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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

2025/10/06回答受付中

自分の大切な人が死んでしまうのが怖い

15歳の学生です、思春期真っ只中な年齢ですが家族がだいすきです。 その中でも特にお母さんがだいすきで所謂友達親子ってやつだと思います、お母さんにならなんでも話せるし私が愚痴を言ったりお母さんの愚痴を聞いたりします。 元々不登校なので一緒にいる時間が学校に行ってる子よりも多いのでそれが原因だと思います、とにかくお母さんが大好きなんですここではお母さんと呼んでいますが本当は未だにママと呼んでいるくらいです。 本題に入りますが自分の大切な人が死んでしまうのがすごく怖いです、人間はいつか死んでしまうし私より両親や祖父母が先に死ぬのも当たり前だと理解しています理解はしているんです、それでも怖いです死んだら話せないし声も聞けない一緒にご飯を食べれなくなるしもう二度と会えないそれがこの世の何よりも怖いです。 お父さんは仕事の都合で別居していますが中は良好で会いに行った時は抱きつくし私から誘って2人でご飯も食べに行きます、私は家族が大好きだし家族も私が大好きですこれは自信を持って言えますだからこそふとした瞬間に両親や兄弟、祖父母が死んでしまったらと考えるとどうしようもない恐怖を感じます今この文書を書いている時も酷く悲しく泣いてしまいそうです。 正直に言ってしまえば祖父母やお父さんが死んでしまってもどん底に落ちてずっと立ち直れないけどどうにか生きて行けると思います、でもお母さんが死んだら生きていけないです後を追って私も死んでしまいたいです。 私は15歳だけどお母さんはもう40代後半ですきっと私がまだ若い内に亡くなってしまいますよね?そう考えると歳を取りたくないですずっと一緒にいたい何なら一緒に死んでしまいたい、でもそんなの無理だって分かってますだから大切な人が亡くなったあともちゃんと生きていける方法を教えて下さい

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2025/09/20

発作が起きるとお迎えを願ってしまう

病気になった事で孤独感が増しています。 元々、両親から無関心で育ち、自分が子育てをするとき自分と同じ思いをさせたくない気持ちで息子を育てましたが、息子から恨まれて距離を取られています。 狭心症になった事を母や息子に知らせましたが、病気になったことより、母は私が死んだ後のペットのことを心配していました。 息子は「あ、そうなんだ。」で終わりでした。 少しは労る言葉が欲しかったです。 考えてみると、小さな頃から愛情が欲しい人生でした。 絶対的な愛情は得られないまま、人生の終わりを迎えるんだなと諦めています。 薬の調整が上手くいかず小さな発作をよく起こします。 続くと心筋梗塞や心不全を起こすようですが、しんどい思いをしてまで、入院したり、薬の調整をしたりするのが面倒で、今の薬のままで過ごしています。 狭心症で仕事も失い、今、A型事業所で職業訓練を受けながら新しい生活を始めました。 淡々と生活をすることは出来ますが、正直、死んでも構わないと思っています。 夜中に発作が起きて死ねたらいいな、今日が最後になるかもな、と毎晩、目を閉じる時に思います。 朝、目が覚めると、生きているな、と思います。 誰も私が生きることを望んでいないので、生きる理由もなく、もう面倒になりました。

