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検索結果: 1331件

満足したい

底辺馬鹿クズな自分をどうにかしたくて起こした行動も、結局全て長続きしなかった。 今日は寒いな~と同じ感覚で、今日も死にたいな~と漫然と思うけれど、だからといって実行する勇気もなく。そこまで本当に死にたくもなく。ただ、事故や病気で早めに死ねたらいいなと夢見るくらいの憂鬱。 死ぬ気でなにか頑張りたいと思う。でも、なにをどうしたらよいかわからなくて、どうせこんな人間の人生なんてたかが知れてるので早く終わって欲しいと願う日々。 申し訳ないけれど、恵まれた環境に生まれてしまって家事手伝いという名の引きこもりニートを許されている。 ただ家事をしていれば文句は言われないのだから、自業自得で自分が結果望んだことなのだから、どうせ何も変えられないのだから、恵まれすぎているのだから、現状に満足して安らかに生きたい。 1人暮らしをすれば何か変わるかなと思い、資金を貯めて物件探しまではしたけれど、その時にどうしようもなく自分が馬鹿で底辺でクズなのが耐えられなくなった。何かを取り戻したくて高校の勉強をはじめた。資格や何かの勉強を始めようと思っても、高校の勉強も全然やってないやりきれなかった人間に何が出来るんだよ?と自分が自分を馬鹿にする声がずっと頭から離れなかったからだ。 でも、結局何も出来なかった。成人をとっくに過ぎてるというのに、何もない。 これからの底辺馬鹿クズの人生を何十年も生きていかないといけないと思うと、どうしようもなく死にたくなるが、死にたくなるだけで、結局死ねないんだろうな。 「死ぬ前に感動してください」と、いつかこれと似た質問にお坊さんが回答されていた。勝手な要約解釈だから妄想捏造になるかもしれないけれど。 腑に落ちた。死にたいんじゃなくて感動したいんだと。死にたいのは生きてる実感を得たいからで、自殺する瞬間は最高に生きてると感動出来るだろうから、その瞬間を妄想しては満たされた気になって死にたい気持ちになるんだと思う。 本当に苦しくて逃げだしたくてどうしようもなくて死にたい人には申し訳ない贅沢な悩みだ。悩むことすらおこがましい。不満など何もないのだから満足するべきだ。生かされていることに感謝すべきだ。 ただ家事してご飯食べて寝て起きればいい悩むことなんかない人生なんだから、さっさと満足して成仏したい。 めんどくさい。洗濯しよう。めんどくさい。どうにかしないと。どうでもいい。

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今の夫の過去について

私は19歳と9歳の連れ子を連れて去年の3月にひとつ年下の現在の夫と再婚しました。 私は誰にも話していませんが、出会ったきっかけはTwitterでお互いのフォロワーでした。 3年前出会った当時、夫は20歳の時に通っていた専門学校の時の友達の奥さんと13〜14年間不倫をしていました。その奥さんと旦那さんがまだ付き合ってる頃から付き合ってたそうです。ずっとバレていないと言っていました。 出会った時、彼女はずっといないと言っていましたが、なんか感が働いて問いただしたら実はいると。 今までその奥さん(夫にとっても友達)と付き合いながら自分に彼女が出来ると奥さんとは別れて、彼女と別れるとまたその奥さんのところに戻ってという事を繰り返していたそうです。 私と付き合う事になって別れたとは言っていましたが、友達付き合いはやめないと、友達としては付き合うと。 いいよと私は言っていたのですが、結婚を機に改めてまたその話になって(夫の地元の友達から祭りがあるからと誘われて仕事帰りに行ってくると言っていたのですが、実はその奥さんのところに他の友達も含めて行っていたと言っていた) 腐れ縁を私が切った形になりました。私のいるところで電話をかけて君とはもう会えないんだと、言ってもらいました。 私のした事は間違っていなかったのでしょうか? 本当にもう別れているのでしょうか? 会っていないのでしょうか? 随分長い間付き合っていたので、そう簡単に別れられないんじゃないかと思うところもあり…しこりがまだあります。 夫の事を信じて良いのでしょうか? よろしくお願いします。

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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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仏教の今後

仏教は日本人の死生観に深く根を下ろして文化として素晴らしいものがあると思います。 しかし、こんな歳になるまで不勉強で恥ずかしいのですが、大乗非仏説を初めて知りました。 そして原始仏教と日本の仏教はかなり異なる事、律蔵があまり重視されなかったので、日本の僧侶は在家と変わらない事を知りました。 よく、キリスト教徒が進化論や地動説を信じないのを不思議に思ってきましたが、日本の仏教は実は(全てではないでしょうが)偽経だったと分かってどのように折り合いをつけているんでしょうか? 釈尊は口伝でしか伝えなかったから、全ての経蔵は直説でないとか、全て仏の御心から方便として出た物だとか、あまりに苦しい言い訳に見えます。また鰯の頭も信心からと言いますが、信心とは受け容れる事から始まるから信心はそこを問題にしないと言うのもそこに身を捧げる者としては辛い選択ではないでしょうか。 大乗非仏説は新しい概念ではないですが、時代を経るに従って消えることもないでしょう。今後、このまま伝統を重んじて変わらない事を良しとしていくのか、それとも時代と共に新しい研究成果を反映して変化していくのか、どのように考えられてますか?

有り難し有り難し 236
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