夫の血液検査が再検査になりました。 年明けから体調不良があり、予定した検査は良くなった頃にありましたが、かなり数値が高い項目があり外部での検査を予定しています。 去年から色々と怪我や体調面であったので、尚更心配で不安になっています。 まだ結果が出たわけではないのですがもしもの事を考えてしまいます。 もし、病気が分かったら治療するしかない! なってしまったものは仕方ない! その先が大切! と、自分に言い聞かせてますが不安と心配で押しつぶされそうです。 私には冗談で「死ぬかも」と言いますが本人もきっと不安でいると思うのでできるだけ普通に振る舞っています。 心の持ち方をどのように持っていれば良いでしょうか。 誰にも話せずに不安でいっぱいで過ごしてます。
お世話になっております。 楽しいことがありません。 私は、祖父母から譲り受けた アパートを所有・管理しています。 その他障害年金も受給しています。 なので、金銭的には困って いません。 趣味は、電子ピアノを弾いたり、 絵や小説を作ったり… ですが、最近どれも楽しくない のです。 私には夢がありました。 障害者雇用かA型で働き、 アパートの経費を自分で稼ぐ という夢です。 しかし、私の体力や精神面の コンディションではそれは 無理だと先生から言われ、 そのぶん 「大家さんとしての業務を がんばるように」 と言われました。 私は普通の人とは普通に話す ことができ、 「発達障害なんて嘘みたい」 と言われます。私はそれに対し 毎回 「そうおっしゃっていただける ように努力しているので光栄です」 と返します。 ですが、すこしでも「うわっ」と 思う人と相対すると、強い ストレスを感じて、被害妄想を 抱いたり、時には「なんとしても こいつを排除しよう」と画策 してしまいます。 これが、私の社会的な部分の 困難性です。 障害者雇用やA型就労の職種の ほとんどは、パソコンを使った 事務です。 私自身、パソコン作業は苦では ないため、パソコンの資格を 懸命に勉強しました。 でも、その夢は破れました。 今は平日毎朝アパートの掃除や 点検をし、ゴミ置き場に防虫 すぷれーをかけ、確定申告を 自分でやり…というのが、 仕事らしいことです。 それ以外の時間は、退屈です。 人生楽しくありません。 早くお迎え来ないかな、と 思う時もあります。 お医者さんを責めないでください。 こういった話をすると、お医者 さんを責めるお坊さんが一定数 います。 人生が楽しくないせいで、最近 落ち着いていたはずの知的障害者 への攻撃欲求が高まっています。 どうしたら楽しくなりますか? また、「自分だけ恵まれていて いいのだろうか?」という 気持ちもあります。 楽しい事を強いて挙げるなら、 道端で人助けをしてる刹那 くらいです。 先日も応急処置をしたのですが、 あれはやりがいがありました。
その節はありがとうございました。 いつも教えて助けてくれた職場の先輩が急逝しました。 それは二十五年ほど前の冬の週末でした。 切なさが蘇るこの時期、立春を迎えるお店の売場に今年は梅お菓子がずらりと並んで心に飛び込んできます。 先金曜日の朝、お寺の境内に佇むその樹を通り、あらためて向かい合った時「待っていたよ」と心に届きました。「待っててくれたんだ」、涙が溢れました。 涙は喜びからなのか、哀しみなのか…喜んで良いのか、わかりません。 梅の樹は、私を待っていてくれた。私はこれからも、一緒にいてくれることを喜んでいい。一生、絆があるもので、出遇いなおしていけるから大丈夫。寝ても覚めても浮かんでくるときは、ずっと想っていればいい。悲しみに暮れて悩んだり苦しんだりしなくていい。 蕾がたくさん、日を重ねるごとに膨らんで…くっきりと晴れた水色の空に、枝ごと映えています。美しく凛々しい姿が勇気づけてくれるかのようです。 とても力強さを感じ、温かくかすかに微笑みながら見守ってくれている気もします。 その方と同じように、尊敬している上司が誰よりも早く来てノートパソコンに向かう姿を目にすると、梅の木の方と重なって「いつか突然、会えなくなるのでは」 「そうなってほしくない」と、まわりの体調などに敏感になってしまいます。 