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2025/09/11

母の死を乗り越えられる自信がありません

最愛の母を1週間前に突然の病気で亡くしました。 どうしても現実に思えなくて毎日母の姿を探してしまいます。 昔から母には心配ばかりかけ、結婚してからも甘えて愚痴ばかりこぼしていました。 その度に母は、それは困ったねー。と優しく笑いながら私の気持ちに寄り添ってくれ頭を撫でてくれました。 母が生きていてくれたから今までやってこれたと言ってもいいくらい母が頼りで大好きでした。 子供達の前では泣かないようにしていますが、1人になると泣いてばかりいます。 母が亡くなって日が浅いので、まだ乗り越えられなくて当然だと言う人もいますが、何年経ったとしても乗り越えられる自信が私には全くありません。 実家で一人暮らしになってしまった父も同じように母の死を受け入れられないでいます。 母が倒れてから亡くなるまでの半月程の間に1日だけ母としっかり会話をすることができた日があります。 その時の会話の中で忘れられないものがあるのですが、それは母が眠っている間、閻魔大王が出てきてお前は死んだら地獄に行けと言われ、怖い怖いって言っていたと言うのです。 その時は、もう大丈夫だから安心してね。と伝えたのですが、本当に出てきたんだ。と言う母の顔が忘れられません。 私の宗派では、亡くなるとすぐに極楽浄土に導いていただけると聞きました。 その教えの通り、母は今極楽浄土で安らかでなんの苦しみもないと信じていいのでしょうか? 先に逝った祖父母が迎えにきてくれて、安心して導かれたんでしょうか? 亡くなる1週間前くらいからは毎日病院に通い、身体をさすり、ありがとうと大好きを言い続けた私の声は母に届いていたのでしょうか? もちろん今も母には、ありがとうと大好きを伝えています。 どこかで聞きながら見守ってくれてますか? 私が天寿を全うしたらまた母に会えますか? でも本当は今すぐにでも母に会って声が聞きたいです。

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2025/09/03

死んだことを受け入れるとは

先日、母が病期の為に亡くなりました。 入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。 よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。 自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。 先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。 しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。 これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。

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2025/08/28

亡き親友に会いたくて仕方がない

お坊様方には毎回相談と言いますか話を聞いて頂き感謝しております あれから親友が亡くなって3カ月以上経ちました 心の傷は癒えませんが時の流れは早いなと感じております 親友の家を通る度に未だに親友が生前乗っていた車が残されており 携帯に電話すると親友が2階から何時ものように私の名前を呼んでくれて 手を振ってくれたりすれば良いのになと思って家の前を通り過ぎます また家の前を通る度にずっと辛い治療をしてきたからゆっくり休めよと言ったり 俺は○○と出会えて幸せだったから本当に有難うと言ってます 緩和ケアでは3日間面会出来てもまともに話せたのは1日だけでした 親友には生前緩和ケアでの面会で姿が見えなくなっても 俺の心の中では生き続けてるから永遠に死ぬことは無いよと言っておりますが やっぱり声が聴けなかったり顔が見れないと寂しいものです 就寝時には音楽の曲で夢で逢えたらを思い出して 貴方に会えるまで眠り続けたいと思いながらも夢に1回も出て来てくれません きっと親友が夢の中に出てきたら俺も一緒に連れて行ってくれと言うからかなと 就寝時や家の前を通る度に親友には感謝の言葉を 心の中で沢山言っておりますがお坊様方は親友に対して 私の気持ちが届いていると思いますか? 親友のお墓の場所は知りませんし親友の親には 私自身良く思われていなくて交流が一切ないので

有り難し有り難し 33
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2025/08/25

親の死で気持ちが整いません

お世話になります  どうぞ宜しくお願い申し上げます  先月最愛の母が亡くなりました 施設内コロナ感染に伴う誤嚥性肺炎による急死でした  感染前は全く元気でした 施設内感染者が出ても「お母様は大丈夫です お元気ですから」言われた矢先の事でした そんな元気な母でしたのでまだまだ何年も長生きしてくれると信じておりました  突然の別れに日がたつにつれて寂しさと同時に施設に対して強い不信感と怒りを感じるようになりました 施設内感染対策の不充分さと同時に重篤になった高齢の母を施設内で時間を経過させてしまっていたこと等  今まで一生懸命生きてきた母がこの様に最期苦しんで亡くなってしまったことを思うと残念でなりません この様な最期だけは避けたかったと 何故もっと早く病院に連れて行ってくれなかったか、そもそも感染がさえしなければこんな事にならなかったのに、まだまだ長生してもらえたのに等・・ 考えても戻らない母の事を考えてしまいます 退所時の施設の説明は淡々と経過を語るのみで誠意が少しも感じられなかった事が一層悔しさを増している要因になっています (施設には責任の一旦はあると思います) 今はその様な施設を選んだ自分自身も悔やまれています  人を恨んでも仕方ないとは思うのですが、自分の心の整理がつかずに悲しみより恨みの様な感情が強く我ながら情けなく思います  自分自身を治める術が見つからず混乱しています どうぞご意見ご教授頂ければ幸いでございます 長文お付き合い頂きありがとうございました  宜しくお願い申し上げます

