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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

昔好きだった人が亡くなっていました

初めて相談させて頂きたく、宜しくお願い致します。既婚・女性です。 若い頃に好きだった人への想いを引きずり、後悔のまま30年近くが過ぎました。彼が扉を開いてくれたのに、自信や勇気がなく飛び込めませんでした。 その後、彼も私も同時期にそれぞれの人と結婚し、偶然26年前に会ったのが最後です。 何処かで幸せに暮らしてくれてればそれで良いと、心の奥でそれを糧に生きてきました。向こうは私の事など何とも思ってないかもしれませんが 私の願望でしょうが、彼の夢を何度も見て目覚めては、包まれてた様な不思議な感覚になりました。 最近、その彼が15年前に40代の若さで闘病の末、亡くなっていた事を知り愕然としています。 彼のいない世界を15年も知らずに生きてたなんて… 彼が亡くなった同年には、私の父が病気で他界し、下の息子が産まれました。 これから息子の成長を感じる度、生涯、亡くなった彼の年月を感じることでしょう。 誰に話す事もできず、楽しかった日々や、彼の闘病中の心情や、ご家族の無念さを思うと、辛くて涙する毎日です。 優しく前向きな人だったので、よく声がけしてくれた「泣くな、頑張れ」という声を思い出しては涙が出ます。 彼への想いをどう昇華すれば良いのか、まさかこのような結末になっているとは夢にも思わず、わからなくなってしまいました。 長文失礼致しました。 お読み下さり有難うございます。

有り難し有り難し 16
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父の死との向き合い方

現在27歳。18歳まで実家で父含め家族と同居していました。私は中学生から反抗期で父とはまともに話さなくなったまま大人になりました。 父は私が5歳の頃から病気でしたが、父母は私が心配しないようにと具体的な病状は話してくれなく、父は病気だが長生きするのだと思っていました。 大学進学で実家を離れた後、Uターン就職しましたが、数年後再び県外に出て転職。この間に父の病気は進行し手術ができない状況になりました。しかし私はこの事実をよく知らないままでした。 県外に転職し2年目の夏、父が心肺停止になったが蘇生したと母から連絡があり新幹線に飛び乗りました。なるべく週末は見舞いにいきました。 父は心肺停止の影響で記憶がなくなってしまった部分がありました。同居していた18歳までの記憶はありましたが、私が大学進学を機に実家を離れてからの記憶はありませんでした。そのため私が県外にいることもわかっていませんでした。 父が心肺停止したこの時期、私は婚約しました。意識が途切れ途切れの父に婚約の報告をしました。 そして、私は当初予定していた結婚式の日を父の寿命を考えて2ヶ月程早めました。 父は体が落ち着いていきリハビリもし、ゆっくり歩けるようになりました。 父にとって最後となる年末年始。一緒に実家で過ごしました。しかし、母、兄も疲れてイライラしやすく、私もむしゃくしゃしてイライラしやすく、私と兄は一家団らんの食事の際口論になりました。私は兄が怒鳴り散らしたことをきっかけに、皿や箸を投げつけ割りました。そばにいた祖母は泣いて止めようとし、父も止めようと必死でした。悪いことをし父母に謝りました。父は許してくれました。私は精神的に限界だったと思います。 そして入籍まで約10日、結婚式まで1ヶ月を切った頃、父は入院先で亡くなりました。車椅子で結婚式に出ると張り切っていたのに。私は県外で仕事中で、職場に母から報告があり地元に駆けつけました。 約20年、父の病気を知らずに反抗してばかり。自分のやりたいことのために地元を離れていた私。父との時間をもっと作れば、もっと素直になれば、もっと温厚でいればよかった。私へのお仕置きとして、結婚式前に父は旅立ってしまったと考えてしまいます。私は父に寂しいことやひどいことばかりしてしまった。父はこんな私を本当に許してくれているのか。父の死との向き合い方がわかりません。

有り難し有り難し 4
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息子が亡くなりました

半年前、7ヶ月の息子が亡くなりました。原因は分からないです。 5ヶ月の頃に、原因不明の発熱などが続き、検査入退院を繰り返していました。 亡くなる日、深夜に何度も吐き、救急車を呼び、掛かり付けの病院が小児科医不在の為 いつもと違う病院へ運ばれました。 その日の夕方、急変して亡くなりました。 亡くなる瞬間、いつもと同じ様に抱っこしてあやしていました。 急に食いしばった様に「ギーーーーー」と泣いて焦点が合わなくなり そこからはあんまり覚えていません。 たぶん心臓がとても苦しかったんだと思います。 毎日毎日、つらいです。 その時の表情が浮かんでは消え 供えたご飯が無くなる訳ないのに、無くならないのも辛い 思い出したくても、思い出そうとすると目の前が真っ暗になるんです 上に子供がいます、泣かないで欲しいと言われたので明るくします ただいきてるだけで精一杯です あの日すぐにでも連れて帰りたかったけど、原因がどうしても知りたかったから 解剖して調べてもらいました。 翌日に、冷たくなっちゃったって呟いたら 看護師さんが、冷蔵庫に入れておいたんでって大きな声で言われ。 それが頭から離れない 死にたい訳ではないです、こんな地獄の様な日を親にも子供にも味合わせたくない ただ泡みたいに消えたくなります

