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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

2022/12/21

祖母の死

昨日大好きな祖母が96歳で亡くなりました。祖母は施設に入居しておりました。私は旦那の仕事の都合で遠方に住んでおり、昨日の夕方危ない状態と言われた時に私以外の家族は会いに行きましたが、私は会いに行けませんでした。その夜亡くなって、母からは亡くなってから夕方会いに行ったことと亡くなったことを聞かされました。両親も大変な状況だったと思うので、私に後からの報告になったことはしょうがないと思います。ただ、私だけ祖母に何も言うことができないままお別れとなってしまったことの後悔があります。それと同時に遠方にいるためまだ死を実感できず言葉で表せられない感覚になっており、明日帰省して祖母の顔を見るのがこわいです。死を受け入れなきゃいけないのがこわいです。 コロナになってまともに面会もできない中、2週間前にたまたま友人の結婚式で帰省した際に祖母とリモートで面会をしました。半年前にリモート面会した際は私を理解して会話もできていましたが、この時は首を振る反応はありましたが祖母は一言も言葉を発しませんでした。年齢も年齢なので覚悟はしていたので、悲しかったですがしょうがないと思っていたので次会いにきた時に会話できたらいいなくらいの軽い気持ちでバイバイしてしまいました。もっと話せば良かったのにこれが最後になると思わず、生きているうちに後悔しないようにと思っていましたが結局後悔するかたちになりました。 高齢になって体の色々なところが痛いと訴えることが多くなり、施設入居中もコロナになったり骨折したり色々苦しい思いをしていたようで早く死にたいと言っていたと聞き、痛みから解放されて天国で楽しく幸せに暮らして欲しいと思っています。 心からそう思うのですが、死を受け入れたくない自分もいて祖母にお別れを言うのがつらいです。生きているうちに感謝を伝えれなかったことや祖母の近くにいれなかったことで大好きな祖母への気持ちが全否定となってる気がしてつらいです。亡くなった後でも感謝は伝わりますか。天国で聞いていてくれますかね。 まとまりのない文章ですみません。ただ誰にも言えないこの気持ちを聞いて欲しくて書き込んでしまいました。

有り難し有り難し 4
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2022/12/21

多忙で坐禅会に行けない・無意識下の恐怖

お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 5
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2022/12/19

愛すると死別が怖いです

私はとても愛情深く、感情豊かな性格です。 私には愛する家族とペットの犬がいます。 愛すれば愛するほど、いつかくる死別への恐怖心も出てきて泣いてしまうほど悲しくなります。 私が子供のときも良く両親が死ぬ夢などを見て泣いたりしていました。 今朝も、ペットの犬が死んだ夢を見て悲しみで泣いて起きました。夢から覚めても悲しかった。 自分が死ぬことに対しての恐怖心ではなく、愛する相手を失ってしまったら、、、失いたくないという恐怖心です。 例えば、愛する旦那の優しい目をみていると、失いたくない感情がこみあげ泣けてきます。 ペットの犬は老犬で数か月前に里親になり引き取った犬です。老犬であることから死別もわりと遠くはない事を覚悟して、(いつかくる死別の時の悲しみを軽減するため)心から愛さないようにしていましたが、私は愛情深い性格のため、無理でした。どんどん可愛がってしまって愛着が湧いています。 過去に訪ねた旅行先で出会った自然動物たちやきれいな海も、その地を離れる際に私は泣いていました。儚いものを見させてもらったという感覚になり、いつかは皆無くなってしまうんだなーと思ったら泣いてしまった。 いつかくるけどいつくるか分からない死別・喪失への恐怖心と悲しみが、相手を愛するほど込み上げてしまうのです。相手を愛せる瞬間だけに集中したい。涙するのはなんだかおかしいと自分で感じています。なにか心の持ちようや考え方を改善できるアドバイスいただけませんか? よろしくお願いします。