有り難し有り難し 48
回答数回答 3
2025/08/14

「死」とは何か、納棺体験の意義はあるか。

人生の折り返し点を迎えました。 昨年、全身麻酔で外科手術を受けました。定型的で難しくない術式なので、医師に任せておけばいいとは思ったのですが、医療に完璧はありません。迎えた手術日当日、急に穏やかではない気持ちになりました。朝の空が昨日まで綺麗な朝だったのに黒い雲で暗く、カラスが鳴き、談話室に行けばちょうど亡くなられた方がいたのか、葬儀の打ち合わせ、生前整理のパンフレット…。 そういったネガティブ要素が重なるに重なりました。 もっとも手術自体は無事終わり、今は元気に日々を暮らしておりますが、思えば人生の折り返し点です。ここにきて何か「死」に対してこと考えるようになりました。全身麻酔も言ってみれば安全に手術を行うために人間を限りなく「死」に近づける医療、目が覚めた時、手を動かした時、生きてるとも感じました。 まだまだ、これからやることはたくさんあります。 生きたいと思います。 日々、生きるためにどうやって今回あったようなネガティブな要素を消していけばいいのか、悩んでいます。結構クヨクヨする性格ではあります。 と、そういう話を繰り返すうちに「納棺体験」というところに当たりました。何かこの先、自身が生きるための一つのアプローチにはなるかなとは思ったのですが…これってどうなのかなとも思いました。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1
2025/07/17

病気との向き合い方

双極性障害、不安障害、睡眠障害、トラウマや解離など、複数の精神疾患・症状を抱えています。 毎日のように希死念慮を感じます。 何度も自死を図りましたが失敗に終わりました。 それは、自分の中でセーブかかかっている為だと思われます。 それは、多くの人に言われた「死なないで」という言葉、そして本能的な死への恐怖だと思います。 そしてたまに、死にたくない!と強く不安になるのです。 私の身体は、酷い自傷行為を繰り返したせいで外も中もボロボロで、恐らく短命でしょう。 しかし夢があります。 漫画家になって、作品を通して誰かの生き甲斐になることです。 私も創作物に沢山生きがいを貰っているからです。 担当編集も、私に連載作家になることを期待してくれています。 今は死ぬのが怖いです。 でも朝は死にたかった。 そして数時間後にはまた「しにたい」に戻ってしまっているかもしれません…悲しいことに、「しにたい」方がここ数年の私の日常です。 本当は生きたいです。希死念慮なんか持って生きたくないです。 でも、病気が良くなったらなったで、こんな自分でボロボロにした身体を受け入れられるとは思えません。きっと傷跡が目に入る度に苦しむでしょう。 私は今からでも取り返しがつくんでしょうか……立ち直れるんでしょうか。 何年も治らないどころか悪化していく病気にどう立ち向かえばいいのか、寛解できたとて、病気の頃の自分の行いをどう受け入れればいいのか。 わからなくて不安です。 ご教示ください。