どうして突然、会えなくなってしまったのだろう 防げるなら防ぎたかった この想いは、一生続いて答えは出ないかもしれません 寂しさの癒える日も、完全に記憶がなくなることはない いつか、目の前にいる人も 急に会えなくなるかもしれない いつかは、いなくなる だから、大切に そして、また遇える みんな一緒に。 今を大切に。 今日も、生かされていることに感謝 先日、住職が朝のおつとめのあと 私の朗読をそのまま聞いていたい声だと 言葉をくださいました 喉仏から出る響きは、母の声に聴こえる時があります 梅の木は本堂の背中から、聞いてくれている そう想ってこれからも、共にお聴聞していきたいと願います 涙がとまりません 南無阿弥陀仏 合掌
お世話になります。 前回も質問させて頂きました。 その節はありがとうございました。 今年に人間ドックで検査したら、胆嚢というお腹の臓器にポリープと石が見つかりました。 去年から持病が増えてきたので、かなり食生活や運動、生活習慣を見直してきました。 お恥ずかしながら太っていたので痩せないという気持ちがありました。 その結果、去年から体重が15kg位減ってウエストも10cm位細くなりました。 中性脂肪もかなり下がりました。 このあたりは医師からも褒められました。 でも、今回ポリープと石が見つかってしまいました。 通院中で今度MRIを受ける予定です。 結果を見て改めて診察を受けて手術するかを決めるということになっています。 今回は医師からもあったのですが、ポリープも大きくて石があるので 手術の可能性が高そうです。 実際に手術してガンでなければ安心するので、診察次第で受けようとは思っています。 昔からあったんだろうなと思っています。 今回が初めてエコー検査したので、今まで気づかなかっただけだったのかなと。 これだけ生活習慣改善したのに病気が増えたから意味なかったのかなと落ち込んでいます。 いつも病気に悩むようになってしまった感じです。 検査と手術次第だからわからないんですが、どうすれば前向きになれるのでしょうか。 病気で悩んでいるのに疲れました。
父の死が怖い。上の子を妊娠中に父の癌が発覚。既にステージⅣと診断され、昨年秋に「抗がん剤等の治療はしない。来年の今は居ない。」と連絡がありました。先週に病態が急変し緩和病棟へ入院し日に日に弱っていく父を見ていると離れる事が耐え難くなってきました。 母は父にどんな状況なのか伝えないと医者に言ったみたいです。 10年程一緒に仕事が出来たこと誇りに思っています。第2子を昨年夏に出産しお宮参り、お食い初めと親子3代の思い出も少ないですが作れました。元気な内に身に付けていた物も譲ってもらえました。 旅行にも一緒に行きたかった…アレもしたいコレもしたいと後悔が出てきて止まりません。年子で妊娠しなければ旅行も少しは出来たのに…と思っても仕方のなことを考えてしまいます。 また父がしたい治療方針や希望を尊重すると本人にいってます。だからこそ、母が父に状況を伝えない事でやり残した事が出来てしまわないかと心残りです。 自分の死に様まできっちり考えて死に向かっている父を尊敬しています。1日が過ぎていくたびに心が耐えられそうにありません。父が居なくなった後の心のもちようはどうしたらいいでしょうか。
糖尿病による網膜剥離と白内障手術のため1/16に手術をしました。 地元の眼科でこれ以上の治療は市内では無理とのことで、隣県の茨城県の眼科をご紹介いただき、手術の運びとなりました。 超怖がり&不安がりの私はよく医療従事者から面倒臭がられるのですが…運のいいことに、有名な病院だというのに受付から検査をする視能訓練士の方々、看護師に医師まで、本当に優しくしてくださり、手術も無事に終わったのです。 終わったのですが…術後1週間あたりから徐々に見えるはずの目が見えません。 全身麻酔での手術だったため、4泊5日の入院をしました。入院中も毎日診察があり、術中出血が多かったこと、今も出血があるので安静になど説明はされました。術後見える景色も水の中を裸眼で見ているような状態に近いことも。 しかし、術後からモヤモヤとしたものしか見えず、水の中の景色など程遠かったのです。入院中ご相談しましたが、医師は大丈夫大丈夫。まだ経過観察とのこと。 19日の退院後、昨日今日あたりから少しボヤッとかざした手が見えるかな…程度…。 