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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

2023/04/23

どう向き合えばいいですか?

2年半前に離婚した元夫が、昨年の夏、自死しました。 嫌いでとか、憎み合っての離婚ではありませんでした。 元夫の死後、とにかく何もする気が起きず、仕事以外は家に閉じこもることが多くなりました。もともと苦手な家事もあまりしなくなってしまいました。 何を楽しいと感じていたのかも思い出せず、長い間笑った記憶もありません。 一人娘には、両親が離婚するという辛さだけでなく、父親が自死するという耐え難い痛みを経験させてしまいました。 それでも少しずつ前を向いて歩こうとしている娘の姿に少し安堵しながらも、私自身は全く立ち直れずにいます。 元夫が亡くなる数ヵ月前から、仕事が原因でうつ状態になり、精神科に通院しています。診察やカウンセリングでは、仕事のことだけでなく、元夫のこともいつも聞いてもらっています。 それでも一向に気持ちが回復してきません。 元夫の自死のことを考えない日はありません。離婚を踏みとどまればよかったのか?と言う自責の気持ちや、私と出会って結婚しなければよかったのか?と言う後悔にずっととらわれてしまっています。 元夫の自死とどのように向き合えばいいのでしょうか。 毎日苦しいです。辛いです。いくら悔やんでも、元夫は帰って来られないのは分かっています。それでも考えてしまいます。私に何かできなかったのか?私のせいなのか? このままでも、いつか時間が経てばこの苦しさや痛みが和らぐのでしょうか? これからの半生、元夫の自死とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 楽しいと思える、幸せだと思える人生を望んでもいいのでしょうか?

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2023/04/19

祖母は幸せなのか

こんにちは。 今回は母方の祖母(母方の祖母。私が小2のときに、90歳で死去。パーキンソン病と認知症で自宅介護だった)について、相談というか質問になります。 前回ご相談させていただいた通り、今は両親から消息を断ち、生活しています。 平和な日々ですが、生前の祖母の姿がずっと心に引っかかっています。 祖母は、私が物心ついたころから、パーキンソンを患っており、身体が震えたり、また幻覚幻聴が聞こえていたようでした。 そんな中でも、私が両親に虐待されていたりすると必死に止めてくれたり、話してくれたり優しい祖母でした。 ただ、私の母(祖母からみたら娘)は、そんな祖母に毎日殴るなど暴力をふるい、家の外まで響き渡る声で毎日毎日、本当に、朝晩問わず怒鳴りつけてました。 私も幼いながらハッキリ覚えていて、恐怖でした。なんで施設に預けず、わざわざ自宅においておき、暴力を振るうのか、幼稚園児の私ですら本当に理解ができず、その光景はトラウマです。 祖父は、私が生まれた頃にはアルコール依存症でのなんらかの心疾患?で他界していて、会ったことはありません。 ただ、昔母から聞いた話によると、祖父も祖母にずっとDVしていたようです。 今思い返しても、あんまりじゃないですか。。夫には暴力を振るわれ、お金もアルコールに溶かされ、年老いてから自分の娘にも毎日暴力を振るわれ、怒鳴られ。。 祖母にもし悪い部分があったとしても、そんなことをするのは許されなかったはずと、悲しくなってしまいます。 私は祖母が生前好きで、祖母が亡くなる日には何故か小学校で発熱し帰ってきたり、お盆になると夢にでてきたり、色々なことがありました。 両親は大嫌いだったけど、祖母の骨があるお墓にいき手をあわせることが、心までポカポカして、大好きでした。 今は身を隠してるのでしばらく手を合わせにお墓にいくこともできませんが…。 私がいま、気になることは、祖母はそんなに辛い状況の中亡くなり、ちゃんと今は幸せなのか、です。 ちなみに祖母が何宗だったか等わかりません…ただ、某新興宗教のお経?みたいなものを毎朝唱えていた姿は知っています。。 ずっと心の中でのひっかかりで、質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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2023/04/18

