13年前に夫と死別し子供はおりません。 資格職なので、死別後もなんとか仕事には困らずにきましたが 50歳になり、今後老いていくだけの自分の未来に 希望が持てないでいます。仕事ができてもあと10年。 その後、自分はどうなるんだろうと。 朝起きて仕事に行き、帰ってきて食事をして寝るの繰り返し。 もちろん、好きな事や楽しみもあり気分転換はしていますが 自分の存在意義や、生きる目的が持てないでいます。 ただなんとなく、漠然と漫然と生きている自分。 両親もすでに他界し、離れた場所に独身の弟が一人。 母親が60ちょっとで亡くなっており、自分もそのくらいで 死ぬのかなと思う時もあります。 新しい家庭が持てればよいのでしょうが、そうそううまく いきません。 私が生まれた意味はあるのでしょうが、その意味が なんだかわからなくなっています。 なぜ、私はこんな人生を生きることになったのでしょうか。
先日ラジオで流れてたのですが、日本人はエレベーターで閉ボタンをよく押す。閉まるまでの数秒も待たずに押す。ボタン近くに立った場合はエレベーターガールのように閉を押す。先に出る場合は、出るときに中に残っている人のためにわざわざ閉ボタンを押してあげながら出る。そこまでする必要があるんでしょうかね~みたいな話が放送されてました。 欧米では自然と閉まるを待つのが普通のようですね。 自分も確かに閉ボタンを押してしまいます。 やっぱりせっかちなのでしょうか。 お坊さんになると自然に閉まるのを待ったりしますか?
私はサラリーマンで、さらにスキルを伸ばそうと転職活動をしているのですが、かなり行きたかった会社の面接に今日落ちてしまいました。面接の感じがよかったと思っていたので期待していたのですが結果は「お見送り」でした。正直ショックです。 昔片思いしていた大好きな女性に告白して振られたときを思い出しました。 絶望感と虚無感、お先真っ暗な感じで今日は気がふさぎこみました。 期待しすぎるとだめだったときの失望が大きいので、ものごとは期待しすぎない方がいいのでしょうか?何も期待しない人生もつまらないなあと思いながらどうしたらいいんでしょうか?
福沢諭吉さんの有名な言葉の中で 「世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です」 というのがありますが、久しぶりにこの言葉に遭遇して、ハッと我に返りました。 競争社会の中でいつの間にか他人の生活を羨んでいたなと。いつも忘れないようにしたいと思います。 この他に世の中で醜い事って何がありますか?
毎朝、満員の通勤電車に乗っています。 乗り換えの駅があって、その駅のホームの向かいに乗り換え電車(始発)が止まっているのですが、満員の通勤電車のドアが開いたとたん、向かいの乗り換え電車の席に座ろうと猛ダッシュで走って行く人がいます。 自分も疲れてるので、空いてる席があればもちろん座りたいですが、走ってまで席を取りに行きたいとは思いません。まわりを蹴散らしてまで必死になる人を見ると腹が立つのですが、本心は座りたいのに座れない自分を正当化しているだけなのでしょうか。 毎朝のイヤな気分から逃れたいです。
毎日毎日生きて行くのって本当に大変なことだと思っています。社会人になってから毎日思い知らされています。 現状を維持するのがこんなに大変なことだと。ちょっとでも油断したり立ち止まったり後ろ向きになると、崖から転落する気持ちです。世間とは恐ろしいものです。ちょっとでも気を抜くと世間は許してはくれない。 何も考えず、無心で、生きていることを忘れてでもしない限り人間の営みはとても難しいです。 毎日同じ時間に起き、会社に行き、他人とのトラブルを避けるために綱渡りをし、常に結果を出してそれでやっと生きるためのお金をもらって、日々生きることができる。 生きるためにこうして日々気張って苦労をし、苦労をした結果やっと人並みに生きることができる。これを死ぬまで繰り返す。苦しくても苦しいなどと言えない。 本当に、毎日生きて行くって大変なことだと思い知らされています。生きるってこんな感じなのでしょうか? みんなこうしてこんなに大変な思いをして、それこそ死ぬる思いで生きているのでしょうか。