そして昨日、退院後初の診察がありました。 検査をした結果、手術の際に眼球内に注入したガス、そして水分、そして出血も認められるために見えないとのことでした。 ガスは想定内だが水分と出血は想定外で、血管を強くする薬が処方されました。 不安で不安で診察中も泣いてしまい(45です…)、先生も『まだ経過観察だから大丈夫だよ。大丈夫だよ。』と、話してくれました。 そうか、まだ見えるかどうか分かんないのか。と、自分に落とし込む一方、失明かもどうしようという不安が圧倒的に大きく、 これまで福島から茨城まで運転を何往復もしてくれていた弟や、お金の負担も、生活もなるだけ私の負担にならないよう気をつけてくれる主人、自分の親より心配してくれる義母や義姉、入院前からずっとこの病気を調べて励まして続けてくれる友人、腰椎椎間板ヘルニアも併発しており傷病手当期間中なのにも関わらず毎日ラインをくれる会社の事務の方、もし片目が失明しても解雇にしないが腰はどうなったかと心配してくれる社長、愛知にいい病院があると紹介してくれる会社のコンサルの方、 皆さんに有難さと申し訳なさでいっぱいです。 この不安とどうやって付き合うのか、失明したら、腰が治らなかったら、どうやって皆さんに恩返ししたらいいのかわかりません。
死ぬことが怖いです。今すぐ死ぬという訳では無いのですが、これから歳をとる事に死に向かっているんだなと実感してしまいます。 また、死ぬとはどういう事なのかと定期的に考えてしまいます。 寝ている時の記憶は無いですが、そんな感じが一生続く感じなのかなと思っています。それがなんだかとても怖いのです。死んだらそんな事も考えなくて良いのでしょうが、死んだらこの記憶や考えていることはどこに行くんだろうと思ってしまいます。 輪廻転生をして記憶を持ったまま、なんてあまり無いですもんね。 私は想像力豊か過ぎるのか、いらないことまで考えてしまいます。例えば身体は死んでいても記憶を持ったまま火葬されたりするのかな、とか。今考えても仕方ないですが、歳をとるにつれて死が怖くなってきました。どういう心づもりをしていたら良いでしょうか?
突然ですが、1月19日は伯母の命日です。(今日なのですが・・・) 「玄関で倒れている。息をしていない」 2017年1月19日の朝、デイサービスのヘルパーさんからの電話に、私は仰天しました。 伯母の家に駆け付けると、既に警察官らが到着しており、事件性がないか鑑識が調べていました。当然のことながら、第一発見者のヘルパーさんともども、私も職務質問を受けています。 伯母は、幸い、認知症にはならず、思考力は衰えていませんでした。一時期、銀行員だったこともあり、お金の計算・管理はきちんとしており、公正証書遺言も作成してありました。 そんな伯母でも「死に方」までは、選べなかったのですね。親族は茫然自失でしたが、本人もこんな最期は予想していなかったでしょう。検死を担当した医師は、死亡診断書に「多臓器不全」と書いていました。 翻って、私は、どんな最期を迎えるのでしょうか? 私は、体があまり丈夫でないので、突然死の可能性は、他の人より高いはずですが・・・。 もちろん、可能な範囲で出来ることはしています。ただ、こればっかりは、私自身も予測がつきません。 やれることはやっているのですから、あとは、定命に加えて「どんな最期(死に方)であるか」も、仏様に委ねるしかないのでしょうか?
先日大大大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。もともとアルツハイマーを患っていたんですが亡くなる3年前に施設に入ったくらいから特に症状が悪化し、亡くなる1年前くらいは私が誰か、自分が何者なのかもわからない状態でした。色々な思い出があって、たくさんの大切な人がいて、色々なことを考えて生きてきたはずなのに、旅立つときにそれを忘れてしまうなんてむごすぎます。 覚悟はできていたつもりですが、もう二度とあの大切な時間が戻らなくて、あの声が聞けないと思うと辛くて耐えられません。 生前はおしゃべりだったおばあちゃんですが、まだ私はおばあちゃんのお仏壇やお墓の前でたくさんお話をしたいです。その時おばあちゃんは私が誰だか分かってくれますか?そもそも私の声は届いてますか?
