本当に離婚するつもりです。 妻には女としての生き方を説いているのですが全く分かってもらえませんから。 ここ最近女性宮家の創設の話が世間を賑わせています。 私は個人的には断固反対です。 男性遺伝子はXY、女性遺伝子はXX、遺伝子の構造的に男性系統の承継でないと血統が途絶えるからです。 女系天皇が誕生すれば2000年以上続いた天皇家を絶やすことになります。 女性宮家に男性が婿入りして、その子が天皇になるなんてあってはなりません。 あったとしても男のお膳立てがあって成り立ってることが殆どでしょう。 お坊様方はまだ私の意見をコテンパンに叩くのですか!?
結婚生活について悩んでいます。 お付き合いをして3年、結婚して4年半になります。 当初は誰もが、仲がいいねいつも一緒だねと言 う関係でした。 よく話しもして、休みの日は2人で出掛けてました。 最近は一緒にいる時間もなく、日常会話はしますが、立ち入った話をすると黙ってしまう。 さみしいのと、愛されていないのではないかという孤独感で、幸せとは思えない。 それでも夫婦でいられるならと、私なりにがんばったつもりですが状況は変わらず。 子どもがほしいのですが、聞いても黙ってしまうのでもう諦めるしかないのかなと思うけれどあきらめきれない。 年齢的に妊娠は難しくなってきています。 子どももいない、コミュニケーションもスキンシップもない、とても家族といえる関係ではないように思います。 私のエゴかもしれませんが、連絡をとりあったり思いや考えを話し合える関係になりたい。 どうしたらうまく話ができるでしょうか? それとも夫婦に会話は不要なのでしょうか。 長文乱文で、申し訳ないですが、なにかアドバイスいただけたらと思います
はじめまして。 神奈川県在住の23歳です。 2ヶ月前に入籍し、只今妊娠中7ヶ月です。 私は結婚するまで母と2人で暮らしてきました。 父親の事はあまり知りません。 そのためか、早くから家庭を持って母を安心させたいと思ってました。 しかし、いざ子供ができると男性はこんなにも頼りないのかと思うようになりました。 女性は身籠った時点で母親になれますが、男性は簡単に父親になれないので頼りないと思う事が増えました。 例えば、生活費と病院の検診費用など最近やっと頂けるようになりました。 それも私の貯金がなくなり、もういい加減にしてくれと私が不満を爆発させてやっとです。 病院の検診費用も「先月は払ったよ」と言われた事もあり、なんでこんな男性と結婚してしまったのだろうとも思いましたし、簡単に子供作ってしまったのだとも思いました。 子供に一切の罪もないのに。 不満を爆発させて「実家に帰る」というと焦ってごめんと平謝りしますが、反省や謝罪もその場だけなのです。 しかし、子供がお腹の中にいる今は別れるなんてできません。 こんな私は身勝手なのでしょうか? 謝罪され許してを繰り返して、成長がない人はダメなのでしょうか? 私が妥協して許していくしかないのでしょうか?
私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?