有り難し有り難し 8
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2022/12/19

父が膵臓癌で亡くなりました

11月前半に膵臓癌が発覚し、11月後半にあっという間に逝ってしまった父。 私は実家から遠く離れて暮らしていて、最近はコロナ禍も有り4年帰省も出来ていない状態でした。 生前父は母に苦労かけているなと感じていたこともあり私は父に好意的な感情は持っていませんでした。でも父は幼い頃から私の事を大事に大事に思ってくれていることは明らかでした。 癌が発覚した時点でとても悪い状態とのことで、入院してしまう前に会いたいと思い帰省しました。私が帰省した日の夜から体調が急変し、翌日救急車で運ばれ、その時点でいつ逝ってもおかしくない状態だと医師に言われました。その翌日父は亡くなりました。 私が帰る前に余命は2ヶ月くらいだと言われていたのに、あまりにも急に逝ってしまったんです。母と私、弟に看取られながらでした。弟も遠方から帰省した翌日のことでした。家族4人が揃う事なんてここ何年もないことだったので、みんながいる時に逝きたかったのかな…とか、亡くなる前日は身体中痛かったり苦しがっていたからその痛さや苦しみから早く解放されて良かったのかもしれない、とかあらゆる理由を考えたりしました。看取ったのに未だ死を受け止められない自分がいるからです。 亡くなってからは父のことが常に頭の中にあり、ふとした時に涙が止まらなくなったり悲しさや虚しさで心が苦しくなり、一人残った母親とのいずれ来るであろう別れを想像してしまい、これからどうやって生きていけばいいのか分からなくなります。 父にももっとたくさん帰省して会っていれば良かったとか、もっと優しく接していれば…話もしていればよかった…と後悔です。 悩みの相談がはっきりせずあやふやで申し訳ないのですが、何かお言葉を頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 4
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2022/12/06

家族の死に耐えられません

今朝未明、母が亡くなりました。 もともと弱点のある体質の人ではありましたが、 身体をいたわりながらも私と二人で何度も旅行しており、一緒にいろんなお寺、お宮にお参りしたり、美味しいもの、楽しい事をたくさんしました。 私が実家を離れて一人暮らしをしていましたが、毎週欠かさず電話もして、一度電話すれば何時間も話し続ける仲のいい親子でした。 その母が、去年突然脳梗塞を患い緊急入院、ずっとコロナ禍でお見舞いもいけず、母も身体が思うように動かせなくなったため電話もままならず、それでも来年には退院できるかも?と言う話を聞いた後に亡くなりました。 冷静で博識で頭の良い母でしたが寂しがり屋で、家族に会えない、外出もできない入院生活はどんなに辛かったかと想像するだけで胸が苦しいです。 お揃いで買ったぬいぐるみを差し入れたり、病院のスタッフさんの手厚いサポートで通話したりして、ひょっとして調子戻り始めた?と思った矢先に…でした。 私にとってはこの世で唯一私を愛してくれる人が母で、また私がこの世で唯一愛する人も母でした。恋人など他に愛する人はいません。 私自身、結婚どころか愛する人ができる可能性もなく、 またロスジェネですが底辺世代なりに、なんとか世の中にしがみついてかじりついて生きてきましたが年金を含め自分の将来に希望を持っていません。 そこにきて唯一の愛も失ってしまって、これからどう生きたらいいのか見当もつかなくなりました。 私の残りの寿命を母にあげられたらよかったのに。 なんで生きてても何の希望もない私が生きて、優しい母が亡くならなくてはいけないのか、苦しくて悲しくて、どうしようもないです。