両親がもういないのが苦しいです

よろしくお願いいたします。 私は半年の間に両親を亡くしました。 母は認知症の症状が酷く、週3回必ずしなければならない通院も困難になり病院に入院し、入院から半年後に亡くなりました。 臨終の際に駆けつけることができず、ひとりで逝かせてしまいました。 父は、母の死から半年後に末期がんで亡くなりました。 母のことがあったので、入院はせずに同居をしたのですが、同居後間もなく症状が急激に悪化し、同居開始からわずか3ヶ月で亡くなってしまいました。 母の死去も悲しかったのですが、私は昔から父が大好きだったためか、父の死を受け入れられず、時たま父や母とのメールを見返したりして思い出しては泣いてしまいます。 父は病気が原因で声を発することができなかったので、もっと伝えたいことややりたい事があったのでは…と、後悔ばかりしています。 もっと一緒にご飯を食べたり私の子ども達と過ごしてほしかった、もっと早く一緒に住めばよかった、父は幸せだったのだろうかと考えては涙しています。 母も、入院することを嫌がっていたのにその時は他にどうすることもできず入院させてしまったこと、最後に会った時に言われた「一緒に帰ろう」という言葉が頭から離れません。 最後駆けつける事もできず、お母さんごめんなさい、とずっと思っています。 時が経てば癒えてくるのでしょうが、今が辛くて… もう「お父さん」「お母さん」と呼んでも返事をもらえない、もう会えないということがこれ程辛いものかと実感しております。 何が前向きになれるようなお言葉をいただけないかと思い、こちらでご相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。

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2023/04/18

自死した妹の供養について

妹を自死で亡くしました。 四十九日法要も終わりましたがまだ混乱の中にいて毎日泣いてしまっています。たらればが止まらず後悔の日々です。 代々浄土真宗の家系で妹の供養もそのしきたりで行われましたが、わからないことがあるのでよろしければいくつか教えて頂きたいです。 ①浄土真宗では亡くなったらすぐ成仏の考えですが、それは生前仏様を信じた人でないといけないと聞きました。 妹も私もそこまで信心深い方ではなかったです。信心深くない人は亡くなったらどうなるのでしょう。魂があるのかどうかもわかりませんが、どこか彷徨って迷子になっていないかとすごく心配です。 ②他の宗派だと節目の法要に追善供養の意味がありますが、すぐに成仏する浄土真宗の節目の法要の意味合いを捉えかねています。故人を偲ぶのにも仏様に手を合わせる??の感覚がよく分からず…モヤモヤした質問でわかりづらくすみません。死を受け入れられず妹にはなかなか手を合わせられずにいます。 ③②と被りますが、浄土真宗に追善供養の考えがないため、もう妹に何もしてあげられないと絶望しています。成仏して苦しみも何もないなら大いに結構なはずなのですが、後悔の感情のやり場を失っています。エゴなのはわかっていますが気持ちが追いつきません。本当にもう何もできないのでしょうか。死別とはそういうことなのでしょうか。 混乱と絶望と後悔が繰り返しきてただただ苦しく虚しい日々です。何を信じて頼ればいいかもわかりません。 色々と的はずれな質問かもしれませんが、教えて頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 9
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2023/04/18

私の「定命」は・・・(安楽死所望)

私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?

