相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。
子供が産まれ、小学校にあがるまでに家を買いたいと妻が言い始めました。 妻は私の実家で両親と同居は嫌なようなのです。 私の実家は田舎で私は長男なので両親は当然帰ってきて欲しいと思っています。 同居までは求めていませんが実家の付近に住んで欲しいと願っているのです。 また、土地もあるので、金銭的な面でも実家に帰った方が余裕が生まれます。 しかし、仕事の都合上、実家から1時間くらい離れた場所で住むのが通勤などには便利になります。 結婚するときに私は実家に帰らなくてもいいと思っていました。またそのことを妻にも話しました。 しかし、子供が生まれ親の気持ちがわかってくると帰らないことがいかに親不孝かを感じるようになりました。 妻と両親の双方が納得する落としどころというものはないのかと悩んでおり、相談するに至りました。 うまく説明できていないのでわかりにくいかもしれませんがよきアドバイスがありましたらお願いいたします。
初めて質問させて頂きます。よろしくお願いします。 私は今お坊さんと食事に何回か行かさせてもらってます。彼は同じ職場の友達に紹介してもらった方で住職をされています。友達からは凄く優しくて良いやつやからと聞いていて、初めてお会いして私も同じような印象をもちました。 しかし、何回かお会いして話を聞くと、いつ葬儀が入るか分からないから遠出は出来ない、休みが不定期などお相手がお坊さんならではの悩みが出てきています。 また私はいい歳なのでお付き合いとなったら結婚を意識します。お坊さんとの交際、結婚で今悩んでいます。アドバイスを頂けないでしょうか。
先日和人形を写真に撮ってから肩、首が痛み寒気がひどくこのようなサイトで見習いのお坊さんに相談し 私の今の状態を写メで送ったところ霊が憑いていると言われました。 そこで近くでお祓いをしてきますと言ったところそんなお祓いじゃ除霊はできない 私の周りにいる男性と性行為をし精を中に出してもらって体から精がでないようにして下さいと言われました。 さすがの私もおかしいと言いましたが 早く精を中に出してもらわないと霊に憑依されますと脅されます。 なんだか怖くなりその見習いのお坊さんとはやりとりしないようにはしましたが 実際そのような方法で霊はとれるのでしょうか。 ※ちなみにその和人形の写真には私からみてなにもうつってないようには見えます かなり脅されて精神的にも疲れました お祓いをしてもらいたいのですが全くわかっていません。お祓いについても教えていただきたいです 長文申し訳ないです よろしくお願い致します。
仏教における幸せとはなんでしょうか? 修行を積んで悟りを得ること? 煩悩を滅し苦しみから解放されること? 私にはよく分かりません。
仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?