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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 縁 」
検索結果: 1908件
2023/08/16

お寺の跡継ぎについて

田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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強い想いを持ち続けること

想い人との関係がうまく行かなくなってから、心身が言うことを聞いてくれません。 ずっと心の中に鉛が入っているようで感情が動かないのです。早朝に目が覚めてしまい、寝不足も続いています。 色々な方々への相談や、趣味、旅、新たに打ち込める事探しへのチャレンジ(仏教の勉強もその一つです)を通して、 一時的には晴れやかになるものの、結局は重い心に戻ってきてしまいます。 「あいつの為に生きている」と思えればいくらでもパワーは湧いて来るはずですし、ご縁あって願いが叶った暁には、仏様やご先祖様をはじめ、全ての関係する人々に恥じる事なく彼女を世界で一番幸せにするという自負を持っています。 彼女は今、別の男性とのお話を進めていますから、説明すべき所、謝るべき所には私が前面に立ち、大事な人を守る覚悟です。 しかしSNSのブロックなど連絡もままならず、拒絶されているという現状があり、希望は風前の灯火の状態です。 家族には「恨めるなら楽になるのに」等と言われましたが、返しきれない程のご恩があり、人間として大好きなかけがえない彼女にそんな感情を抱くことなど到底できません。また、誰かが悲しむ、苦しむ結果も望んでいません。 最後まで願いが叶うのを信じて動き続けたい、自分の力を試したいとの気持ちでおりますが、一向に光が見えず、不安も大きくなっています。 そんな状況で自分の意志を貫き続け、神仏にお祈りしたり、共通の知人に私の心の内を知ってもらうのは無駄なことでしょうか。 hasunohaのお坊さん方には何度もお世話になり申し訳ありません。どうか今一度、喝を入れてください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
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2022/09/07

聖天様の開眼供養された香合仏について

色々思い詰めて、開眼供養された聖天様の香合仏をお迎えする事になりました。 キャンセルにも結構なお金もかかりますし、これもご縁だ、と小さいお仏壇等も手配する所です。 所が、私はただのなんの縁もない一般人ですので、香合仏を普段はお仏壇に入れて祈願も含めてお祈りしようと思っていますが、エッポウにならない範囲での正しい拝み方や時に祈念したい時はどの様に向き合えば良いのか解りません… ご真言を唱えて感謝などの気持ちで居る程度なら大丈夫なのでしょうか? またその場合、正しいご真言が解りません… 私の安易な気持ちでのお迎えが良くなかったのは反省しておりますが、これもご縁と思い、活かしていきたいと思っています。 また、スペースの関係で横並びで大日如来様と愛染明王様の香合仏様もお祀りして、日にご真言を上げ、その時の気持ちで神様を持ち出すのは失礼に当たらないでしょうか?? お供え物も毎日はキツイので、腐らない様にお水のペットボトルとお酒の小さなカップ、時にお菓子(個装)を1日と15日にお供えしたいと思っています。 トンデモなおまつりのしかただと怒られるのは怖いので、こうした方が良い、や問題がない範囲のご真言などを教えて頂けたら幸いです また、専門的に教えて頂ける場合は、圧に凄く弱いので圧の強くない方の元で謝礼を払い、ゆっくり学んで行きたいとも思いますので、名乗りをあげて頂けたら幸いです それでは一所懸命何とかしようと足掻いているので、ご慈悲の中で助けていただけたら幸いです よろしくお願いします

有り難し有り難し 7
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こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?

いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

有り難し有り難し 72
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出家するということ

こんにちは。今日は出家するということの意味について質問いたします。 俗世間は修行の場であるとつくづく思います。この数週間、こちらは夏休みということもあり、毎日仏教について学んだり瞑想したり、とても大きな生きる知恵を得ています。もちろん、知れば知るほど自らの至らなさや愚かさにビックリがっかりして足踏みすることも有ります、仏教初心者ですが残りの人生かけて努力するつもりでおります。 そこで質問です。俗世間は生きてゆく上で避けられない修行の場です。 ですが、出家するということはこの俗的な苦しみを出来るだけ避けて清らかな心にする、悟りに最適の場所を選ぶ、そういうことなのでしょうか。 出家できる環境の人もいればそうでない人もおります。 学校に例えますと、ある専門学校があるとします。そこにいくと専門職につく最適な近道になるわけです。 ところが、学校に行きたいけど状況が整わず行けない人もいます。学校になど行かなくても通信教育を受けたり、別の道は沢山あるでしょうけど、指針がしっかりないのです。 それに、こういう状況を、まあ縁だからしょうがないだろうととることもできるかもしれません。(今世はそういう時でないとか) 出家しないと得られないこととはなんですか? また、出家する人としない人の違いはなんでしょうか? お坊さんがたが、なぜ出家なさって生涯にわたってお釈迦様の教えに忠実に生きて世の中の人々の役に立とうと考えられたのか、ご自身の経験などを教えていただけると幸いです。 子供が三人おりますし、修行のみならず毎日はたくさんの喜びと幸せに満ちていますので、何もほかの人生を望んでいるわけではないのですが、出家されてお寺に従事されておられることが理想的だなあ、とちょっと思ってしまうのです。それは現在に不満があるからなではなく、仏教の生き方がまさに真の道だなあと思うからです。 回答お願いいたします。