有り難し有り難し 21
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2022/12/05

大好きな父が急逝しました

先日、大好きな父が急逝しました。 最近孫が生まれ、とても喜んでおり、 それはそれは溺愛し たくさん可愛がってくれていました。 休暇にあわせて また数日後には会えるはずでした。 また孫を抱っこできるのを 楽しみにしていたはずです。 そんななか急逝してしまい 私自身、とても寂しくて まだまだ気持ちの整理もできておらず 毎日会いたい気持ちでいっぱいで 遺影やこれまでの写真を見ては ずっと泣いています。 ずっと泣いているのは 良くないと思いながらも、 涙が止まりません。 死を悲しみすぎるのは 良くないんですよね、でも悲しいです。 結婚式や孫の顔を見せられたことなど、 良かったねとも言われますが もっともっと一緒にやりたいことは たくさんありました。 そして、きっと父も自分の死に びっくりしているのではないか、 とっても残念に思っているのではないか と父の気持ちを考えると 涙が止まりません。 父ももっと生きたかったのではないか、 孫の成長をもっと近くで 見たかったのではないか、 そう考えてしまいます。 見守ってくれているとは 自分に言い聞かせても、 この場にお父さんがいたらいいのに、 と思ってしまいます。 周りからはお母さんを支えてあげてね、 とも言われますが 自分自身、正直そこまで 余裕がありません。 幼い娘の育児も ちゃんとしないといけないのに 気持ちが落ち込んでしまいます。 母親失格です。 この悲しい気持ちは いつか整理できる日がくるのでしょうか。 父は今何を思っているのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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2022/11/29

まともでないなら死んだ方が良いのでは

タイトルの通りです。 気分が落ち込んできて死にたくなってきたので、恐縮ながら書き込みに来ました。 内容もタイトル通りですが、様々な面から世間・社会的一般からみてまともでないので死んだ方が良いのではと思うのです。 楽しく過ごす友人らに何ら非はないのですが、私だけ忙しくて、楽しいなかに居られるないと密かに嫉妬することも醜い。 適応障害になり、躁鬱病になり、社会の枠から外れたのだって、私が半端で頑張ってやり遂げなかったからだと思うのです。 親には何一つ顔向けも出来ない程脛を齧りっぱなしで、それを病だからと我儘を垂れ流していることも醜い。 国で暮らす以上、同じ国に住む人が作った社会で生きるしかないのに、あれもこれも人並み以下で満足に務め上げられん自分のようなクズがどうしてのうのうと生きているんでしょうね。 明日も明後日も仕事があります。 仕事が止まれば会社に迷惑が掛かりますから、そうならないように取り敢えずやりくりしているだけです。 本当は手元にある薬を飲みほして死んだ方が、誰も彼も汚く醜い存在を認識する必要がなくなるのではと思うのです。 私という存在も肉体が死ねば死んだ心もようやく地獄に逝くんでしょうし。 まとまりがない文章で申し訳ないです。 死ぬ前に可哀想と言われてみたいだけなのかもしれないですね。 このような醜い畜生でも死んだらよくないのですか。

有り難し有り難し 11
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2022/11/28

母の余命宣告を受けて前に進めません。

1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。

有り難し有り難し 13
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2022/11/27

亡くなった祖母に会いたい

大好きだった祖母が90歳で亡くなりました。 祖母はわたしの家の近くに住んでいました。 幼き頃風邪をひいた時に預けられたり、学校が早く終わったら祖母の家に帰ったり、祖母の家に電話をかけたり、祖母の作った野菜をもらったり…成人してからも祖母の家に行き他愛もない話をしてコタツで祖父母とお昼寝をしたりしていました。 いつでも祖母に会える安心できる心地の良い場所、それが祖母の家でした。 祖母は数年前から認知症のような症状が出てしまい体調を崩していました。 祖母の家に行きおむつを交換したこともありました。 その後、症状が悪くなり病院に入院したときにはお見舞いに行きました。 さらにその後、祖母は病院から退院して施設に行きました。しかしコロナ禍でお見舞いに行けたのは数回でした。 施設に入所した時には認知症の症状も進み、元気だった頃のように話せなくなっていました。 でも生きてさえいてくれれば、またいつか元気になってあの頃のように笑い合える、話せるのではと思っていたのかもしれません。 しかし数日前祖母が亡くなってしまいました。今は葬儀を終えたところです。 施設から家に帰ってきた、亡くなった祖母を見て、あまりに穏やかな顔だったのでまだ眠っているだけなのではないかと思ってしまいました。 納棺で体を拭くときも、葬儀でお別れをいうときも祖母はまだここにいる、と思っていました。 しかし、火葬場で焼かれ骨だけになった祖母を見て、もう会えないんだと思いました。 この世界のどこに行っても、大好きだった祖母の家に行っても、祖母に会えないと思うと悲しくて涙が出てきてしまいます。 祖母の声、笑顔、全てが忘れられません。 わたしは、何かを後悔してるとか何かをしてあげればよかったとかそういう思いやりのあることを考えているのではなく、ただただ自分が寂しくて、わがままに、祖母に会いたいと願ってしまっています。 祖母にもう会えないというのが寂しくて、祖母の死を受け止められません。 どこに行けば祖母に会えますか。 祖母に会いたいという気持ちはどうしたらなくせますか。 何かお言葉をください。