有り難し有り難し 22
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2025/07/14

母の看病することがバカらしくなった

長文失礼します。 母が他人に私のことを話す度に、悪口を言っているようにしか見えません。 もともと同居していたときから、私のやる家事にも愚痴ばかり言われていたので、敢えて放棄していたことも多々ありました。(基本的な家事はしていた) 『あんたといたら鬱になる!病気になりそう!』など何度も言われ続けてましたが、これに関しては返答せず無視していました。 機嫌が良ければウザいぐらいに話かけて来るような日もありました。 最近大病を患い、入院生活を送っています。 しかしその病院のスタッフさんから、『あなた今までお母さんに甘え過ぎだったのよ。 夜勤明けも寝てばっかりだったんでしょ? お母さん退院したら、甘えたらだめよ。』など言われました。 ものすごく恥ずかしく、悲しくなりました。 人員不足で夜勤は多かったし、子供たちの世話も夫と実母に頼み、夜勤明けは寝てることもありましたが、出来る限りの家事はやっていました。 家事もしないで部屋にこもって寝てると勘違いされた気分で、イヤになりました。 弟(独身:遠方にいる)には、母のお金をアテに生活していると思われていたようです。 母の通帳なんて今まで見たことないし、入院してから初めて通帳管理してることを説明したら誤解が解けたようです。 母の入院中の世話はほぼ私一人で担っています。一応夫も手伝ってくれています。 病院が遠く、仕事休んで面会や先生の説明を聞きに行かないと夕方に間に合わないため、どうしても疲れるし給料も減ります。 最近、弟が母の面会に来ました。 何を話したかは分かりませんが、話ははずんだろうし母も喜んでました。 しかし弟が帰ったあとの私へのLINEで、『ちゃんとお母さんに寄り添ってやって、退院したら家事も任せたらダメだよ。叱ったりしないように。姉さん看護師だからわかるよね』というような内容でした。 遠くに住んでて何も出来ない弟に、なんでこんな上から目線のようなことを言われないといけないのだろう…と本当に悲しくなりました。弟なりに心配してるんだと思いますが。 母と一体私の何を話してたんだろう?とまで疑ってしまいました。 もう母の面倒はみたくないし、退院しないでほしいと考えてしまいました。 これからどういう気持ちで母の面倒をみたらいいかわからなくなりました…

有り難し有り難し 41
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2025/07/14

友達が死んでしまったかもしれません

SNSで5年以上付き合いのある同性の友人がいます。 何度か会って楽しく遊んだこともありますし、お互いの家に行ったこともあります。彼女が遠い県に引っ越してからも、リプライなどはたまに送り合う仲です。 そんな彼女ですが、ずっと精神的に不安定で、数年前からたまに命を絶とうとしてしまいます。 最期の挨拶めいたものを投稿することは何度かありましたし、実際に行動に移して緊急搬送されたりもしているので、狂言ではないようです。 友人としてやりきれない気持ちにはなるものの、彼女が今どこに住んでいるのかも分かりませんし、分かったとして家に押しかけてまで何かできることもないだろうなと思います。理由も分からないので……。 わたし自身もメンタルが強いとは言いがたく、職場での人間関係が原因でメンタルのバランスを崩し、休職したりもするような人間です。正直に言うと、自分の精神状態を守りたいという思いが強いです。 そして最近、彼女の未遂の頻度が増えてきました。 SNSなのでタイムラインには彼女の投稿が自動的に流れてきますし、非表示設定にするのも少し気が引けます。 彼女の投稿を見るたびに「よかった、まだ生きてた」「今度こそこれで最期かもしれない」と肝をすり減らすのが辛いです。 先日も仄めかす投稿をしており、それ以来まだなにも投稿されていません。 見殺しにしたとまではさすがに思いませんが、不安な気持ちになっています。 自分でも冷たい人間だなと思いますが、別に何ができるわけでもないし、してあげようともあまり思えていないので、完全に自分の気の持ちようの問題かなと思っています。 できれば彼女の言動に左右されず、気持ちを上手く切りかえて淡々と過ごしていきたいです。そのためのコツや考え方があれば、教えていただきたいです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1
2025/07/07

