hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

ある宗教の夫と離婚した後の心のあり方

(編集部より。投稿の一部を変更しています) 彼とは長い間付き合っていました。とても仕事熱心で真面目な人でした。付き合っている時に、彼の父親はとある大学の教授をしていて、今は引退していると聞かされていました。彼自身もある大学を卒業していて私の両親にもそう説明していました。彼の言う事を信じていました、大好きでした。 結婚後、私は彼の実家がある宗教の教会を営んでおり、彼の父親が教会の会長であることを知りました。誰も何も説明してくれませんでしたし、何も教えてくれませんでした。ただ彼の実家に帰った時に色々な儀式に参加したり、会話の情報が耳に入ったりして徐々に知識が頭の中に入っていきました。引越しの時彼の履歴書を見て、別の大学を卒業していたことを知りました。ずっと付き合っていて、真実をこんな形で後で知る事になって私はショックでしたが、様子を見ることにしました。彼は次男なので教会を継ぐことは無いだろうと思ったし、彼から直接、教会を手伝え信者になってくれ、とも言われていなかったので。何より彼を愛していたからです。 彼の実家から遠い場所へ引越すことになりました。なかなか頻繁に会いに行けないことを彼の両親も事情を察知して理解してくれるだろうと思っていました。しかしご家族は私にお布施を要求するようになりました。実家に帰って教会を手伝って欲しいと言うようになりました。 私はとてつもない不安を感じていました。彼に相談しても、仕事に疲れているのかその話題になるとキレるばかりで、説明もなく話し合うこともありませんでした。彼も色々な事情があり本当の事を言えずこういう結果になったのだと思いますが、悲しい言い方をすれば、私は「騙されたのだ」と感じざるを得ませんでした。素晴らしい宗教に恵まれてありがたいと素直に思えたら結果は違っていたかも知れません、しかし私はそう思えませんでした。何を信じ何を求めて幸せを感じるか人それぞれですが、私は沢山の葛藤の末離婚を選びました。こんな結末になるとは夢にも思っていませんでした。今でも過去の幸せな記憶が蘇り、涙が止まらないこともあります。もう過ぎた事なので何も変えられないし、過去を振り返っても仕方がありませんが、この悲しみとこの苦しさに、どう心の整理をつけたら良いのかわかりません。ご教授お願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

過去の後悔について

人生での過去の後悔に囚われ、前向きに日々を生きることが出来ません。 3年前、京都の大学に進学し、大学生になりたての頃に既婚者の方と数回関係を持ってしまいました。 当時の自分は物事の善悪を見極める事が出来ず、倫理上許されない事をしてしまい大変後悔しております。 端的に言えば、調子に乗っていたのです。 今は、きちんとした方とお付き合いをしているのですが、彼女の笑顔を見る度に過去の後悔を思い出してしまい、道を踏み外した自分と一緒にいてくれる彼女を思うと本当に心が苛まれます。 過去の事は、死ぬまで誰にも言わないつもりでしたが先月、自分の心の弱さから打ち明けてしまいました。 それでも、彼女は赦してくれ、少しづつ一緒に忘れようと言ってくれています。 反省はしても後悔はするな、という言葉の通りもう二度と、浮気やそういった事はせず赦してくれた彼女を誠心誠意愛し、これからの日々を生きていくつもりです。 おそらく、過去の相手方の家庭には周知されていないのですが、家は知られているため、明るみに出てしまったら責任をもって謝罪を行うつもりです。 それでも心の整理がつかず、過去の後悔に囚われ、何も手につかない状況です。 自業自得なのですが反省すれば、自分を赦すことは許されるのでしょうか。 前向きに生きる資格はあるのでしょうか。 拙い文章で申し訳ございません。

有り難し有り難し 38
回答数回答 2

人を疑うのが難しいです

こんばんは。 私はとても恵まれて生きてこれたと思っています。大なり小なり色んな事がありますが、周りの人が手を差し伸べてくれたりして何とか乗り越えられて今の私がいられる事に感謝しています。 しかし今の職場には何故か嘘をつく人がいます。私に周りの人の悪口を話すのです。 私に限らず色んな人に色んな人の事を話してるのだろうとは思います。 私も言われてるんだろうなとも思うのですが、その人の話が嘘だと分かる度に「あー、またか。」と落ち込むのにその人の話を聞く度に「そんな事があったんだ」と思ってしまうのです。学習能力がないのですね。 最近は周りの助けもあり「この話が全てではない」と一呼吸おいて考えるようにしていますが、それでもまだ信じてしまうこともあり不甲斐なく思います。 「今まで人間関係に恵まれてきたんだね。だからすぐ信じちゃうんだよ。でもこのままだと傷つく事も多いし、いつか騙されるよ」と言われます。 自分の意識次第なのかもしれませんが、やはり人から話を聞いたら一呼吸おいて考える癖をつけるしかないのでしょうか。 人の事を悪く言う嘘をついても言う人にも聞く人にも誰にもメリットはないのに、なぜ真実じゃないことをわざわざ口に出すのでしょう。 人を疑うという事が悲しいです。 でも嘘をつかれるのも悲しいです。 まとまりのない文で申し訳ありません。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