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。 朝や日中は基本的にポジティブに物事を考えられるのですが、夜布団に入り、ふとした瞬間に自分もいつか死に、消え去るということが頭をよぎり、恐怖で眠れなくなることがあります。 ・みんな通る道である。 ・まだまだ先のこと。歳を取れば怖く無くなる。 ・自分がいなくても世界は回る。 ・生まれる前と同じ状態になるだけ。 ・まだやりたいことがある証だ。 こういった理屈は自分でもわかっているものの、それでも唐突に発作のように恐怖がよぎってしまうのです。 逃避などではなく、向き合った上で克服したいです。アドバイス頂けますと幸いです。
私は今まで生きてきた中で一番の罪を犯してしまいました。 それは、ペットのインコを自分で殺めてしまったことです。本当に馬鹿なことをしました。 原因は、私がキッチンでお湯を沸かしていたのに目を離し、空焚きにしてしまったせいでテフロンの有毒ガスを発生させてしまったことです。 ワンルームなのでキッチンと居室が仕切られておらず、鳥には少しの量でも有毒なガスで、苦しめて殺してしまいました。 ケージの中で止まり木から落ちてしまったであろう姿を見て、息をしていない姿を見て、とんでもないことをしてしまったと悲しみと後悔でいっぱいです。今すぐにでも時が戻ればいいのにと願わずにいられません。 しかも、そのインコはまだ生まれて3ヶ月。家に迎えてから1週間と少ししか経っておらず、これから老いて年を取るまでたくさん思い出を作りたいと思っていました。 やっと新しい家に慣れてきたのに、とても可愛くて幸せにしたかったのに、、、本当に私は馬鹿です。 祟ってくれたら、夢に出て怒ってくれたらどれほどいいことか。でも死人に口なし。何も分からずに苦しんで死んでしまった小さな命へなんの償いようもありません。 せめてきちんと埋葬と供養をしてあげたく、専門の葬儀屋さんに依頼しましたが、私はこの事実にどう向き合えばいいのか、どうかお坊さんからお言葉をちょうだいできればと存じます。 感情がいっぱいいっぱいで、読みづらい文章でしたら申し訳ございません。 最後までお読みいただきありがとうございます。
父が去年の年末から風邪っぽいと言っているのに病院に行ってくれません。母と私はうつったので病院に行ったのですが、父は断固として病院に行こうとしません。父と口論になり私が仕事辞めれば病院に行ってあげると言われました。私は仕事を辞めるべきですか。このままだと肺炎になってしまいそうで怖いです。
何度かご相談させていただいておりました、主人のことです。 闘病していた主人が、昨年11月に亡くなりました。最期の最期まで一生懸命に生きてくれました。もっともっと生きていてほしかった。それが今の想いです。 亡くなってから二度ほど主人の夢を見ました。最初は姿が見えなくて、曇り空の中、一生懸命探して歩く夢でした。どこに行ってもいなくて、私は泣いていて、起きた時も泣いていました。主人は私と会いたくないのかな、もう会えないのかな、と悲しくなりました。 その数日後、また夢を見ました。家族みんなで自宅でワイワイといつも通りの雰囲気で、私が主人に抱き着いたら、抱きしめ返してくれて、頭をなでてくれました。よしよし、頑張ったな、という雰囲気がありました。顔もふっくらして、病気をする前の顔をしていました。その夢を見てから、もう病気も治ったんだ、よかったな、と、そして、主人はこの家にいて、今も私たちを見守ってくれていると、とても安心しました。 もうすぐ主人の四十九日です。最近あるお話で、人は亡くなって四十九日がたつと、この世での記憶が薄れていくと聞きました。成仏して空に行くにはこの世の記憶を消さなければならない、と。それは本当なのでしょうか?その話を聞いてから、なんだか、自分から主人が離れていく(引きはがされる)ように感じてしまい、より悲しみが増してきてしまいました。主人の夢を見た後だったので、よけいも辛く感じているのかもしれません。 用事を足しに出掛けるのも辛く感じるようになり、家から出ることが怖く感じるようになりました。 主人にはこれからも幸せであって欲しいと願っています。そのために私はどんな気持ちを持てばよいか、できることはなにか、教えていただけたらと思っています。