有り難し有り難し 26
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お坊さまの言葉

先日は母の四十九日法要でした。 私は檀家等のつながりが無く某密林サイトにてお坊さまを依頼させていただきました。 来られたお坊さまはきちんと経をよんでくださり法要としてはとても満足のいくものでした。 ただ、経が終わり帰り支度をしながら「次は100日の法要を必ず実施してください。でないと故人はお釈迦さまの元へはいけなくて追い返される」みたいなことを言われました。 今後の法要の予定として言われたのだろうとは思いますがその話だけをしてサッと帰られました。 私はこのお坊さまのおっしゃられた事に間違いはないとは思いますが、もし私がお坊さまの立場なら、お金の余裕が無く簡素なお供えではあるけども、故人を思い一生懸命な遺族に対して今日の四十九日法要を無事に実施できたことに対しての労いと、これで故人も安心して旅立てます、だから残されたあなた達は安心してしっかりと生きていきなさいよくらいのことは言ってあげると思います。 死んだ人だけでなく残った遺族に対しての救いになるような言葉かけて道を照らしてあげるのもお坊さまの使命ではないでしょうか。 単に法要の管理だけならCDで流すお経とあまり変わりはないのかな?なんて思いました。

有り難し有り難し 30
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占い師としての葛藤

どうぞよろしくお願いいたします。 私は現在、占い師という肩書きで多くの相談に毎日回答させて頂いている身です。 なぜ占い師になったか?というと、話すと長くなるのですが、尊敬できる人との出会いがあり、「この人のように誠実な人になりたい」と心理カウンセラーの資格を取った事が始まりです。 それまでの自分が好きではなく、何か人のために活動している自分でいようと思えたからです。 ただ、私は主婦ですので心理士になるための学費も時間もなく、通信講座の上級心理カウンセラーしか道がありませんでした。 医療や学校などで活動するには足りない資格ですので、「どのように活動すればたくさんの人から依頼がくるだろう?」と考えたところ、 「人は悩みがあればカウンセラーに相談に行くよりも占い師に相談する方が断然多い」 と思ったのです。 そして、タロットの勉強もしながら無料で鑑定を続け、プロとなった現在約5000人のご相談を回答してきました。 占い師になって5年。 ここへ来て葛藤があります。 占いがわかるにつれ、占いが何なのか?もわかるようになり、 「私は占い師としてお金をいただいていて良いのだろうか?」と思う事が多くなりました。 目に見えない事です。 「がんばろう!」と思えるアドバイスが出来る事が一番うれしい事ですが、占いに頼って自分の行動を決められない人が多く、 逆にそういう方にとって私は出過ぎた事を仕事としてやっているのではないか? と思うようになったのです。 ただ、家で空いた時間にありがたい報酬も頂けているのも事実。 外へ働きに出るのも考えますが、まったくカウンセリングから離れる事も寂しいので葛藤しています。 このサイトのような場で占いではなく、心のお休み場所として無料で奉仕活動する方が良いのでしょうか? みなさんの占い師としての肩書きの仕事の見方を教えて頂けたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 61
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俗名で供養するのは間違いでしょうか

2週間前に母を亡くしました。 いざ葬儀の際、父は菩提寺もなく檀家でもない、お墓も持っていないこと(父は次男で実家から距離もあるので)、私が生前の母とテレビを見ながら「戒名は何十万もして高いし、私はこのままでいい。お墓も高いから…」と話してたこともあり、俗名のまま、宗派も決められないので葬儀屋さんからそれでも読経して頂けるお坊さんを呼んで頂き葬儀を行いました。 2月末には四十九日ということになりますが、その前に悩んでいるのが、 このまま俗名で供養できるのか?ということです。 母の言葉通りであるなら、戒名は不要なのかもしれません。 私自身も、母と同じ考えで自分に戒名は不要だと考えているので、母の気持ちは理解できます。 ですが実際に母が亡くなって、しっかりと供養してあげたいと考えるようになったことで、白木位牌から本位牌に代わる際、俗名のままでいいのだろうかと不安になりました。 家族は、母がいらないと言ったならつけない方がいいのではないかとも言います。 心配なのは、 俗名のまま、本位牌を作成して開眼供養して下さるお坊さんはいらっしゃるのかどうか 葬儀は読経して頂けたけれど、宗派もわからぬまま四十九日はどうしたらいいのか。 お恥ずかしい話です。 全く仏教に関する関心や信仰心等無かったのに都合がいいかもしれません。 自分にとっていい部分だけ切り取ってすがろうというのもばち当たりであるとも思います。申し訳ありません。

有り難し有り難し 14
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