人生辛い事ばかりで死にたい。

はじめまして、宜しくお願い致します。 私は教育に厳しい両親の家庭で育ち、子供の頃から行きたくない学習塾をいくつもはしごさせられ成績が1位で無いと家族から殴られる、怒鳴られる等しました。 「勉強が辛い」と言うと「人生は辛い事しかないんだ!もっと頑張って成績をよくしろ!」と、よく殴られました。 こんな調子だったので「勉強は辛く、人生も辛い事しかない…だったら、死んだ方が楽じゃないか…」と言った暗い考えが自分の根本に残る事になりました。 大人になり実家を出て仕事をする様になったのですが、病気になり仕事が出来なくなり、不本意ながら実家に身を寄せて生活する事になりました。 両親からは同情等は無く「失敗作」「いい年こいて実家に居るな」と罵られます。 経済的な援助も頂けず、病気で働く事も出来ず、病院に通うお金も無く、生活保護の申請をしようにも「実家暮らしで世帯収入が一定を越えているので不可」とのことでした。 子供の頃は無理やりさせられた勉強が辛く 大人になると仕事も辛く 今度は病気になり気分は落ち込みがちになり 誰からも支援は得られず…と人生、辛い事ばかりです。 とは言え私が特別ではなく、世間ではありふれた光景なのでしょうね。 今は暗い考え、死にたいという思いしかありません。 人生は努力しても報われる事の方が少なく、辛い事は一日に何度でも押し寄せてきます。 仏教の本も、ある程度読んだのですが実践が大事だそうですね。 毎日辛い、もう嫌だ、死にたい…と落ち込まずに生きるには、どう考え、どう行動したら落ち込まずに生きていけるのでしょうか。 現在は死にたい気持ちが強いですが、自殺は直感的にダメな気がする、何かに負けた様で悔しい、といった考えで思いとどまっていますが、とにかく辛いです…。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

自分の人生が失敗に思えます

今年の八月に、六年働いた大手リゾート運営会社のサービス職を辞め、人材系の営業に転職しました。 しかし、営業職を甘く見ていたのか、前職が優しすぎたのか、常に数字と結果を求められることに辛さを感じています。本当に、浅はかだったと思っています。 上司は(わたしからすると)パワハラすれすれの言動を繰り返す人で、そのことも大きなストレスになっています。 転職してまだ日が浅いにも関わらず、このまま新しい会社で続けていくことに、限界、というかもう無理!と感じ、再び転職活動をしています。 先日も、とある企業に応募したのですが、本日不採用通知が届きました。 その企業はわたしが元々興味のあった業界で、給与なども理想的なものでした。応募には年齢制限があり、今年が最後のチャンスでした。 一縷の望みをかけて応募し、何がなんでも採用して欲しかったので、満願成就のご利益があるというお寺や観音様にもお参りに行きました。 ですが、結果は不採用に終わってしまい、わたしが神さまにすがった思いはどうしたらいいのだろうと思います。 こんなにも必死にお参りしたのに、結局神さまはわたしの願いを叶えてくださることはなく、見放されてしまったのかな、と感じてしまいます。 大学時代の友人は誰もが知る企業で働き、仕事を楽しいと感じているのに、自分は仕事でつまづいて体調を崩し、転職に失敗?し、みじめだと感じます 今自分の手にあるものに目を向けよう、と思うのですが、手にあるものを見れば見るほど、自分の人生が失敗に思えてなりません。 わたしが満足できる人生を、と思うのですが、どうしても人と比べてしまいます。自分はなんてみじめなんだろう、と考えることをやめられません。 悲劇のヒロインぶっているのかとも思います。だからわたしはかわいそうじゃない、と思っても、やはり自らのことを哀れんでしまいます。 わたしの人生はこれからどんどんと不幸に向かっていくのだという方向にばかり考えてしまいます。 長々と、かつとりとめのない文章になってしまいましたが、お言葉たまわれれば幸いです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

他人の言葉を真に受けないためには

いつもありがとうございます。 最近は比較的穏やかに過ごせているのですが、以前から気にかけている事について知恵をお貸しくだされば幸いです。 私は、周囲の人から言われた事を真に受けすぎるきらいがあります。 例えば自分の事に関して言えば、オタクっぽい・出来が悪い・性格がキツイ……などという事を言われると「私ってそうなのかも?」と思い悩んでしまいます。 他人の事では、「○○さんってこんな人なんだよ」「××さんのこういう所が好きじゃないんだよね」などと言われてしまうと、「この人と○○さんは仲が良くないのかも…?」「この人の前で(××さんのような)行動は慎むべきかな?」などと余計な気を使って疲れてしまうんです。 自分でも、ひとつ何か言われてしまうとその事についてずっと悩んでしまう自覚はあり、またこれまでに複数の人から「あなたは真に受けすぎ、考えすぎ」と言われた事があるので、余程なのだと思います。 (すごく昔に、ハスノハのお坊さんにもそのように回答を頂いた事があります…苦笑) 他人にとってはちょっとした愚痴のつもりで話したであろう内容も、真剣に考え込んでしまいます。 誰かに何かを言われたとしても「ふーん、そうなんだ」「あなたはそう思うのね」というような柔軟さ・自分の軸の強さを手に入れたいのです。 また、気にしないように気にしないように…と思うようにしていると、余計気にしてしまうのも難点です…。 何か良い方法はございませんでしょうか? よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1