有り難し有り難し 12
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2023/04/07

母親が脳出血で入院 不安です

現在19歳の大学生です。 大好きな母親が2日前に脳出血で倒れ、手術は無事終わりましたが失語症と右半身麻痺でベッドで寝たきりの状態です。 私は大学生活のため上京していたのですが報告を受けて地元に戻ってきました。オンライン面会をしましたが、ベッド上の母親は頭に包帯を巻いて本当にやつれた状態で、失語症ゆえぼそぼそと「はい」しか言えず、、、手術が成功すれば全て元通りになって戻ってこれると思っていたので少なからずショックを受けました。 元々母親は高血圧で、最近は妹の受験やそれに伴う軽いうつ、夫(私にとっての父)との不和もありストレスも酷かったと思います。 高血圧なのは知っていたのに、何も助けてあげられなくてつらい時にそばで支えられなくて、後悔の念に苛まれています。ネットで後遺症について調べても、完治は困難だとか再発する可能性もあるとか暗くなる情報ばかりで、夜も不安で眠れないし最悪の事態を考えてしまって泣いてばかりいます。残りの家族にこれ以上つらい気持ちは見せられないし、かといって友達にも負担になるような事は言えないし、もうどうすればいいのか分からないです。小さな頃から母親にべったりで本当に世界一愛しているので、もう母親がいない生活は考えられないしはやく会いたいのに、これから先、今までのように普通に会話をして普通に旅行をして普通にぎゅっとする事が出来なくなったらと思うと、つらくてたまりません。 また、妹も母親が心の拠り所のようになっていたので、数ヶ月間離れ離れの上このような状態では危険な行動に出ないかと心配です。半年ほど前から不登校でよく死にたいなど口にしています。妹も父親をひどく怖がっているので、私が東京に戻れば2人きりの生活になります。 どうすれば、私たち家族は元通り幸せな生活に戻れるのでしょうか。どう受け入れればいいのでしょうか。もう目の前が真っ暗です。

有り難し有り難し 4
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2023/03/31

病気というより障害についての質問です

お世話になります。少し相談させてください。 要点を先に述べると、 「努力を頑張って来たけれど、不器用が祟って上手く生きれないので助言を乞いたい」です。 私は大学3年の時、ADHDが発覚しました。 これまで、中高と暗記の勉強を無理強いされてきました。バイトも20件以上落ちました。 この上記の息苦しさの原因が障害のせいと分かり、「何故親や教師は私に出来ない事を無理強いしてきたんだ。私はその都度『出来ない』と言い続けていたのに……」と怒りに震え、尚も無理強いさせてくる母親(追記すると、カルト宗教ドップリ親でした)とは絶縁しました。 大学を卒業後、スーパーのバイトで失敗と成長を繰り返し、その後就職活動をして挫折し、「じゃあ遠回りでも……」とWEBデザインが学べる障害就労移行所に通いました。 就労移行所では、薬の相性探しも兼ねていて、半分が通所出来ずに卒業。(薬の相性がどれも悪く、薬が効きすぎて、ベッドから起きられない、壁に激突など起こしていました。) その事業所も、卒業一ヵ月閉所してしまいました。 その後就職活動を何十件も重ね、今現在骨董屋の写真撮影のバイトを行っています。 が、そこでも商品の計り間違いなどの失敗を連発し、「やっぱりここもクビになるのかな…」と不安になっています。 就労移行所で学んだPhotoshopやIllustratorの作品作りは今も続けていますが、正直デザインセンスが皆無で、友人からダメ出しをもらう日々です。 代わりに、昔から小説……というか物語を書くのが得意で、学生時代より文集同人誌を個人で出したり、漫画を自由帳に書き上げてTwitterに上げたり(半年かかった大作でした) 文学賞に応募して一次で落選したり、それでも諦めず、一から書き直して小説投稿サイトに上げたりしています。 まとめます。 就活では「色んな事が出来ますね!?」と驚かれますが、やっぱり落ちます。 就労移行所は器用貧乏になっただけでした。 インスタに作品を載せても反応はゼロです。 特技は文才、小説という食えそうにないものです。 「努力への文句は墓の中でも出来るから今は出来ることをしよう」 がモットーでしたが、流石に……流石にめげそうです。 見返りを考えるのはアホかもしれませんが、ひたすら足掻いたとてずっと貧乏ずっと失敗 ただ生きるのが下手くそです。 助言をください。