いつもお世話になっております。 先日、急きょ子宮がん検診を受けました。そこでお薬手帳を 提示したのですが、担当の先生から 「なんでこんなに薬飲んでるの?飲まなきゃいけないの?」 「依存性高い薬飲んでるなあ」 と言われました。 「依存も何も、発達障害は一生モノなので、一生薬を 飲まなければいけません」 と説明すると 「あなた発達障害にも見えないし、向精神薬飲んでる ようにも見えない。向精神薬飲むとぼーっとするから」 と返ってきました。さらに私は 「私の精神科の先生は、そういった副作用も考慮して 出してくださるんです」 とお伝えしました。 私は、発達障害のため向精神薬を服用しています。 これらの言葉はかかりつけの産婦人科や、飛び込みで 行った内科などで言われます。産婦人科の主治医の先生には 「薬w多いwwwおなかwいっぱいになりそうwww」 と笑われたこともあります。 それを精神科の先生に「傷ついた」と話したら 「他の科目の先生方のお気持ち、わからなくもない」 と言われました。 精神科の先生は元々神経内科医で、精神科の臨床の 現場に入って初めに驚いたことが、まさに、患者に 処方される薬の多さだったと言っていました。 ちなみに医療従事者の中には、私たち精神科の 患者を「ぷしこ」と呼んで悪口を言う人もいる そうです。 ちなみに精神科の先生はこう説明します。 「確かに僕たち精神科医の間でも、なるべく患者に出したく ない薬もある。ベンゾジアゼピン系やデパスなんかがそう。 理由はそれこそ、依存性が高くて耐性(効かなくなること)が つくことも多いから」 私は、お医者さんを尊敬しています。こんな事で尊敬できなく なりたくありません。気にしないようになりたいです。 ……実を言うと、昔ここハスノハで、精神科通院中の相談者に 「精神科には行くな!薬物中毒にされる!」 などと宣う僧侶がいました。医学全般に陰謀論的なアンチテーゼを 唱える僧侶も。 こういう質問をすると、そういった怖いお坊さんが寄って こないか心配です。
相談失礼します。 数ヶ月前に、母親が病気で亡くなりました。亡くなるには早すぎる年齢だと思います。 母親は、なくなる数日前から、入院していました。 私は、一人暮らしなので、その頃の母親の様子について知りませんでした。入院したことは聞いていましたが、他の親族から「母親は検査入院した。心配しなくていい!」と言われていました。 また、その親族は、母親に「あとで〇〇(私)も来るよ」と言ったらしいです。先ほど書いたように、私は「検査入院」と聞かされていて、お見舞いの話なんて話題に上がっていませんでした。 この嘘をついたことについて、親族は「〇〇(私)に心配をかけたくなかった」だの「〇〇が来ると伝えて、母親を励ましたかった」だの言っています。 しかし、母親からしたら「来ると言っていた娘が来ない」状態のまま、死んでしまったわけです。それって、すごくひどいことだと思います。母親は、私に絶望して死んだんじゃないかと思っています。 ずっとこのことを考えてしんどいです。嘘をついた親族や、亡くなった母親のこと、どう考えたらいいんですか。
12月31日に愛犬が亡くなりました。 死因は分かりませんが、私のせいかも知れません。 認知症の愛犬が夜鳴きしたので一緒に寝たら落ち着くかもしれないと思って布団に入れました。頭も出さずに、全身を布団で包んでしまいました。 起きたら舌が真っ青になって呼吸が止まっていました。 病院に急ぐも手遅れでした。 口の周りはよだれまみれで、暑すぎたかもしれません。 もしくは窒息させたかもしれません。 布団が暑くてハアハアいうのは以前もしていたことなのに。その日はすぐ布団から出して犬用ベッドで寝かせましたが、亡くなった日は私が寝入ってしまい気づきませんでした。 寝たきりの老犬で自分で布団から出ることもできないのに布団を被せてしまいました。 前日は元気でご飯も水もいつも通り、 支えたら歩ける状態でした。 最後に夜鳴きした時も支え歩きしていましたし、まだ生きられる子を死なせてしまったかもしれません。 愛犬はいつも夜鳴きしながらバタバタ足を動かすのですが、亡くなった日も布団の中でも鳴きながらバタバタしてました。 それをいつものことと軽んじてそのまま寝てしまったのです。落ち着いたら犬も寝るだろうと。 苦しさを訴えていたかもしれないのに。 また、布団も犬が動いたら簡単に出られる感じでかかっていたのではなく、包むような形でした。 自分で動ける犬ならなんでもないことでしょうが、寝たきりの子には致命的だったと思います。せめて顔を出していたら、布団を軽くかけるだけだったら、今も一緒にいられたかもしれないのに。 本当に直前までいつも通りだったし、私が起きた時すでに犬は息をしていなかったけど、体温はいつもより高いように感じたのでどうしても原因が自分にあるように感じます。 持病は色々ありましたがすぐに命に関わるようなものもありませんでした。 亡くなったことそのものより原因が自分にあるかもしれないこと、苦しませたかもしれないことが辛いです。 愛犬を死に追いやったという後悔を抱えて生きていくべきなのでしょうか。周りの人は皆飼い主のそばで死んだのだからいい最期だった、幸せだった、その日が死ぬ運命だった寿命だったと言うのですが、私がそう思うことは現実から目を背けている、愛犬を苦しめて死なせたかもしれない当事者が良いように捉えてはいけないと感じます。私はこの出来事をどう受け止めて生きていけばいいのでしょうか?