有り難し有り難し 31
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母の死が受け止められません

2度目の相談で申し訳ございません。 5月末に母を亡くしました。わずか2ヶ月余りの闘病で薬も効かずあっという間でした。母が帰りたいと言うので、主治医を説得して退院、家族全員で看取りました。 母の最期を見届けたのに、それが夢のように感じて受け止められません。母が部屋にも台所にもいないことに悲しくなり、どこに行くにも必ず連れて行っていたので、行く先々で思い出します。遺骨を見て、あ、ここにいるんだ、と不思議な気持ちになります。亡くしてから、母の存在の大きさに気づきました。家族のバランスを取ってくれていたのも母だったのです。当たり前の毎日を失い、その深さを知って悲しみに暮れています。 この苦しみや寂しさはいつまで続くのかと思うと、元気が出ません。先日も妹と大喧嘩になり、落ち込んでいます。 生きる意欲が持てません。 自分の年齢を考えると、いつまでも、と思うのですがどうしたら良いのかわかりません。夫は、わたしが看護師だから家で看取ることができたんだよ、親孝行できたよ、と言ってくれるのですが、わずか数日の看病でしかなく、もっと頑張れたし、してあげたいこともたくさんあったのに、と思います。とにかく苦しくて仕方がありません。

有り難し有り難し 19
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毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 3
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死ぬ間際の人間のありかた。

人は、死ぬ間際、どういう心持ちでいたら良いのでしょうか。 死ぬ瞬間。 浄土系の教えでは、弥陀来迎を信じ、弥陀にお任せして、心穏やかに 最後の時を迎える事だと思います。 死の間際、恐怖なく安穏で居る事は並大抵じゃない。 高度な仏教哲学も、「自分が成っていないと」生老病死の苦しみに対する、屁の突っ張りでしかない。 「成った事」すら、無明を前にして、自覚出来ない気がします。 だとしたら、方便でも、心穏やかに最期を迎えられる、浄土系の教えは、在俗の者に有効なのかなと思いました。 学究であり、優れた人格の法然上人の、庶民への優しさかなと思いました。 しかし、究極の真理は、「自浄其意」だと思います。 しかし、禅宗にも一抹の疑問が涌きました。 「六道輪廻は生きる人間の心の有り様。」と、輪廻思想を切り捨てると、 「而今」の真理から言えば正しいですが、施餓鬼等、自身が行っている事も否定してしまう。  正自覚者である釈尊が、見通した世界。インド土着の世界観等々と切り捨ててはいけない気がするんです。 だとすると、死の間際の心の有り様は重要なのではないでしょうか。 人生に一度しか経験しない、最大恐怖の死。 生老病死の最大恐怖。 何かすがるものがなくても、灯明の如く寂滅できるものでしょうか。 お坊様方は、人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか? 何もかも放下して、消え行く中。 どんな気持ちでいるべきなのでしょうか。 最大の疑問です。 どうぞ、ご教示くださいますよう、お願い致します。

有り難し有り難し 10
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夫の突然死、生きているのが辛い

5/17に夫が亡くなりました。 29才でした。 持病もなく、本当に直前まで、ご飯をおかわりするくらい元気でした。 普通におやすみと言って、一緒に寝ました。 私も今29才です。生後5ヶ月の息子がいます。 なにが辛いか分からないくらい、全てが辛いです。 誰かに助けてほしいのに、なにをどう助けてほしいのか分かりません。 思いつく限りの辛いことを以下に書いてみました。 ・彼に会いたい ・毎朝起きて絶望するのが辛い ・なんでも彼との思い出があり、辛い ・夜中に目が覚めて、彼の様子が変だと思ったが、救急車を呼ぶか迷ってしまった。心臓マッサージよりも先に自分の着替えをした ・救急隊員が忘れ物をしたので、部屋に取りに帰る時、息子をだっこしていたので、エレベーターに乗ってしまった ・最初障害が残ったり植物状態になるかもと言われた時、育児に介護とそんな献身的な妻になれないなと思ってしまった ・息子が産まれてから小さいことで彼に怒ってばかりだった ・いつも彼をからかってバカにしてばかりだった ・最後の夕飯がよりにもよって1番手抜きだった。私だけ生き残って、彼の好きな食べ物を食べるのが辛い ・彼のために家事や育児を頑張っていた。毎日やることがなくて辛い ・子どもが好きなのは彼だった。いつもニコニコしてるのは彼だった。私だけだと息子が変になってしまうと思うと辛い ・彼がみんなに伝えたいことはなんとなくわかったので、伝えられた。けど、彼が私に何を言いたかったか分からないのが辛い ・なぜ彼だったのか、なぜ私ばかりこんな目にあうのか、答えがなくて辛い ・病院の先生にストレス等誰のせいでもない、運だと言われた。責める場所がなくて辛い ・死にたいと言うと、みんなに生きろ!死ぬな!と言われる。彼はそんなこと望んでない、逆の立場だったらどう思うと言われる。正論ばかり言われるのが辛い ・人が亡くなったニュースや不幸な話を聞くと笑っている。そんな私が息子を育てることが辛い。 ・息子が5ヶ月になった、寝返りができた、彼の知らない息子になるのが辛く、喜べないことが辛い ・彼がいないのが辛い ・実家に帰っているが、両親という夫婦を見ながら生活するのが辛い ・生きているだけで偉いはずなのに、段々外に出ろ、笑えと周りからの要求が増えるのが辛い。 ほんの一部です。 助けてください。

