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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 不安」
検索結果: 749件

これからの行く道は変えられますか?

人のこれからの運命というのは変えられるものだと思っていたのですがそうではないのでしょうか? きっかけは軽い気持ちで地元で有名な霊視鑑定に行ったことから始まったんですが、その方に父親が死んだ理由は先祖の因縁のせいであり、このままいけば私自身も30代か40代で死ぬ。 それから私には夢や目標があり、それに向かって進む為これから、外国に留学や地元から出る準備をしていたのですが、それに関しても地元から出るべきではない。出れば運気が下がる。(こちらから出るとは話してません。否定されるのが嫌だったので。けれど向こうからいきなり地元から出るなと言ってきました)などと散々言われました。 今は世の中の状況も大変です。私としては今は出るための準備期間という感じで地道に頑張っていたのですが、全否定されたのでなんとも言えない怒りがずっとあります。夢や目標を追いかけると言うのは生きているうちにしかすることが出来ません。タイミング、と言うのならまだ分かりますが出るなというのは理解しかねます。 お寺に行き仏様によくこのお話もしています。ですがやっぱりずっと考えてしまうのです。最近では、私もいつか父のように自殺してしまうのではないか?とまで考え始めました。私らしくないといつも思っているのですがどうしても頭の片隅にあるのです。 全ての物事は変わりゆくものだと思っていたのですが、今回どうしてもご相談したかったので質問させていたきました。

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自殺して親を後悔させてやりたい

私は今大学生で、血縁のある母とその再婚相手と暮らしています。 この生活が始まったのは小学校高学年の頃です。 最初はその生活もなんの苦もなく送れていたものの、段々と家での生活がしにくくなっていきました。 それが決定的になったのは中学一年生の夏休みです。家庭科の宿題を手伝って貰おうと思っていたのですが喧嘩をしてしまったので、その宿題は祖母に手伝ってもらおうと思い祖母と一緒に進めていました。宿題が終わり家に帰ると、継父は機嫌が悪く、その理由は「なんで自分の家で宿題ができないんだ」というものでした。その時には既に嫌いという感情はあったものの普通に接することはできている時期でしたが、その日首を締められた事を機に全く話さなくなりました。 3日前、大学の教科書等が家に届き、夕食後にそれを整理しようと思いリビングでテレビを見ながら整理していました。 すると突然、「邪魔。部屋でやれよ」と私が座っている椅子ごと蹴られました。もちろん、教科書の整理以外何もやっていないし、通路を塞いでる訳でもない。整理をする前に何かをした訳でもありません。 母には謝られ、「○○のことが1番だよ」と言われました。 正直、そんなことを言うのだったらさっさと別れて欲しいと思います。それに「結局別れない。私も大事だけど、あっちだって大事。」それって結局1番大事なのは母自身で、何も失いたくないだけなんじゃないかと思ってしまいます。 なんで自分の家で、しかも後から来た人の為に自分がこんなにも神経をすり減らして生きていけなければいけないのかが全く理解できないです。 継父を自分で殺す事も何度も考えました。ただそしたら自分が継父と同じ土俵に立ってしまうし、法律にだって反している。自分を余計に生きにくくしてしまうだけです。 だったら、もう自分が死んで後悔させてやりたいです。母はきっと後悔するでしょうが、継父がどう思うかはわかりません。ただ少なくとも生きにくくはなるだろうと思います。 私の周りの人たちはみんないい人だから余計にそうだと思います。 そんな人たちに多少なりとも迷惑をかけてしまうのは重々承知しています。 でも、もう本当に自殺する以外に楽になれる方法がわかりません。

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亡くなった主人に会いたくてたまらない

二度目の投稿です、以前、主人が亡くなって26日目ですというタイトルで相談させていただきお二人のお坊さんから、目には見えなくても、あなたが想うとき必ずご主人は優しい眼差しであなたを見守ってくれています四十九日が過ぎても、ずっとそばにいてくれますよと回答いただき涙が溢れ心から嬉しくありがたく思いました、でもまた私の心は揺れています、毎日、時間ごとに分刻みに揺れ動きます、大変失礼な言い方だとわかっているのですが、お坊さんだって生きている人間なのにどうして亡くなった人がそばにいるとわかるのでしょうか?大切な人を亡くしてしまったらそのようにおもわなければ生きていけないから、そういう考え方をするんでしょうか?わからないんです、いくらそばにいてくれると思っても私には見えないし声も聞こえない何も感じない主人と出会って30年以上、今年の6月は結婚28年目でした、今思えば不思議なことに去年の結婚記念日には私が初めて手作りのケーキを作り、その前の年は主人が初めて、いつもありがとうと書いたケーキを買ってきてくれました そして娘がお腹にいる時の日記を読み返していたらなんの記念日でもないのに3月13日パパがママにピンクの花を買ってきてくれましたと書いてあり3月13日は主人の命日です、それと私はブラックなコーヒーが大好きだったのに主人がいなくなってからそれが突然飲めなくなり主人の好きだった甘い缶コーヒーを毎日飲んでいます、出会ってからずっと会えない日もあったけど声を聞かない日はなかったので亡くなってからずっと声が聞こえない手を握れないのがたまらない毎日作っていたお弁当はキッチンに置いたままです、失礼な質問かもしれませんがどうか教えて下さい。

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