有り難し有り難し 16
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2023/03/28

顔面麻痺になり人前に出るのが怖い

はじめまして。 私は昨年40才で唾液腺癌になりました。 癌が顔面神経に触れていたため、腫瘍を摘出する際に顔面神経も一緒に摘出し、永久に顔の半分が麻痺状態になりました。 目が閉じず、口角は下がり左右差があります。 手術した耳付近も大きく陥没しています。 主治医には、手術した所を整形する事は可能だが再発リスクが高まると言われ、整形は諦めました。 癌を宣告され、とても辛く悲しい日々でしたが優しい家族や友人に支えられ前を向けるようになりました。 現在は有り難いことに経過観察中です。 毎日朝が来る事に感謝しながら生きています。 ですが、今こうして生きていられる事だけでも奇跡だと思っている一方で、どうしても人の目が気になって気持ちが落ち込んでしまいます。 特に、おしゃべり好きな子ども関連のお母様達の目が気になり、保護者会などの参加を躊躇してしまいます。 以前は積極的に係など引き受けていましたが、今はしていないのも心苦しいです。 家族は、麻痺した私の顔も普通に受け入れてくれています。 なのに、人の目が怖いと感じる自分の心の弱さに悩んでいます。 どのような心構えで日々を過ごしたら、強い心で、麻痺した顔でも堂々と私らしく生きていけるようになりますか? ご教授いただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

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2023/03/25

大切な筈の母の人生を、奪ってしまった

数年前、母が癌になり、当時相談させていただきました。戴いたお言葉に心が救われ、今でも感謝でいっぱいです。今回はその後の話です。どうかよろしくお願い致します。 せっかく助かった母の命を、私が縮めてしまいました。それが苦しいのです。質問と言うより、誰かに聞いていただきたいのかも知れません。 母は癌になり絶望しましたが、薬が効き、奇跡的に癌自体は落ち着きました。しかし体力が無いのと認知症が進み、要介護3となりました。 介護が始まった頃、両親と兄と私の4人で暮らしていました。もっとも私は、介護のために戻った形です。家族仲としては、家族で遊びや食事に行くことが多かったのですが、父はカッとしやすく、暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人でした。兄に言わせると発達障害ではないかと。しかし兄も似ており、母と私は心身共に押さえつけられていました。 母の介護については、介護申請、ケアマネ探しに至るまで、全て私が行いました。要は、介護の負担があまりにも私に偏り、ヘトヘトになりました。母はトイレも介助が必要でした。夜、トイレに起きるのですが、父も兄も、全く動こうとしませんでした。数時間おきに起きる母を私が介助し、朦朧としたまま仕事(身体も神経も擦り減らす仕事であり、残業も多いのです)に行く毎日でした。身体が限界だと訴えるも、父と兄は逆ギレし、ケアマネに相談するも、効果的な対策がありませんでした。  私は家を出ました。しかし、私にとって母は、自分よりも大切です。母も、私がいないと耐えられないと言いました。結果、実家の近くに居を構え、仕事帰りに母を迎えに行き、朝また実家に送り届けるという生活になりました。迎えに行くと、母はベッドに倒れ込み泣いており、父は平気でテレビを観ていることが多々ありました。放っておけず、夜勤明けでも迎えに行きました。ボロボロで、やっと仕事をしていましたが、いやだと思った事はなく、母と過ごせることや、母に喜んでもらえるのが嬉しく、幸せでした。 そんなある日、つい母に怒りをぶつけてしまいました。母は泣いてひっくり返り、私は怒鳴りました。その10日後、急に起き上がれなくなり、病院に行くと大腿骨骨折でした。きっと私が原因です。手術は成功しましたが肺炎を起こし、点滴でやっと生きています。長くはなさそうです。怒りを抑えられなかった後悔と申し訳なさで、生きるのが辛いです。

有り難し有り難し 14
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2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2
2023/03/19

