死ぬことでしか救われないのかもしれません
お久しぶりです。以前ご相談させていただいた者です。
有り難いお言葉に大変救われました。…が、この度今一度ご相談させていただいたのは、文頭にあります通り死ぬという選択肢しか考えられなくなったからです。
学校では将来のことを考えさせられる時期になり、職場では理不尽な嫌がらせを受け、家庭内では避けようのないストレスに押し潰されます。
自身の人嫌いは重々認知しております。それは時折激しい殺戮衝動に駆られたり、人間である自分に嫌悪感を抱き殺してしまいたくなるほどの酷く深いもので、他人はおろか、家族にすら理解されないものだと断言できます。
そのため周りは私がどれだけ人嫌いかを知らず、期待や責任、悪意を向けてきます。
人と接すると、日々心が死んでいきます。相手の顔色を伺い、相手の求める言葉をかける。そこに私の意思はなく、相手を満足させるためだけの笑顔を振り撒く。そうしてやり過ごしているうちに、殺戮衝動が芽生えるまでに心が死んでしまいました。
私にとって「人と接する」ということは、自分を殺していることなのだと気付いてしまいました。自分を犠牲にしなければ人と接することができないのです。
この苦しみから逃れるには、相手を殺すか自分が死ぬかしかない。いや、自分が死ぬしかないのです。
本当は逃げたいんです。学校や職場、家族や自分からでさえも。全部全部放り出して自由になりたいのです。
でも私が私である限り、私は私から逃れることができない。自分を苦しめるだけの自分から逃れることができない。それが私だから。
もう死ぬしかないのです。死後の世界でも自分は自分なので、本当の意味では解放されることなんてないのだろうけど、この世に存在していることが辛いです。もう頑張れない。もう何もかも疲れてしまいました。
有り難し 65
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