死んでしまいました…

父が、死んでしまいました。 あんなに元気だったのに、検査もしていたのに、病気が判明してからは、わずか2か月ちょっと。驚くほどあっという間でした。 こうなることが怖かったから、話をしようと言ってきました。でも、その言葉を正面から受け止めてくれることはありませんでした。 父は本当にすごい人ではありました。地域のボランティアもたくさんしてきました。父が始めたプロジェクトは今もたくさん残り、地域の絆も生まれました。こんなに地域の人がたくさん集まったご葬儀は初めてですと、葬儀場の方に驚かれました。お父さんには本当にお世話になったと、見知らぬ人から何度も声をかけられました。 父にあてた相談の電話を、子供の頃から何度も取り次ぎました。呆れるくらい、ずっと話を聞いてあげていました。 辛いとか苦しいとか、そういう愚痴めいた言葉はとうとう最後まで一度も聞いたことがありませんでした。もうかなり痛みがあると思いますと、お医者様にも何度も言われました。亡くなる直前まで、毎朝ぴしっと背筋を伸ばして起きてきて、自分で身支度をして、おはようと言って起きてきました。 体力を振り絞って、最後に庭にでた日にしたことは、花を植えることでした。この花が、春になるときれいに咲くよと笑っていたそうです。父が亡くなってから、きれいに咲き揃いました。 皆がもっとのびのびと仕事ができるようにと、父が改革をしたときは、現場からは大歓迎の声が上がりましたが、前任者の方には激しく罵倒されたそうです。周囲もかなりはらはらしたそうですが、父は最後まで見事なほど穏やかに対応したそうです。大丈夫だったの?と母が声を掛けたら、「俺はこんなことではくじけんよ」と、そう言って笑ったそうです。 昔、私が学校に行けなくなったことがありました。毎日の生活を何一つ変えない父でしたが、家に閉じこもる私を、黙って職場に連れて行ってくれました。仕事を黙々と手伝い、父の行きつけのお店でお昼を食べ、午後もまた仕事をして帰る、そんな毎日でした。特に何かを話したわけではないですが、あの時間だけは、ずっと感謝しています。 おれはじっとしていられる性格じゃないから、向こうでも、また何か新しいことを始めるよと、最後はそう言って旅立ちました。 もっともっと話がしたかったの。 そう……わたしはただ、あなたともっと話がしたかった。 なぜ、もういないのですか?

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2025/06/15

道標をご教授願いたいです。

話せる場という事で、最近から変化が起き始めている現状をお話してみようと思います。 僕と母は精神疾患を抱えながら支え合う生活を長く過ごして来ました。お互いを支え合う事だけで精一杯で、疾患から来る身体的な不自由もあり、仕事に就ける体力はありません。 母とふたりで暮らし、家事ぐらいしかやる事がない。コロナがやって来ました。ただでさえ空虚な生活です。外出の自由も許されない。気持ちのやり場がなく、何となく安い画材を購入し始めました。 いざ始めてみると、そこには自由がありました。優劣もなく、競争もなく、せいぜい見る方の好みぐらいしかありません。綺麗な色が好きでした。 コロナも明け行動は自由になりました。描く事にも飽き始め、次第に描かなくなりました。 最近になって、たまたまタイムセールで安いキャンバスを購入しました。購買意欲だけです。5枚セット分だけと決め、絵は最後にしようと思いました。 どうせ最後なら、最後にやり残した事をしよう。根拠のある作品を描く事にしました。自身が統合失調症である事を前提にした創作です。 僕は初めて世間に統合失調症である事をカミングアウトしました。どうせどこの誰とも知れないのです。現実的には何の支障もありません。ただそれでも反応はありませんでした。むしろ見る方は更に減りました。僕は憤りを覚えました。精神疾患であるという差別や偏見から、近しい親戚にも非難を浴び続けている今が重なりました。 思いの丈を書き殴った投稿だけを残し、活動を終えました。それきりです。しかしその投稿に人が殺到しました。非難する声ではありません。共感と応援でした。 同じ病を抱えている。違う精神疾患を抱えながらどこにも居場所がない。私はあなたを差別しない。 その投稿を数万人が目にしました。人生の果てにいる様な場所から、世界は広がりました。 この投稿をきっかけに作品自体を目にする方も増え、作品を購入したいというお話も数件出ました。当時は爆発的な反応でしたが、今では人気だけではない安定的な方々に恵まれています。 僕はこの現状は、精神疾患に対する理解の向上に繋がると考えています。陰で同じ様な苦悩を抱える方々の夢や希望になれる。医師は疾患以外興味がありません。また見捨てられる彼らの絶望を知っています。僕の作品は次第に僕だけの作品ではなくなる。今後金銭的な苦悩もあるでしょう。画業は険しい道です。

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