2022/03/14命に対するジレンマ、疑問
看護師をしています。
私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。
その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。
ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。
命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。
しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。
そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。
その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。
本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。
私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。
世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。
以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。
・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか?
・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか?
・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか?
長文で申し訳ありません。
お時間のある際にご回答いただけると幸いです。
有り難し 30
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