有り難し有り難し 197
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感情の温度差

お忙しい中、いつも素晴らしいお言葉を頂き、ありがとうございます。 何度も申し訳ありませんが、再び質問をさせてください。 今から約3ヶ月前に母を亡くしました。 まさか亡くなるとは思っておらず、急なことで今も心の整理がついていないのが正直な感情です。 自分には父の他に兄が二人おります。 当初は兄たちも悲しみに暮れて落ち込んだり、涙を流したりもしていましたが、 その後、1ヶ月以上が経過し始めた辺りから兄たちは気持ちを切り替えたのか、普段通りの生活に戻りました。 ですが、自分は気持ちの切り替えが難しく、正直まだ立ち直れていません。 それどころか、母の面影を追いすぎた余り、心の病を患って入院もしました。 周りからは『自分と兄たちとでは母と過ごした時間や思い入れがそれぞれ違うから感情に違いがあっても仕方がない』とも言われました。 確かに自分は母と同居していたので世話はもちろん、最期まで看取りました。 それでも、同じ兄弟でもこんなに温度差があるのか…と戸惑いが生じていることも事実です。 一人の兄からは『気持ちを切り替えれたからもう涙は出ない』とあっさりした感じで言われました。 年月が経過しているならまだしも短期間であっさりと気持ちを切り替えられるものなのでしょうか? そんなつもりはないと思いますが、母が忘れられたような気がしてとても寂しく感じてしまいました。 メンタルが弱いと言ってしまえばそれまでですし、単に自分が引きずり過ぎているだけかもしれませんが… もしよろしければご意見を頂きたいと思い、投稿させて頂きました。 お忙しい中、申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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仲のよかった母が末期癌で亡くなりました…

5月にとても仲がよかった母が末期癌で亡くなりました(涙) 母とは2人暮らしで、親戚からは「一卵性母子」とまで言われるほど仲がよく、旅行は勿論、買物に行くのも外食するのもいつも一緒でした。 自他共に認めるほど仲のよかった母でしたが、ここ1年で急に身体が衰えはじめ、病院嫌いの母は市販の薬で何とか凌いでいましたが、4月頃から急激に悪化してお腹が張って足がパンパンにムクみ始め、病院へ行ったところすぐに大きな病院へ回された結果、お腹にはガン性の腹水が溜まりCTやMRIで精密検査したところ、既に癌は全身の臓器へ転移して手遅れの状態にまで悪化していました…医者の話で治療はムリなので極力苦痛を和らげる緩和ケアという形で入院しました。 母には「もしもの時は色々話しときたいから隠し事は無しで…」という約束だったので涙ながらに本当の事を話し、一緒に号泣しましたが母と病床で本音で話す事が出来ました。「生んでくれてありがとう…育ててくれてありがとう…お母さんが親で幸せだったよ…」とお礼を何度も言えました。母も「生まれてきてくれてありがとう、楽しかったね。イッパイ親孝行してくれてありがとね…たとえ死んでもずっと見守ってるからね…」と言ってくれました。 ところが、母の病状が日々悪化するにつれて、母は薬の副作用と末期癌によるせん妄症状(意識が混濁して人格が変わったり、興奮して暴れたり、誰だか分からなくなったりする)で、仲のよかった僕にさへ暴言を吐いたり、叩いたり、「だれ?」と聞いてきたり、とてもショックでした。それから間もなく昏睡状態になって最期までまともに話出来ないまま亡くなってしまいました(涙)こんなぐらいなら死期が早まっても理性のある母の間にお別れしていた方が悔いが残らなかったと思います…質問なのですが、母は病気が悪化して僕の記憶がないまま旅立ってしまったのでしょうか?母と仲のよかった頃の思い出も消えてしまったのでしょうか?理性がある時に「ずっと見守ってるからね…」と言った約束も母の魂は忘れてしまったのでしょうか?それだとあまりに悲し過ぎます(涙)

有り難し有り難し 16
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