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hasunoha 問答検索結果 : 「幸せ」
検索結果: 17486件
2022/09/17

夫が急死 その後の心の持ち方は正しいのか

夫が先月末、47歳で急死しました。 大動脈解離で倒れてそのまま。 私は36歳、年の差婚です。 6歳の娘がおります。 この2年ほど夫とは育児や家事のことで喧嘩が絶えず、別居もしましたが、亡くなる直前、ようやく二人の歯車が少しずつあって、あーこのまま幸せに暮らしていけるんじゃないか、と思った矢先のことでした。 倒れた瞬間、夫は私を呼びました。 助かりこそしませんでしたが、出先で同じ空間にいたので、倒れてすぐ娘と駆けつけ、救急車で祈る気持ちで付き添えました。 色々な奇跡が重なって、誰もが助かったと思いましたが、助かりませんでした。 そんな夫の通夜葬儀は、喪主として立派に務めることができたと思います。 その後の手続きなども、なんとか頑張ってこれたのも、周りの支え合ってこそです。 ある日、夫の携帯電話を整理していたところ、とあるSNSに通知があり、夫の友人かな?と開いたところ、それは夫が鍵をかけて私の愚痴をつぶやくアカウントでした。 それはもう、目を塞ぎたくなるほど、頭が真っ白になるほど、ひどい言われようで。 一瞬、体中の血の気が引くほど落ち込みましたが、急に、あれ?でも私も夫のこと悪く言ってた、お互い様なのでは?と思え、それまで、夫の命を奪ったのが自分がストレスをかけたせいだと罪悪感で潰されそうだったので、お互いに苦しんでいたから、もういいじゃないか、と思えました。 それから、なんというか、心にあった黒い靄が全部晴れて、清々しく、娘と一緒に第二の人生を歩もうとすら思えています。 ただ、そんな自分が怖くもあります。 またこんな気持ちでいて、夫の供養にならないのでは、という思いもあります。 私のこの感覚は、不謹慎でしょうか? それとも、生きるということは、こういうものなのでしょうか? 今までは、人のことも自分に対しても、お天道様は見てるから立派であらねば、と思って生きてきました。 でもなんというか、人間はみんな愚かなんだ、だから毎日自分が幸せで、自分の愛する人が幸せなら、なんでもいいか、と思えています。 すごく生きやすくなった気がしますが、これは人の道に外れた生き方か教えていただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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私の信仰について

今回は非常に個人的な悩みとなります。 私は最近、仏教について調べたり、考えたりして、一種の信仰心を持つようになりました。(他人には一切信仰を公言してません)他人が悲惨な目にあったニュースを見聞きしたり、電車の人身事故があった時などは、心の中で南無阿弥陀と唱えるようにしてます。(宗派とかはよくわからないので、とにかく心で唱えるようにしてます)ただ、この教えはどの宗派かはわかりませんが、南無阿弥陀を唱えると、仏様が極楽浄土へ連れて行ってくれるという話を聞いたので、正直、他人のためではなく、唱えることにより自分が死後、安らかな場所に行けるように唱えていると考えてしまいます。 そこで2つ質問があります。 1 心の中で南無阿弥陀と唱えるだけでも良いことですか?また、他人に亡くなった方に対して唱えることは良いことなのでしょうか? 2前述したように、南無阿弥陀と唱えることは、自分が死後安らかに過ごせるようになるためであり、それは他人の為ではないという考えが少なからず自分の中にあります。純粋に他人の為に仏教に信仰心を持つにはどうすれば良いのでしょうか? この先は質問と関係無く、ただhasunohaのお坊さんへの感謝と自身の信仰に関する話です。 いつも悩みを聴いてくださり本当にありがとうございます。1人では考えきれない事を今までお坊さん方は真剣にアドバイスしてくださり、以前あった私の死にたいという気持ちも随分と楽になりました。本当にありがとうございます。また、このサイトがきっかけで、宗教とは非常に遠かった私の中に信仰心が生まれました。正直、極楽浄土や地獄、仏様など、目に見えない世界に関しては半信半疑です。しかし、過去の仏陀やお坊さん、そして現在のお坊さんなどが人々の為に幸せや平穏を願った。そして今も願っているという事実は変わりません。そしてその事実が現実に対して言いようのない不安に駆られていた私にとって光です。誰かの幸せの願う心の存在こそ私の救いです。皆さんの考える仏教への信仰とは全く違う形かもしれませんが、私は仏教をこのように信仰してます。 そしてこれからも、お坊さんのように誰かの幸せを願う人でありたいです。質問とは関係はありませんが、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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2024/12/23

幼少期からの寂しさ

20代後半女性です。 5歳の頃に父が亡くなり、母からはネグレクトされ親権を拒否された為親戚の家で暮らしました。その親戚の家でもあまり食事を与えられず毎日暴言を吐かれ肩身の狭い思いをして育ちました。 現在は会社員となり自立して暮らしていますが5歳の頃からずっと虚しいです。 子どもの頃優しくしてくれたのは父だけでした。今でも父が添い寝してくれたわずかな日々だけが私が心から幸せだと感じた時間でした。それ以降ずっとしにたい気持ちです。 普段は周りに迷惑をかけないようなるべく明るく普通の人に見えるよう振る舞っています。職場では優しい人達に囲まれていて私は幸せ者のはずなのに過去に楽しかった思い出がない事や自身の中身の空っぽさに人と話しが上手くあわず疲れます。 きっと趣味や仕事に励んで、新しい人間関係を作ったり結婚して子育てをする事で人生を明るくしていけばいいのは頭では分かりますが、もう頑張る気力がありません。 普通の人のフリをして生きていても いつも心のどこかにお腹を空かせて、お父さんに帰ってきて欲しいと一人で泣いていた子どもの頃の自分がいて周りの幸せそうな人を妬んでしまいます。 どうして自分を守ってくれる人がいなかったのかと悔しい気持ちで今でも泣いています。 20代後半にもなってくよくよしている自分がすごく嫌いです。 色々な男の人とデートしたり関係を持ちましたが特に何も変わりませんでした。 お父さんがいなくなった虚しさをどうしたら消せるでしょうか。はやく楽になりたいです。

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