お寺にドクターストップ

 いつもお世話になっております。お寺に通い始めた七、八年前から、 お経や陀羅尼を聞いたり読んだりすると、このような異状が出ており ました。 ・体が熱くなる ・興奮  →式衆様と読経していると、気分が上がってきて声が大きくなる。  太鼓より大きな声を出していた。 ・意識障害  →視野が狭まり、経典や本尊像、護摩壇しか見えなくなる。  お経と鳴り物しか聞こえなくなる。  →頭がぼんやりしてきて、意識が飛びそうになる  なぜ今ようやく気が付いたかというと、そうなることに酔って いたからです。酔うために、お経を読んでいました。カルトと 一緒…。仏教は、そういう宗教じゃないって、わかっていたはず なのに。  こちらで、「座禅中に体が揺れる」、「祈っていると呼吸が 止まって頭がぼんやりする」というご質問に対し、回答僧様が、 「トランス状態という危険な状態です。祈るときや修行のときは、 意識をしっかり持たないといけません」 とご助言なさっていたのと、そういった病気があるという論文を 読んだのをきっかけに、主治医に相談しました。  論文を読んだのは数年前ですが、対岸の火事でした。むしろ、 法要で、お経を上げながら首や体を激しく動かしている人や、 お経が始まると騒ぐ人を見て、 「うわwきめぇwww」 とすら思っていました。  主治医に告げると、 「意識変容か…。うん、お寺に行って、外からお祈りする分にはいい けれど、心配だから、お経を聞いたり読んだりする法要や儀式には、 行かないでほしい」 と告げられました。自分でも危険だと思っており、覚悟もして いたので、納得しております。  しかし、法座に上がれないとなると、どこで仏様のみ教えを 学べばいいのでしょう?お説法でも、ご法話の前後には、お念仏や お唱題などを唱えるので、危険です。   …こんな事書くと、どこかの陰謀論者が、 「医者が宗教を滅ぼそうとしている~!!」 なんて騒ぐんだろうなぁ。ここには、そういう人いないと思うけど。 SNSとかで騒ぐんだろうなぁ。  余談ですが、主治医(推定50代、男性)は護摩がわからず、 「え?ごま?……焼くやつ?」 と聞かれました。面白かったです。  ご高見、お待ちしております。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1
2023/03/14

他殺された友人との向き合い方

こんにちは。 私の友人が他殺で亡くなりました。 その方とは、ネット上での繋がりしかなく電話もしたことはありませんが。チャットで3年間ほど毎日連絡を取り合う仲でした。 ある時、わたしは卒業論文の執筆が忙しくなってしまい、返信が滞る時期があったのですが、その方は安否確認のためにもメッセージをくれる優しい方でした。 しかし、それにも関わらず再度連絡を1週間ほどまた無視してしまいました。 1週間ほど経った時に、その方の住んでいる地域で殺人事件があり、安否確認のために連絡を入れました。その時には既読が付いたのですが、返信はなく、 生きていることは確認できたのですが、嫌われてしまったんだと思いそこからは忘れて暮らしていました。 しかし、事件から数年経って最近その方が夢に出てきて近況が気になったため検索をかけて見ると私が危惧していた事件に巻き込まれて亡くなっている事がわかりました。 ここまでが経緯です。 わたしは嫌われたと思い、長い間記憶から消して過ごしてしまったこと。 ずっと頼りにしてくれていたのに、最後の最後で自ら連絡を切ってしまい、そのまま亡くなってしまったこと。 この2つの後悔が頭の中をぐるぐると周り続けて忘れられません。 また、友人は苦しい生活を乗り越えてやっと少し楽な生活が出来そうになった所でかなり若くして亡くなったため、苦労だけして亡くなってしまったように感じ、全てが水の泡と化してしまったような気もしていたたまれません。 さらに、犯人は既に亡くなっているため恨みのぶつけ方もなく、気持ちの行き場もありません。 その上、友人とはネット上での関係しかなかったため、お墓参りをして友人の死を目の前にすることで受け入れたいのですが、それも叶いそうにありません。 長々と書いてしまいましたが、すごく親しかった友人なのですが、後悔する点が多く、また、死を受け入れたいのですが脳での処理しかすることができず、モヤモヤした気持ちが続いてしまいます。 友人の死とこれからどのように向き合うべきでしょうか。 友人の死を乗り越えて、これまでの暮らしに戻るためにはどうしたら良いでしょうか。 拙い文章で、分かりにくい部分が多々あるかと思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 13
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