有り難し有り難し 35
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2022/11/20

今すぐ安らかに死にたい

以前から「死にたい」と考えていましたが、年々その頻度が多くなっています。以前は「死にたい」と思っても「でも数カ月後はいいことがあるかも、1年後は変わっているだろう」と気持ちを切り替えていましたが、年を重ねるごとに「どうせこのままなんだ」と未来に期待することができなくなってきています。 今まで告白されたことがありません。 私から告白しても全て振られました。 両親のことは好きではありません。 女友達はいますが、年々一緒にいると辛くなり、今は最低限の付き合いしかしていません。 女友達といると「この子は彼氏がいる、旦那さんがいる、今はフリーでも過去に付き合っていた人がいる」と思うと、「愛してくれる人がいるなんて羨ましい。私は時々会うくらいには丁度いいけれど、彼女にしたい結婚したいと思ってもらえるほどではないんだろうな」と負の感情が出てきてしまうからです。 男友達とは食事や遊びに行くこともありますが(身体の関係はありません)、どんどん彼女ができたり結婚したりで会いづらくなってしまいました。 会いづらいことも寂しいですが、「一緒にいて楽しそうだったのに、私を選んでくれなかったな」という寂しさもあります。 仕事は頑張っています。認められているし、求められています。私の居場所になっています。でも、それは頑張っているからであり、ちょっと無理している私を愛してくださっているので結構疲れます。 友達として愛されている感覚、仕事仲間として愛されている感覚はありますが、「彼女として、奥さんとして」「永遠を見据えて」愛される経験がないことが悲しいです。 自分がそうした領域に入れない、欠陥品のように感じます。 やりたいこともなく(仕事も本当はやりたくない)、愛されることもなく、ただ仕事を頑張る人として生きていくことが辛いです。 だれかに自然体の私を愛してもらいたいです。「ありのままでいい」「そのままでいいよ」という言葉を耳にしますが、友達止まりになってしまうのは、このままの私だと受け入れてもらえないからだと思います。 でも自分を変えようと頑張ることももう疲れました。早く永遠の眠りにつきたいです。痛いのも怖いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂は起こしたことありません。なのでなんとか生きてます。安らかに死にたいです。

有り難し有り難し 3
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2022/11/19

母の死を乗り越えられない

母は認知症が若干入っていましたが、とても元気でした。 3月23日に玄関で転んだ時も、10日も我慢していて、実は膝のお皿の骨が割れていました。 それから、1ヶ月、母の足が良くなったら、ここに行こう、あそこに行こうと考えていました。 骨折の具合を診てもらう為にお医者さんに行く為にお風呂に入りたいと言うので、お風呂の準備をして、お風呂に向かった後ろ姿を最後に母は、お風呂で急逝していました。 お風呂が長い事にもっと早く自分が気付いていれば、助かったのではないかと自分を責めてしまいます。 僕は心の病で病気療養で10ヶ月以上、母と四六時中一緒でした。 でも病気のせいか、母との思い出が思い出せず、幼い頃の一緒の写真を見ても、若い頃の母の顔を覚えていなくて、こんな顔だったんだと思ってしまいます。 母は、僕の病気が治ること、職場に戻れること、そして結婚出来ないことを、生前とても心配していました。 母には苦労や心配をかけっぱなしで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 突然亡くなった母の死を受け入れられず、 今でも苦しんでいます。 母は私を許してくれるでしょうか? 母は幸せだったでしょうか? 母はあの世で幸せでしょうか? どうか、お助けください。

有り難し有り難し 10
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