母の死。こんなに辛く苦しいものなんて‥
母が亡くなって三七日となりました。
日毎に寂しさがつのり、この寂しさや悲しみがいつまで続くのかと困っています。
情けないのですが、朝起きた瞬間から母の不在が悲しく、夜も途中で目が覚めて不安です。
私たち親子は親友のような同志のような親子で、私が結婚してからも近くに住み、毎日の様に顔を合わせていました。
父の看取りの時、父の死後の母の生活の支えや私の子供の育児、母の闘病生活などいつも母と二人で頑張ってきました。
私が子供を生んだ15年前からは育児や家事も手伝ってくれ、5年前に病気を患ってからも「いつかは〇〇ちゃんにお世話になる時がくるから、元気な時は少しでも手伝ってあげたい。元気なうちに身体を使って〇〇ちゃんにお返ししてるよ。」と言って、私が仕事に出ている間にいつもうちに来て、洗濯をしたり、掃除をしてくれ、孫の帰りを楽しみにしてくれていました。
闘病生活中も辛い治療にも弱音をはかず、「苦労ばかりやったけど、今が一番幸せ。こんな病気になっても今が一番幸せやねん。ひ孫を見るまで頑張る。」と強く前向きに生きていました。そんな母を励まして支えてあげることが、私の生きがいの一つだったような気がします。
2月迄は元気で自転車にも乗れていたのに、3月に救急搬送され、4月20日に亡くなりました。病床で「もう一回家に帰って、ママのお手伝いをして△△ちゃんが学校から帰るのをお帰りって迎えてあげたい。おばあちゃんはそれが幸せやねん。今度はお婆ちゃんが△△ちゃんの子供に産まれるから可愛がってな。」と孫である私の息子に話していたそうです。
一度は峠を越え持ち直し、2週間頑張ってくれました。コロナで面会制限がされている中、付き添い許可を出して頂き、私と最愛の孫、母の妹が看取りまで一緒に過ごせたのですが、母は家に帰ることを夢見ていたのに、連れて帰ってあげることができなかったことが悔やまれてなりません。
生きることを諦めなかった母に死が近いことを気づかせたくなくて、最後まで希望を持たせてあげたくて、感謝の気持ちや家に帰らせてあげれなかったことを謝れませんでした。
そんな最後の入院中のことや家の中でも街の中でも母の姿が思い出され寂しくて悲しくて。
毎日仏壇に手を合わせて、母に話しかけています。母に気持ちは伝わっていますか?
遺骨はうちにご安置しました。母は今、私や孫の側で一緒に過ごせていますか?
有り難し 7
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