10月に祖父が亡くなったのがきっかけなのか分かりませんが、家族の死が今までにないくらいに恐ろしく思うようになりました。 特に寝室が同じである母は、先に寝ていると寝息を確認してからでないと落ち着かない、不安になってしまいます。別件で心療内科から処方された睡眠薬で無理やり寝る時もあります。 時間が経てば落ち着くようになれるのでしょうか。寝ている母が隣にいる今も息苦しくてどうしようもないです。少しでも気が楽になるにはどうしたらいいのでしょうか。
96歳の祖母のことでご相談させてください。 祖母は今年の夏頃までは会話もでき、歩くこともできていましたが、施設入所をきっかけに体調と認知状態が急激に悪化し、現在は入院中で、長くないのではと感じています。 今、私の心を一番苦しめているのは、もっと何かしてあげられたのではないか、あの時こうしていれば違ったのではないか、という後悔の気持ちです。 会いに行ったり、感謝の気持ちは伝えてきたつもりですが、それでも、もっとそばにいればよかった、施設に入れずに別の選択はなかったのか、元気なうちに、もっと一緒に過ごせたのでは、という思いが次々に浮かんできて、心が休まりません。 祖母がこの世を離れる時を前にして、この「してあげられなかった」という思いを、私はどのように受け止め、どのように手放していけばよいのでしょうか。 仏教の教えの中で、 後悔や執着の気持ちとどう向き合えばよいのか、祖母への思いをどのように心の中で大切にしていけばよいのか、お言葉をいただけましたら幸いです。
この2年間で、両親を相次いで亡くしました 遠方に住んでいることもありますし、近年はコロナ禍であったことも手伝い、年老いた両親を放っておいた結果、日常生活がままならなくなり、母親が倒れました そのタイミングで父親も老人介護施設に入所させ、結果2人から無理やり棲家を奪うことになりました その後、母が亡くなり、父親もその1年後に亡くなりました 父の最後の半年間は私も仕事と子育てでへとへとだったこともあり、あまり会いにも行かず、寂しい思いをさせました そして、父を一人で逝かせてしまいました 葬儀等も全て、実兄のお嫁さんが手配しその後の相続なども義理の姉が片付けてくれました 私は何もせず、親を看取ることもせず、幾ばくかの財産をもらいました あまりの無責任さに、我ながら反吐が出そうです 二人の写真を見ることもできません ただ、申し訳ないという気持ちと両親が深く傷ついたであろうと思うと、怖くて二人の顔を見るのが怖いです この状態から抜け出したい、でも許されることではない気もするし、わたしは罰せられるべきなのではなど、自分でもそれは違うだろうという感情に振り回されてしまっています いつか心が穏やかになる日は来るのでしょうか
先週、体調不良で受診した妻の身体にがんのようなものが見つかりました。確定診断は出ていませんがクリニックの先生の見立てではおそらくそうだろうと。 本人は内心はともかくいつもと変わらず気丈に振る舞っています。一緒にごはん食べたりテレビを見て話したり飼っている犬たちを可愛がったり。 一方で妻は医療従事者であることもあり、あまり思わしくないと感じているようでこの先のことを考えているようです。 なのに私は突然のことにひどく動揺しています。 妻が話す万が一のことがあったときの希望をできるだけ冷静に聞いてみたり、妻の心境を思ってみたり、自分がしてあげられることはないかと考えてみたりもするのですが、一番に頭を占めてしまったのはもし彼女を失ったらこの先どうやって生きていけばいいのだろうか?という恐怖と不安でした。 不安で苦しくて夜中に目が覚めたり不意に涙がこぼれたり。 私より辛いのは妻のほうなのに。きっと孤独も不安も恐怖も私よりずっと強く感じてもいるはずなのに。自分の不安と恐怖でいっぱいになってしまう自分の弱さと醜さが嫌になります。 ずっと一緒にいられるものだと思っていました。もしそれが叶わないとはっきりしてしまったら。恐怖と不安とでいっぱいです。 恐怖や不安を乗り越えて妻にいつもの毎日を届けたい。 できる限りいつも通りに振る舞って話したり笑ったりしていますが、でもやはり苦しいです。 怖くて悲しくて誰でもいいから話を聞いてほしいと思ってしまいます。 心を持ち直す方法はあるでしょうか?